満月

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満月

「今日、月、出てるの知ってます。」 「ああ、はい。さっき来る途中に見ました。」 「きれいな満月でしたよね。」 「はい。」 彼女はあまり俺の反応を気にする様子もなくしゃべりだした。 やはりあの月は満月だった。 「満月の日に、私一度高熱出したことあって、その時心配して見舞いに来てくれた人がみかんゼリー買ってきてくれて。 薬に飲む前になんか食べたほうがいいからって二人で食べて。それがすごくおいしくてうれしくて。窓の外見たら満月で。 次の満月の日に約束したわけじゃないけど二人してみかんゼリー買って帰ってて。 それから満月の日にみかんゼリー食べるのが恒例行事になったんです。」 彼女は、ただまっすぐ売られているペットボトル達の方に眼をやったまま話してくれた。 その間にふんわりと一人でいることの寂しさが彼女からこちらに流れてきた。 それと同時に、今彼女の横に立っている俺はその他大勢にすぎないんだなと思った。はっきりとは明かされない「その人」は、彼女の話の中でとても大きな存在感を放っていた。 そして「その人」が彼女にとってどんな存在なのかは、さすがの俺にだってわかる。 「今日はたまたまみかんゼリー買い忘れちゃったんですか。」 そんなわけないだろうと心の中で声がする。 「いえ、もともと食べないつもりで。でも、みかんゼリーの力を借りたくなったと言うか。なにか変わるかなって。そんなこときっとないんでしょうけど。」 はははっと彼女は俺の方を見て笑った。 その瞬間すごくドキッとした。 泣きそうなのを必死にこらえて、笑って見せるその顔はとても儚くて、できることなら俺が守ってあげたいと思った。  でも、彼女はこれっぽちもそんなこと求めてないことも痛いほどわかる。 「すいません、こんな話して。」 「いえ、全然。聞いたのは俺ですし。」 「なんか、話せてすこしすっきりしました。ずっと自分の中でモヤモヤが溜まっててどうしていいのかわからなかったから。」 「それで、あんな・・・」 「えっ?」 「あっいや、すいません何でもないです。すいません。」 走って探してたのかと思わず言いそうになって慌ててやめた。 「私、帰りますね。気づいたらこんな時間だし。もう探してもなさそうだし。ありがとうございました。」 「あっそうですか・・。」 「それじゃ。」 彼女は小さく頭を下げると、店の出入り口へ向かって行った。 とっさにその後を追い、店を出た彼女に声をかけた。 「あの、家ってこの辺なんですか。暗いし、良かったら近くまで・・」 「あっ、大丈夫です。すぐそこの駅で電車乗って帰るので。」 「そうなんですね。じゃ・・」 じゃあ駅までと言おうかと思ったが、駅は目と鼻の先だ。 送ると言えるほどの距離ではないのだろうか。そう考えているうちに彼女は駅の方へ歩いて行ってしまった。 俺は、これだから・・・。 いつもいざという時何もできない。勇気が持てない。一言でいい。言いかけたその一言を言えばきっと変わっていた未来がある。少なくとも最悪の事態は免れたはずなのだ。 どうすればよかった、俺は。
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