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走れ!
見上げると、月に雲がかかっていた。
「いてっ」
ぼーっと空を見上げていた俺の方に誰かがぶつかってきて、思わず声が出た。
「すいません。」
とっさに謝った俺の目に入ってきたのは、俺よりすこし若い年ぐらいの男性だった。
「こちらこそすいません。大丈夫ですか。」
「はい・・。」
彼の顔はなんとも気力のなさそうな顔をしていたが律儀な謝罪をしてくれた。
「すいませんでした。」
「いえ、全然」
俺みたいだな・・。
ふと、そう思った。三年前の俺みたいだ。大切なものを失ってこの先どうしていいのかわからなかった自分を見ているようだった。
妙に彼のことが気になった俺は、彼の後を追うように店に戻った。
彼は店内をうろつき、スイーツ売り場の前で足を止めた。
彼の近くに立っていた俺は彼が発した言葉に電撃が走った。
「ないか。」
確信に近かった。なぜかわからないけど、直感的にそう思った。「彼」だ。
「あの。」
興奮を必死に抑えて俺はとっさに彼に声をかけた。
「はい。」
「みかんゼリーここらへんにはもうないみたいです。」
「へっ。なんで。」
太鼓判が押された瞬間、俺は彼の腕をつかんだ。
「まだ間に合う。」
「えっ。」
「行こう。」
「えっちょっちょと待ってください。なんなんですか急に。」
戸惑う彼を俺は店の外まで連れ出した。
引っ越し業で鍛えた筋力なめんな。
「ちょっと離してくださいよ。」
「彼女はついさっき駅に向かった。今追いかけたら間に合うから。」
「えっどういうことですか。あなた誰なんですか。」
「俺がだれかなんてどうでもいいだろう。電車着ちゃったら乗っていっちゃうぞ。」
「だからなんなんですか。」
「彼女走ってた。」
「えっ」
「ハイヒールで、こんな時間に必死に走ってみかんゼリー探してた。」
「ハイヒール・・」
「俺はあなたたちの事情はわからないけど、でも、俺は夜道を走るってよっぽどのことだと思うんだよ。
大切な誰かに何かあった時とか、自分の身に危険が及んだときとか、そうじゃなきゃあんな必死に走らないよ。
もったいないよ。そんだけの気持ちあんなのにさ。ゼリー一個なかったぐらいでさ。お互い伝えたい気持ちあるんなら言わないと。一生後悔するぞ。絶対に。」
俺のあまりの気迫に相手が驚いているのが分かるが止められなかった。
「今度は君が走る番だろ。二度と会えなくなってもいいのか。まだ間に合う。」
「はっはい。」
「走れ!」
何を偉そうに説教垂れてんだ俺は。
そんなことを言える立場の人間じゃないだろ。
そんな怒りも含まれた声が俺から発せられ、彼は素直に走り出した。
俺もあの時走って追いかければよかった。周囲には方向性の違いなんてありきたりな言葉で押し通したが、俺が仲間だと思っていた奴らのことを何も見ようとしていなかったのだ。
俺の一歩通行な時間をただ過ごしていただけだった。
気づいたら周りに誰もいなかった。見えたのは俺から離れていく後ろ姿だった。
今ならわかる、俺はあの時あの後ろ姿を追いかけるべきだった。そしたら、きっと何か変わっていた。
俺はゆっくり歩きだした。
見上げるといつの間にか雲が無くなっていた。
駅から電車が来るというアナウンスが聞こえる。彼は間に合ったのだろうか。
「間に合っててくれよ。」
満月に向かってそうつぶやいた。
人助けなんてそんなたいそうなことしたつもりはない。
ただの自分のエゴだ。
あの行動で俺自身を変えたかったのだ。それでも妙な高揚感と疲労感と共に帰宅した俺の目に入ってきたのは山積みの洗濯ものだった。
「ああっ!せんっざい!!」
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