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(4)
今年の冬を乗り越えることはできないかもしれない。そう考えていた私だが、なぜかすこぶる体調がいい。その上このところ、アイザックさまに変化が起きていた。
「シャロン。もうすぐ春が来るよ。そうすれば、温室ではなく外の庭で好きなだけ庭いじりができる。今度はどんな花を植えようか。ああ、君の瞳によく似た花がいいな」
「そう、ですね」
アイザックさまの瞳が優しい色を帯びていた。気がつかないふりをしていたが、もう誤魔化せない。
隣にいると静けさの中に、季節外れの小鳥の求愛を見つけてしまう。雪の降る音を、星が流れる音を聞き取ってしまう。
穏やかな最期を迎えることができたなら、きっと幸せだと思っていた。それなのに、今は死ぬのが怖くてたまらない。泣き叫んで、地団駄を踏んで、助けてくれとすがりたくなる。そんな姿を見せてはいけないのに。彼に迷惑をかける権利などないのに。
「シャロン、雪がとけたらあの山に行こう。鏡のような湖があるんだよ」
「まあ、楽しみですわ」
最初はただ、静かに看取ってほしいだけだった。両親や妹、元婚約者では無理なことだったから。彼らはきっと私のためではなく自分たちのために泣くだろう。そして自分たちがいかに私を愛していたか、どれほど悲しんでいるかを周囲に語ってみせるに違いない。
死んでまで彼らに利用されるのはまっぴらごめんだ。もちろん道端で野ざらしになるのも辛かったが、死ぬときくらい自分の好きにさせてもらいたかったのだ。
だから、求婚を受け入れた。訳ありだが誠実なアイザックさまなら、粛々と私を弔ってくださるに違いないと思っていたから。わたしに対する特別な感情など何ひとつ持っていないあの方なら、利用される代わりに葬儀を取り仕切ってもらってもいいと、公平な契約であるようにさえ感じていた。
けれどアイザックさまは、思っていたよりもずっと優しい方だった。日頃から神への祈りをかかさない敬虔なひと。まさか隣にいる妻が、悪魔の呪いをその身に宿しているなど考えもしないだろう。
こんな私でも、死んでしまえばアイザックさまは傷つくだろう。社交的ではないどころか、どこか人間嫌いにさえ見えるこのひとを私は悲しませたくはない。いいや、これは詭弁だ。ただ私は、自分が悪魔の呪いを受けていることを知られたくないだけなのだ。
――打算で近づいた私をお許しください。どうかお元気で――
愛していると伝える資格はない。臆病な私は離婚届とともに手紙を置くと、屋敷から逃げ出した。
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