黄泉がえりの一日

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「なんでわたしだけが……って思ったわ」  あの瞬間がわたしにとってどうだったのかと訊かれたので、しばらく考えてからそう答えた。 「ああ、疲れた!」 「ちょっと聞いてよ。こっちが真剣に話してるっていうのに。理恵から訊いてきたんでしょ」 「ああ、悪い、悪い」  理恵は向かいの席に着くやいなや小さな肩をだら〜んとさせ、思いっきりくつろいだ体勢になった。そんな親友の姿にさえもわたしは大きな喜びを見出していた。 「久しぶりに目一杯遊んだ気がするよ」  注文したオレンジジュースが運ばれてくるとすかさずストローの先に口を伸ばす理恵。そんなお子様全快の理恵はやっぱり可愛いと思う。 「そうだよねえ。いつ以来かなあ」  わたしは思い出そうとしたが結局思い出せなかった。 「やっぱ秋穂といると安心だよ。いろいろと」 「それはお互い様だよね」  そう。シネコンで映画を観たあとショッピングを堪能して最後はここの喫茶店で締めるというのが、かつてのわたしたち二人の休日の定番コースだった。毎週のようにそれを繰り返していたものだ。 「でもさ、本当に良かったの? 貴重な一日をわたしと過ごすなんて。家族水入らずで大切な一日を使うべきじゃ……」 「大丈夫。今朝、出掛ける前にパパやママとしっかり抱き合ってきたから」  心配そうな顔を崩さない理恵に安心してもらうよう、わたしは精一杯の笑顔を見せつける。 「わたしは最後の一日を理恵と一緒に過ごせて本当幸せだよ」 「なんだか照れるなあ。でもこれが最後かどうか分からないよ。一回奇跡は起こったわけだし、これから何度でもあるかもしれない」 「まさか」  そんな都合よくいくまい。  神様がわたしの願いを叶えてくれたのはほんの気まぐれだ。一日だけ冥界から現世に魂を戻してもらうこと。なぜわたしの前に神様が現れたのかはわからない。それになぜわたしが選ばれたのかも。  それは神様の気まぐれかもしれない。それとも私の日頃の行いが良かったせいなのだろうか。 「もう暗くなリ始めたね。ねえ、あとどれくらいあるかなあ」 「わかんない。神様は夕方6時ごろまでって曖昧な言い方してたから」 「そっかあ……じゃあ、秋穂。このへんでお別れしよっ」 「えっ?」  運命の時間が来るまで理恵と一緒にいるつもりだった。だから理恵のその言葉を聞いたときは耳を疑った。 「やっぱりさあ、最後の瞬間は家族水入らずでいたほうがいいよ。秋穂がどう思うかっていうより、お父さんもお母さんもきっと秋穂とできるだけ一緒にいたいと思うんじゃないかな。それが家族ってもんでしょ?」  確かにその通りかもしれない。でもその通りかもしれなくても……。 「でもさあ、今さら帰るのって格好悪いなあ。今朝手掛ける時、パパやママとしっかり抱き合ってきたもん」 「格好悪いとか細かいこと言わないの!」  いつになくはっきり言い切る理恵。そうだった。普段は温厚な理恵だが、譲れないことに関してはこちらが叱られるほど強情になるのだ。 「いい? 秋穂とはここでお別れ。わたしだって秋穂と別れるのはつらいよ。でも結局離れなければならないなら早いほうがいい。そのほうがわたしも踏ん切りがつく」 「ずっと一緒にいたい」そう口にしたいのは山々だったが、それはきっとかなわぬ願い。神様が一日だけ生き返らせてくれたのだって驚くほどの奇跡なのだ。これ以上の贅沢は言えまい。 「じゃあね。理恵」  そう言おうとしたとき、神様と出会った瞬間がフラッシュバックした。  まるで掴みどころのない空虚な世界で放浪していたわたしの前に、神様と名乗る老人が現れたのには驚いた。白く長い顎ひげに白い衣装、ひん曲がった長杖をつきながら腰を屈めて歩く姿は仙人っぽいと言えなくもないが、ただのお爺さんにも見える。虚ろなわたしの眼をしっかり見つめながら「まるでヘビの抜け殻のようじゃの」と言った。 「あなたは本当に神様なんですか」 「もちろんじゃ」 「じゃあ、死んだ人間を現世によみがえさせることも出来るんですか?」  わたしはダメ元で尋ねてみた。 「神にとってはお安い御用じゃ。