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都司さんは人より短い眉根に皺を寄せ、熱いカップを傾けた。遠くを見つめ話を続ける。
「でも浅草オペラは駄目ですね。話を端折るし歌詞も変えるし……失礼ですがとても鑑賞に耐えうるものじゃない」
「おまけに田力のペラゴロがうるせえしな。うちの姐さんも好きだわ」
都司さんは恭の吐いた悪口をきいて、満足そうにコーヒーを飲んだ。
恭の休日に合わせ、二人はまずまず頻繁に遊んでいる。都司さんが帝大にいた頃は朝に電車で落ち合い、夕方さんざん寄り道をして同じ電車で帰っていた仲だ。長く会わずにはいられないのだろう。
恭は何も言わないけれど、都司さんと会った日を私は必ず知っていた。ただいまと行き交うその時に、吸わないはずの煙草の匂いがした。
「お前何で『椿姫』好きなの。こないだも観たって言ってなかったっけ」
「さあ。何故かああいう救いのない悲劇が好きなんです。見てて落ちつく。知らない誰かの不幸を真っ当に悲しんでる自分に安心できるからでしょうね」
都司さんは長い足を組み、二人掛けのソファに凭れた。対面の恭はナプキンで口を拭いながら頷いた。
「まあ、どんなひでえ話でもちゃんと終わると分かってりゃ平気で観てられるしな。俺もたぶん悲劇好きだわ」
「──やっぱり気が合うな。恭さんとは」
都司さんは切長の目を細めて笑った。
「でもあの舞台袖にいた狐は何だったんでしょうね。何かの暗喩かな……全然分からなかった」
恭はそんなのいたか、という気持ちを悟られまいとオムレツを皿の端に寄せくるりと平らげた。
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