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でも、それ以上に重要なことに彼は気付いたようだ。
そして、それは私も。
「あ……やべっ、俺、高いところ駄目だったんだ」
登山が好きなくせに高所恐怖症。
うっかり忘れていたが、それが彼と言う男だった。
「「……」」
岩座に立つことなくここまで来た意味の無さに、少しばかり私たちの間に沈黙が流れた。
けれど、この気まずい沈黙も、ツボに思えばツボだった。
何だか彼らしくて私は吹き零してしまった。
「くふふっ。私の為だけだったのね」
いつだって自分本位なくせに、その思考は人を喜ばせようとすることだけに気が向いてしまっている彼なのだ。
そんな不器用な彼だからこそ憎めない。
「いや……違うよ。ここを選んだのは俺の為」
私は彼を見遣って、小首を傾げた。
「絶景に感動させて、そのどさくさ紛れにOKして貰えたらなって……」
何を?
そんな素っ頓狂なことは思わなかった。
遂にこの日が来たのかとそう思っただけだ。
だけど、最後まで聞きたくて、私はもう一度小首を傾げてみせた。
「仕事を辞めて、俺と結婚して欲しい。もう、離れて暮らしたくないんだ。ダメかな?」
私の名前を囁く彼に、勝手な人だと突き放してやりたい衝動が無かった訳ではない。
そのチャンスは二年前にもあげたのに、チーフに昇進した今になって言ってくるなんて狡いなぁと、素直に思う。
だって、私のキャリアを何だと思っているわけ?
私、凄く頑張って来たのよ?
それに遣り甲斐も感じて、信頼だって勝ち取ってきた。
でも、そんなの全部あっさり捨てて欲しいと望むのだもの。
「頼むよ――」
彼はもう一度、私の名前を囁いた。
「どうして人は高いところに登りたがるのか知っている?」
プロポーズの答えを保留したまま、私は彼に尋ねていた。
「えっ?」
「良いことがあるからと、遺伝子が知っているからなんだって」
昨日見たテレビ番組で、そうしたことを言っていた。
なんでもかつて狩猟の時代、獲物を見つけられたという喜びが記憶遺伝子に残っているからなのだとか。
とすれば、彼は逆に悪いことがあると記憶している遺伝子を保有しているのかもしれない。
「良いことがあると記憶出来れば、克服できるかもしれないわ」
言うや否や、私は及び腰の彼の手を強引に引いた。
「ええぇっ!?」
意味不明な私の解答と行動に、彼は狼狽えまくった。
「ちょっ、やばっ、待っ……」
引き戻そうとしているものの、腰の抜けそうな彼の手をしっかりと私は両手で捕まえる。
「四の五の言わずに、私を信じなさいっ!!!」
こんな風に声を荒げたことなど、これまでなかったかもしれない。
でも、私だって、彼を信じて待ち続けていたのだ。
今日という特別な日を。
彼は抵抗をやめた。
「ん、信じる。目を閉じているから、連れて行って欲しい」
そっちの方がどう考えても怖いと思うのだが、私は彼に寄り添って共に岩座にまで歩を進めた。
歩を進める度に、彼は私の手を痛いほどに握り込んでくる。
従順に命を預けてくれる彼が愛おしくて、彼以上に心を明け渡してくれる人なんて、きっとこの先、私には現れないだろうなと、確信を覚えてしまう。
「大丈夫だよ、絶対に何があっても放さないから」
彼の真剣な足取りに比べ、私の歩の軽いことと言ったらなかった。
だって、そりゃあ、浮かれるよね。
大好きな人からのプロポーズだもの。
絶景はやはり拝めなかった。
それでも構わない。
何かしらの力に便乗する気は無いのだから。
絶景の代わりに私は彼の前に立った。
「いいよ、目を開けて」
手にしていた懐中電灯で私の顔を映し出す。
彼は恐る恐る瞼を開けた。
苦虫を噛み潰したような顔をしていたけれど、顔を綻ばせている私しか見えずに安心できた模様。
景色を眺める余裕なんて彼には無い。
余所見なんてせずに、私だけを一心不乱に見つめていた。
「この先も、ずっと、私だけを見ていてください」
それだけで、きっと、何処に行っても私は頑張れるから。
fin.
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