じゃが、それは無論世の中の道理に反しておることじゃからの。いくら出来るからといっても勝手にやるわけにはいかん」 「ですよね~」  やはりそんなうまい話はない。 「でもな、ここでお主と邂逅したのも何かの縁かもしれぬ。ましてや今の世の情勢を鑑みれば死者を冥界から一時的に現世に戻すのもありじゃないかと思わないでもない。お主、それが望みか?」 「あ、はい」 「一日だけでもよいか?」 「はい。本当に叶えてくれるんですか。それなら半日でも一時間でも構わないのでお願いします!」 「ならば丸一日とはいかぬが、お主のために奇跡の一日を用意してやろう」 「ありがとうございます!」  こうして神様からもらった貴重な一日。もう一度会いたい人ならたくさんいる。会って話して一緒に笑い合いたい人がたくさんいる。たった一日しかないから自分のすべてを賭けて精魂尽きるまで頑張ろう。  そんな風に思っていたのに。なのに。  実際は違ってた。理恵と一緒に映画を見てショッピングをして喫茶店でゆったりくつろぐ。そんないつもの休日と変わらない普通の生活を満喫している自分がいた。  映画館にいた人たちもお店の店員さんやお客さんたちもこの喫茶店のマスターもみんなみんな当たり前のように平然と生きている。そんな当たり前の日常がこれほど価値あるものだとは。  みんなと突然の別れをして、一人になって、これからもうみんなと一緒に過ごすことは出来ないんだと絶望した体験。それがわたしを変えたのだろうか。  みんなにこやかな晴れやかな表情をしている。それが心の中まで嘘偽りのない現れなのかはわたしには分からない。でもきっとそんな気がする。どんな特別な一日よりもこの当たり前の一日がわたしにとっては大切なのかもしれない。  次こそ正真正銘ほんとうの最後のお別れになるだろう。だったら悔いなく終えたい。 「やっぱりいいや。理恵と一緒にいる!」 「秋穂ったら……」 「あっ、雪」  雲に覆われた夜空の闇から降ってきたのは真綿のような白い粉雪。わずかな街灯に照らされつつ鈍い光を放っている。 「出よっ!」  わたしと理恵は急いで会計を終えると喫茶店から飛び出した。 「きれい……」  隣で理恵が感嘆の声を上げる。 「冷た!」  前に差し出した手の甲に雪の結晶が触れ、そしてすぐに溶けて消えた。それを見ながらわたしの胸にグッと悲しみが込み上げてきた。  もうすぐわたしも……。 「ねえ、理恵」  ふっと顔を上げ左を向いたとき、そこにはもう理恵の姿はなかった。 「あっ」  声を上げたわたしは「理恵、理恵」と夢中で叫びながら喫茶店の店内に戻る。そこにはマスターもウエイトレスの姿もすでになかった。 「ああっ」  みんな行ってしまった。今度こそ本当に逝ってしまった。神様が与えてくれた奇跡の一日は今夜6時まで。その時間がついに来てしまったのだ。    わたしだけを残してみんなこの世界から消えた。あの日と同じだ。あの日も突然みんなが消えた。あの日、この世界に一人取り残されたわたしは途方に暮れた。  ただしわたしが生きてゆくのに困ったわけではない。ライフラインのすべてを高度なAIで自動的に管理しており、たとえ人間が絶滅してもコンピュータがセルフメンテを繰り返して数千年はこの社会が持続できると言われている。そんな超高度な科学社会をすでに人間は実現していたからだ。  原因不明の全世界の人間消滅現象をどう考えるか。わたしは一人になってからずっと考え続けた。結局、最終的な管理社会を実現した人間はもはやこの世界には不要ということで神様から見限られたのかもしれないという結論に達した。そうでもなければこの不合理な現実は受け入れ難い。  でもこの一日で分かったことがある。ボタンひとつでなんでも出来る時代に、映画館で映画を見たり、街中でショッピングをしたり、喫茶店で駄弁ったりすることに意味はないかもしれない。それでもそんな無意味な日常を人は追い求める。自分が消えてしまうことが分かっていてもだ。だからわたしもこれからはいつもの日常を生きていこう。特別な一日なんて要らない。 (了)
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