最良の日

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「拝啓 先生、ご無沙汰しております。先生が退職されてから本格的に発表された作品は欠かさず拝読しております。とりわけ『○○文學』の『最良の日』は、行間から先生のお声やお人柄までも浮かび上がってきて昔懐かしい思いも抱きつつ毎回楽しみにしております。ところで、突然ですが、冬季休暇をとりましたので、久々に帰郷し、先生の処へもおうかがい致したく……」  門の傍らで白い息を吐きながらそこまで読んだときだった。再び道路際から人の気配がして、顔を上げると当の古川靖樹が照れくさそうにそこに立っているではないか。私は驚いたが、慇懃でありながら少々いたずらっ気のあった彼の性質を思い出してつい頬が緩んでしまった。 「久しぶりだね。よく来てくれた。さあ、上がって」 「先生、突然にすみません」  見かけは社会人が板についているようだったが、はにかんだ笑顔を見せると学生時代に戻った。黒い分厚いコートに身を包んでいる。  玄関に向かいかけて、鍵をかけてあることに気づき、先ほど外に出た掃き出し窓の方に彼を案内した。彼はおとなしくそこまでついてきたが、いざ靴を脱いで少し戸惑ったようなので、さらに彼を室内を通って玄関のほうへと誘った。様子を感じた真知子さんが顔を出し「あら、お客さんですか。言っていただければ準備しておいたのに」と不満そうな表情をする。私と二人きりのときとは違って急に澄ました気配をまとった真知子さんが少々面白く感じられた。
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