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職場から近いこの店は、値段のわりに本格的な蕎麦を出すので、昼時は特に混雑している。孝明は、せいろをあっという間に平らげ、名残惜しそうに蕎麦湯を飲み干し伝票をつかむと、さっと席を立った。
「ごちそうさま」
「ありがとうございました」
女性店員が笑顔で振り返った。
店の外に出て空を仰ぐと、初夏の日差しは思いのほか強くて孝明は思わず目を細めた。会社に向かって歩きだすと、どこからかガラガラという懐かしい音が聞こえてきた。
「残念! ポケットティッシュです」
声がしたほうに目をやると、路地を入ったすぐの所に結構な人だかりができていた。商店街の名前を染め抜いたのぼりの脇で、法被を着た長身の男が一人、忙しく動きまわっていた。
「珍しいな。抽選会か……」
孝明が前を通り過ぎようしたそのとき、男が声をかけてきた。
「この商店街の飲食店のレシートがあれば福引ができますよ。どうですか?」
孝明はちらりと腕時計を見た。昼休憩はまだたっぷり残っている。蕎麦屋のレシートを男に手渡すと、言われるままに抽選器のハンドルを勢いよく回した。コトン、という乾いた音と共に転がり出たのは青色の玉だった。
「二等が出ました! 映画のペア招待券です!」
カラーンカラーンとベルが鳴った。孝明が人々の羨望の眼差しに照れ笑いを浮かべていると、男が白い封筒を手に近寄ってきた。
「おめでとうございます」
孝明はその場で中身を確認した。
「シアターK……」
「小さな劇場なのであまり知られていませんが、この先にあります」
男はまるでこちらの心中を見透かしたように指を差した。
「ミステリーナイトなので何の映画かは行ってからのお楽しみです。指定された日時に、大切な方と一緒にご覧ください」と、男は微笑んだ。
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