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昼休みが終わる直前に亮太や早紀たちは、慌てて帰って来た。明日の会議用に企画書を作っていた美優とは正反対だ。
昼に来客があったのか、応対していた年配の女子社員が、応接室から出て来て言った。
「早紀さん、この書類を三部コピーして持って来て、急いでね、お願い」
「はい、わかりました」
そうは答えたが、慌てている年配の女子社員とは対照的に、早紀はおっとりコピー機に向かう。だが、ちょっと機械の前で首をかしげると、すぐに自席に戻ってしまった。
「早紀さん! コピーはまだ!」
「ああ、トナーがなくて、コピーできませんでした」
「トナーがなくなったなら、カートリッジを新しくしてくれたら……。もうええわ! 自分でするさかい!」
そう言って、年配女子社員は、早紀の手から書類をひったくった。早紀はあっけに取られていたが、また小さく首をかしげてから、コーヒーを一口飲むのだった。
早紀は、悪気はないが気が利かない。事務能力も若干低く、作らせた書類は、どうにもこうにも読みにくい。
「やったことありません」
「わかりません」
「できません」が早紀の口癖だった。
それでも早紀を狙っている若い男性社員は、早紀には優しかった。早紀が困っていると、どこからともなく男性社員が現れて、優しく教えてあげたり、代わりに操作してあげたりするのだ。
プリンターの前で早紀が「あ、インクなくなった……」とつぶやくと、またどこからともなく若い男性社員が現れ、「早紀ちゃん、手が汚れるよ。僕が変わりにやっておくから」と言うのだ。
その度に早紀は、男性社員がうっとりとなる笑顔を満面に浮かべて、舌っ足らずに言う。
「ありがとうございます」
しかし、早紀は自分が美人なことを利用して、男性社員を上手に使っているのではないのだ。色白の透明感あふれる可愛らしい顔に、笑みをたたえて、無邪気にこう言うのだ。
「この会社の人はみんな優しいんですね」
結局、美優も、早紀の尻ぬぐいをする羽目になるのだ。もちろん、美優のことを助けに来る人はいない。考えてみると、男子社員で早紀を特別扱いしないのは、早紀と同期の垂水大地くらいだ。大地は早紀に冷たいわけではないけれど、甘やかしもしない。
美優が企画書を作り上げたころ、課長がみんなに言った。
「天気予報によると、きょうは大雪になるらしい。雪で帰れなくなる前に、みんな早目に帰宅するように」
そう言えば、エアコンが効いた室内にいても、冷え込んできたのがわかる。グレーの雲が低く垂れ込めて、空は暗い。圧迫感すら覚える。
―早目に帰れと言われても、私は明日までに仕上げんとあかん企画書があるねんけれど……―
ため息をついてから、ふと気づく。垂水大地は外に営業に行っていた。雪が降ってきたら、会社に帰ってこれるのだろうか、と。
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