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3
美優が資料やパソコンとにらめっこをして作業を進めていると、課長に呼ばれた。課長は難しい表情をしている。
「あんたが提案してくれて進めているイベントの件なんやけど、ゲストの女性講師を男性講師に変えろと上からお達しがあったんや……」
「ええ! この前はOKやっておっしゃってたやないですか。それに会議は明日ですよ」
「この男性講師が代わりに引き受けてくれはるらしい。頼むわ」
課長は美優を拝む真似をした。調子が良くて人のいい課長も間に挟まれて、つらい立場なのはわかるのだが……。
―私が嫌やと言うても、もう決定事項なんでしょ!―
―雪やし早目に帰れっていいながら、私に残業させるんやねー
―ほんま矛盾してるわー
ということばが喉元まで出たが、なんとか抑えた。せっかくここまで練り上げて来た企画だ。他の誰かに修正されるより、テーマを最大限いかせるように、自分で修正しようと思ったのだ。
―あんなに一生懸命やって、前日に修正! 大雪やって言うのに、残業やわ……―
意欲を失ったが、なんとか気を取り直して、パソコンに向かう。空は分厚いグレーの雲に覆われて、どんどん暗くなった。冷え込みはますます強い。灰色の空から白いものがちらほら舞いはじめている。仕事に切りがついた社員は、ぼつぼつ退社し始めた。
―なんでこうなんやろう……―
落ち着かない気持ちで、仕事を続けていると、亮太の声がした。今一番聞きたくない人の、今一番考えたくない人への声掛けだった。
「早紀ちゃん、仕事の切りついたか? 早目に切り上げて、早う帰り」
「まだちょっと仕事が残ってて……」
「僕が手伝ってあげる。終わったら僕の車で送ってあげるし」
「ありがとう。亮太先輩はいつも優しいんですね」
早紀は透き通るように白い頬をポッと淡い紅色に染めて微笑んだ。亮太は鼻の下を伸ばして、書類のコピー取りを手伝ってやっていた。
美優が亮太と仲良くしていた頃、亮太が美優の仕事を手伝ってくれたことはなかった。美優は手堅く自分の仕事は自分でこなし、むしろ仕事ができない亮太を手伝ってあげることの方が多かった。それに亮太が、美優に対して、あんなふうに鼻の下を伸ばしたことは一度もなかった。
「そしたら、お先に失礼します」
「亮太、俺も同じ方向やねん、送ってくれ」
「まだ仕事してる部下がいるのに課長は帰れへんでしょ」
「ちゃっかり早紀ちゃんとドライブやな、ええな」
課長が亮太を冷やかしたが、亮太は適当にはぐらかして、早紀を連れて帰って行った。二人の姿が見えなくなると、美優はホッとした。
美優は予定していた女性講師に急遽連絡を取って、講師の依頼を取り下げることを告げ、平謝りに謝った。女性講師は不愉快そうな声だったが、なんとか承諾してくれた。
―私、誕生日に何してるんやろう……―
課長がよこした男性講師のプロフィールや主な活動を見て、メインだった女性講師と差し替えた。悔しかったが仕方がない。なんとか形になった企画書を印刷しようと顔を上げると、フロアーは閑散としていた。外は雪が降り出していた。
だが、プリンターはまったく動かない。
―なんでこんな急いでる時にエラーなん!―
どう直しても、一向に印刷は始まらない。
―なんでなん? 真面目に一生懸命に仕事してるのに、企画は急に変更を命じられるし、プリンターは動かへんし、誰も助けてくれへんし、雪は降ってくるし……―
美優は泣きたくなった。
美優は相当長い時間、企画書の修正に必死になっていたようで、窓の外はもう真っ暗だった。窓からは電線に薄っすら雪が積もっているのが見えた。立ち上がって、窓の外を見ると、一面の雪で、道路も白くなっていた。
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