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みかんゼリー
家から一番近いコンビニまで歩いて五分程度だ。
下町のロカール線の近くの家に住み始めて二年。
小さいながらも一応駅の近くということもあり、えり好みしなければ生活に必要なものは近場でそろうほどの店ぞろえはある。
一番ありがたいのは家の通りを挟んで向かい側に自動販売機があることだ。
値段は平均的だが、ラインナップが個性的で気に入っている。
少し歩いていると体があったまってきた。
引っ越し業者でバイトし始めて二年たつとさすがに筋肉もついて前と比べて代謝が良くなった。
寒さを感じなくなったので、せっかく外に出たのだからと、駅の向こう側にあるお気に入りのコンビニまで足を運ぶことにした。
そこの店はスイーツの品ぞろえがよくて、たまに仕事帰りに自分へのひそかなご褒美として買いに行っている。
男ながらに俺は大の甘党だ。
酒を飲むよりプリンや大福を頬張っているときの方が至福のひと時なのだ。
駅に向かうまでに小さな商店街を通る。
そこに美味しい和菓子屋がある。
そこのばあちゃんと顔なじみになってから一つ売れ残っている和菓子をオマケしてくれるようになった。
シャッターが閉まっているその店の前を通り無性に店名物の豆大福が恋しくなった。
明日こよう。
そう決心して、豆大福の欲を満たすために必ずスイーツを買って帰ると心に決めた。
コンビニにはそれなりに客がいた。
仕事帰りのサラリーマン。トラックの運転手らしき男性。工事現場の作業員のような恰好をした男性など、やはりこの時間は男性が目立つ。
若い女性が一人で歩いて帰るとなると、この辺は薄暗い道が多いよなと、ふと彼女のことが頭をよぎった。
俺はさっそくお目当てのスイーツ売り場へ直行した。
いつもに比べて品数が少ない。
何か新作が発売されたのかとポップを探したが、売り出し中の新商品はなさそうだ。
さて、この欲を満たしてくれるスイーツはどれかと考えあぐねていると、店の扉が開く音がして、ハイヒールの音がこちらへ近づいてきた。
速足でこちらへ向かってきて、俺の横に立った。急いできたのかひどく息を切らしているのが分かった。
そして、俺が立っている場所の商品も気になるのか俺に気遣う様子もなくじろじろと見ている。
コツコツとスイーツ売り場を歩きながら物色し、
「はあ・・ないっ!」
そう叫び、人目もはばからず、女性はその場へしゃがみ込んだ。
流石にその瞬間俺はその女性の方へ眼をやり、心底ぎょっとした。
彼女だった。
さっき俺の横を走り去っていった彼女だ。暗くて顔ははっきりとは見えなかったが服装や髪形を見れば一目瞭然だった。
俺は自分の動揺が悟られないようとっさに眼を逸らした。
なんでだ、なんで彼女がここにいる?
俺よりよっぽど早く先へ進んでいただろう。
今までどこにいたんだ?
何をしにここへ来た。
疲れ切ってしゃがんでいる。
声をかけるべきか。
いや、ここで声をかけて変に勘違いされても困る。ただでさえ男性が多い店内だ。
彼女の存在を周りへアピールするような行動は避けるべきだろう。
いや、自ら十分存在感をアピールしてしまっているが・・。
それか、俺が声をかけることで逆に他の男が彼女へ近づかなくなるのか。
俺は清廉潔白だ。やましいことはなにもない。
それはゆるぎない事実なわけだから、その俺が行くべきなのか。
「あの。」
「おおっ。」
思考を巡らせていたせいで彼女が立ち上がったことに気づかず、いきなり声をかけられ、俺は驚きおもわず後ずさりした。
とてもかっこ悪いざまだ。
こんな男に守られたい女性はいないだろう。
「・・はっはい。」
化粧をした黒目がちの目で俺のことをじっと見ていた。
俺はこの時はじめて彼女の顔を正面からみた。走っていたからか汗がにじんでいる。
「あの・・みかんゼリー見てませんか。」
「はい?」
「みかんゼリー探してて。売っている場所知りませんか。」
よっぽど切羽詰まっているのか、彼女は俺の目を見て恥ずかしげもなく単刀直入に質問をしてきた。
「みかんゼリーですか?・・・いや、見てないです。ここでは。」
「そうですよね。私も今見て売ってなくて。ここら辺のスーパーとかってさすがに閉まってますよね?」
「はい・・・だぶん。」
「ですよねぇ。」
彼女は溜息をつき、膝に手を置きうなだれた。
「あの、駅の向こう側にもう一つコンビニありますけど。」
「さっきそこ行ってきたんです。けど売ってなくて。」
「あっそうだったんですね。」
俺とすれ違ったあと、彼女は俺の家に近いコンビニによっていたのか。
彼女はここら辺に住民ではないのかもしれない。
スーパーがこの時間閉まっていることも普段生活していればわかるはずだ。商店街も軒並み閉まっている。
残念ながら俺の狭い生活圏内の中でみかんゼリーが売っている可能性がある店の手札は残っていなかった。
「すいませんでした、いきなり変なこと聞いて。」
彼女は姿勢を直し丁寧に謝罪してきた。
「あっいえ、こちらこそすいませんでした。お力になれず。」
「いえ、とんでもないです。ありがとうございました。」
彼女は少し微笑み、その場を離れていった。
俺は何もできなかった。
スイーツを見る気力もどこかへ行き、店内を歩いてドリンク売り場の前で立ち止まった。商品を見るでもなくただ眺める。
他にみかんゼリーが売っていそうな店。
一駅先ならあるのかもしれないがさすがにそこまで言えない。
やはり、記憶をたどっても売ってそうな店は検討が付かなかった。ふと売り場へ意識を戻すと、オレンジジュースの文字が目に入った。
「みかんジュースじゃだめなのか。」
「はい、だめなんです。」
「おおっ!」
何気ない独り言にまさかの返答があり、俺は先ほど以上に驚き危うくこけそうになった。
「ああっすいません。」
「いっいえ・・。」
かっこ悪い。
非常にかっこ悪い姿を二度も見られた。もう俺にはかっこつける必要はなくなった。
「すいません、つい。私も今心の中で、みかんジュースじゃだめだって思ってたところだったので。」
「そっそうなんですね。」
「他にここら辺にコンビニがないかネットで探してんですけど見つからなくて。やっぱりないですよね。もうコンビニ。」
「そうですね。俺の知る限りでは。」
「ですよね。」
「あの・・・」
「はい。」
「あの・・なんでみかんゼリー探してるんですか。」
踏み込んでしまった、自分から一歩。
踏み込んだ瞬間拒絶される恐怖が襲ってきた。
「私が食べたいんです。どうしても。今日。」
「あっ・・・」
拒絶はされなかったが、あまりに単純な理由で、俺は返す言葉を失った。
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