ブルドーザーって、そういう乗り物だったっけ?

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ブルドーザーって、そういう乗り物だったっけ?

 結果から言えば、わたしはただの会社員になった。でも、昔わたしは、ブルドーザーになりたかった。  部屋を片付けていたら、実家から持ってきたガラクタの中に、幼稚園の卒業(卒園?)アルバムがあった。開いて見てみると、邪気のない表情の真ん丸なわたしがページの中からこちらを見ていた。顔写真の下に、覚えたてのひらがなで書いた自分の名前と、将来の夢。「ぱてぃしえ」「おはなやさん」「しゃちょう」さまざまな夢の中に、わたしの「ぶるどーざー」があった。  言われてみれば覚えている。ほんの一時期だが、ブルドーザーになりたいとしきりに口にしていた。おもちゃを床に広げて、それらを何か棒のようなものでガーーーッと壁際まで押しやる遊びが大好きだった。  わたしは一人っ子で、家では遊び相手がいなかった。人形遊びのような、いかにも女の子らしい遊びも好きだったし、男の子のように変身ヒーローの真似をしたりもしていた。「らしさ」や属性が価値をもつのは集団の中だけの話だ。人形もヒーローも、ブルドーザーも、一人のわたしには等しく憧れだった。  「マイペースだね」ということは両親や周りの人からよく言われていて、両親が言うものだし、棘のある言葉ではないはずだから、悪い気はしなかった。大人になってからは、「良くも悪くも」という枕詞が裏に見えるようになってしまったが。とにかく子供の頃は、「マイペース」というのが自分のアイデンティティとして大切に思えたし、卒園アルバムに刻まれた「ぶるどーざー」も、そのことを目に見える形で示してくれる華やかな記録だった。子どもの頃は自分が特別に面白い存在だと思えた。  なりたい自分になれたのだろうか。あまりに凡庸な問いかけだけど、真剣に考えてみてもいいのかもしれない。もちろん、ブルドーザーはもういいとしても、子供の時の夢なんてものはころころと形を変えていくものだから、ほかにも「なりたい自分」はたくさんあったはずだ。その中の一つにでも、わたしはなれたのだろうか。  「会社員」になりたいと思ったことはなかったような気がする。ましてや「印刷会社の営業事務」とか、そんなものになりたいと言う子供がいたら腰を抜かすだろう。「警察官」とか「学校の先生」になりたかった自分には申し訳ないが、今のこの仕事も悪くないんだよと言ってあげたい。  「家賃6万8千円の狭いアパートが物であふれかえる」とかも、「なりたい自分」からは程遠い。ある程度自由に買い物ができるというのは憧れだったかもしれないが、必要な物しか買っていないはずなのにごちゃごちゃと足の踏み場に困るような生活は、想像もしていなかった世界だ。子供の頃はむしろ綺麗好きで、整理整頓が楽しかったような気がする。  「恋人との長い不和の末、浮気される」というのは、言わずもがな、最悪だ。交際の長いアラサーカップルの、結婚を巡る古典的な暗い攻防を、自分が体験する羽目になるとは。みんながみんなやるような方法で結婚を仄めかしてしまった愚かなわたしと、その頃から気まずそうに萎縮してしまった、もっと愚かで哀れな彼氏。そんな彼氏の元に突如現れた、若くて可愛い悪魔な天使。不出来なドラマのようなありきたりな展開だけど、そんなドラマをお母さんと一緒に見ているのが好きだったっけ。 「人殺し」、そんなドラマも多かったな。  そのとき、わたしは思った。そもそも、「なりたい自分」に向かって努力したことすらないじゃないか、と。ゴールを見据えて、必要な道のりを一歩ずつ順に進んでいくという、どこまでも真っ当な努力を、今の今まで真剣にやってみたことがない。「マイペース」という言葉で身を隠すようにして、わたしはひらりひらりと、目の前の障害から逃げ続けてきたのだ。そう、今だ。気付いた今だ。わたしはそう思った。わたしはもう逃げない。  目の前には、空のティッシュの箱とか、カバンとか、あと彼氏のゴルフクラブとか、さまざまな物が転がっていた。ゴルフクラブは、件の若い彼女さんとお揃いで買ったらしい。それから、それで殴って殺した、彼氏の死体。わたしが殺した。子供の頃は、そんなカッとなる性格じゃなかった。  わたしは、卒園アルバムをガラクタの中に放り込むと、腕まくりをして、ゴルフクラブを手に取った。 「わたしは、ブルドーザーになりたかったんだ」  両手で横向きにしっかりとクラブをかまえて、膝をつき、手前からガーーーーッと、ガラクタの山を押した。体が伸びて、ふうっと息を吐いた。空いたスペースの分、少し前に進んで、再度ガーーッ。そこでグッと、動きが止まる。 「重っ。人間の体、重っ。くそっ」  自分の脚でしっかりと踏ん張って、力を込めて押し続けた。すると、大きな山がズズと動いた。ほらみろ、ちゃんとやればいいんだ。わたしはブルドーザーだ。どんな障害も、自分の力で押しのけ進む、立派なブルドーザーになったんだ。まずは部屋を片付ける。もう何だってできる。
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