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前編「結局あなたの趣味嗜好」
「——では、先にお飲み物をお伺いしましょうか」
そういわれた男は、少し驚いた顔で相手を見た。
いつもと同じグレーの服をきちんと着た相手は、いつもと同じフラットな表情だ。上着のボタンは一番上まで留められている。
男は、おそるおそる尋ねた。
「飲み物が、出るんですか?」
「もちろん出ます。水、フレッシュジュース、シャンパン、ブランデー、ワイン。明日は食事も選べますよ。あなたにとっては特別な一日ですから」
「……ああ。そうですね、特別な一日ですね――僕にとっては」
男は手渡された表を見た。
「ずいぶん、たくさんあるんですね」
「ええ。人によって趣味嗜好が異なりますから。宗教的な要素も含まれますし、体調やアレルギーもかかわってきます」
それを聞いて、男はおかしそうに笑った。思わず声が裏返る。
「……体調やアレルギー?」
「ええ。意思表示をすることは大切な権利です」
「意思表示。僕はこれまで、意志を尊重してこなかったのかもしれません――とくに他人の意志を」
ちら、と相手の顔に何かがよぎった。
驚いているのか、それとも男の変化をゆるやかに受け止めているのか。
いずれにせよ、一瞬だが相手の表情が変わったのだ。
それにつれて、声音も変化した。やわらかく、やさしく。男を励ますように。
「さて、それではご注文をお聞きしましょう。たとえどんなオーダーが出ても、あなたのご希望に1000%したがいます」
「では、夕食にはあなたの肝臓をキドニーパイにしていただきましょうか。
ヒトの肝臓は適切に処理しないと、臭みが残ってまずくなります。
下処理には時間がかかりますから、今すぐ『解体』を始めていただきましょうか」
はあ、と相手は息を吐いた。
「結局、それなんですね、あなたの趣味嗜好は――」
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