都合

1/8
6人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ

都合

 さして大きくはないこの町の駅前に、昔からある老舗のシティホテルの十二階にあるステーキハウス。  クリスマスを目前に控え、祐司にとって一年に一度だけ訪れる特別な日は、毎年ここに来ると決めていた。  数年前――小学校の入学祝いに家族で訪れた際、初めてステーキを口にした勝仁の驚いた表情は今でも覚えている。 「お肉って美味しいんだね! びっくりした!」  目をまん丸に見開いて興奮する勝仁の頭を、祐司と久留実は両側から撫で「良かったね」となだめたものだ。  それまではお子様ランチかハンバーグばかり食べていた勝仁は、その日以来ステーキを好むようになった。普段は仕事ばかりで家庭を顧みる機会の少なかった祐司にとって、黄色い帽子とスモック姿の幼稚園から、ランドセルを背負った小学生になったように、我が子の内面もまた成長しているのだと実感させる一幕だった。  しかし――  あれから八年の月日が過ぎ、中学二年生になった勝仁は今、一言も発しようとせず、ただ静かに手を動かしていた。しかしながらナイフとフォークは皿の上を這い回るばかりで、一向に口へと運ばれる素振りは見えない。 「……どうした? あんまりお腹が空いてなかったのか」  勝仁は答えない。その代わりに、親指の先ほどに小さく刻んだ肉片を口に含んだ。ゆっくりと、丹念過ぎるほど顎を動かした後、ごくりと音を立てて嚥下する。  答えは、ない。  また戻って来た沈黙を振り払うように、祐司は夢中で手を動かした。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!