阿部先生/amoroso

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阿部先生/amoroso

あっという間に放課後がやって来た。 今日はいつもと違って時間の流れが早い。 休み時間すら爽やかなひと時だった。 「聡くん!阿部先生の所に行くの?」 圭くんが声をかけてくれた。 「うん!これから申し込みに行くところ。」 「先生、喜ぶと思うよ!」 「だと良いね。」 「ところで、部活が始まると家に着く時間が遅くなる事もあるけど、お家の人は大丈夫だった?」 「うん、特に問題なかったよ。むしろ、親的に安心した様子だった高校に上がってから、これと言って学校のことを話した事が無かったから。」 「そっかー!」 「それじゃ、これから先生の所へ行くね。」 「それじゃ、また後でね!」 「ん、また後で!」 廊下を出て目的の場所まで向かう。 まるで新しい世界へ進むダンジョンのような感覚だった。 普段ならこんな事思いもしないだろう。 第2職員室に着いた。 一般教科ではなく、家庭科、美術、音楽など、専門科目の先生が集まる職員室だ。 息を整えてから、ノックを2回した。 “失礼します。1年1組の須賀です。” 中に入ると、コーヒーとおせんべいらしき匂い、それにコピー機の軽快なリズムで満ちている。 僕は恐る恐る中の様子を伺った。 「あーーー!須賀くん!」 すぐに阿部先生が気づいてくれて、明るく迎えてくれた。 「何でしょ?良いお知らせかしら?(笑)」 「はい。昨日、親にも話しました。入部させて頂きたいと思います。」 「やったーー!!きちんと親御様にも話してくれたのね?!」 「はい。それで、何か書くものがあるんですよね?」 「ちょっと待ってね~~♪」 先生はテンションが高い。まるで踊るように手続きの書類を探している。 「はい、どうぞ!」 お茶とチョコレートが差し出された。 「いいんですか?」 「どうぞ~。ちょっと説明に時間がかかるから。」 「いただきます。」 「それじゃ始めましょう。まず、学校の部活動に関する規則、吹奏楽部についてのお知らせ、必ず保護者の方と一緒に読んでサインを頂いてね。それから、入部届けと誓約書。うちの高校は学業との両立を守るために、全生徒に誓約書を書いてもらうの。担任の先生から『テストの合格点以下です、課題の提出が出来てないです、授業中居眠りしてます』って連絡が入ったら、許可が下りるまで部活は出来なくなるから気を付けてね。」 「はい……。」 「うち(吹奏楽部)には今まで一人もいなかったから大丈夫!運動部は毎年何人かいて、中間テストが終わった頃と、高体連が始まる時期に出てくるわね。そうなったら大変。追試を受けたり、放課後に課題をやらないとね(笑)。」 「そんなルールがあるんですね。中学の時だったらアウトでした。」 「ふふっ、そうならないようにね(笑)。先生の下の息子はサッカーやってるけど、いっつも宿題がギリギリ(笑)。あ、あと大事な話し。……残念なんだけど、まだまだうちの部は人数が少ない事は聞いた?」 「はい。」 「何故だかわかる?」 「いえ、理由までは…。」 「この地域の特徴なんだけど、みんな吹奏楽が大好き過ぎて個性がブレンドしないの。」 「…?」 「この地域は吹奏楽が盛んでしょう?」 「はい。」 「小学校の頃からクラブ活動とか、マーチングとか、音楽に触れられる機会に恵まれているの。中学の吹奏楽は特に活動が盛んで、第一中学校は全国大会出場だし、第二中学校も支部大会の常連で、全国大会まであと一歩の実力を持っているの。第三中学校は規模が小さいけど、時々小編成の部門で東日本大会へ出場してるわね。」 「初めて知りました。かなり活発なんですね。」 「そうなの。そういった各学校からうちの高校に進学して、吹奏楽部に入ってくれて、その後に何が起こるか…」 阿部先生は視線を机の先に向けた。 「お茶もう1杯飲む?」 「は、いえ……」 「先生も飲むから、ついでに。」 そう言うと席を立ってお茶を入れ始めた。 チョロチョロと注がれる心地の良い音と、豊かな香りが漂ってくる。 fa4fb8f1-8108-49fe-806c-443319fad770 「はい、どうぞ。」 「ありがとうございます。」 先生は真剣な表情と少し寂しげな目で、再び話し始めた。 「……みんな小学校、中学校と、一生懸命音楽を続けて来て、高校生になる時に、学業に専念する子と音楽を続ける子に分かれるの。高校を卒業すると進む道はバラバラだから、ある意味、高校の吹奏楽は集大成になる子もいるわね。」 「わかる気がします。」 「何となく想像がつくでしょう?……だから、音楽にかける思いはとても強くて、一人ひとりスキルがあって、積み上げてきたものがある個性豊かな子たちなの。故に、それがなかなかひとつの音楽として表現出来ないの。」 「あ、だから合奏練習の時に……」 「須賀くん、何かに気づいた?」 「はい。先生が話していた“課題”ってそういう事なのかなって…。」 「素晴らしい!また説明が短くて済みそうね(笑)。そういう事なの。」 「でも、先生はその事を部活で伝えないんですか?」 「そうね…。仮に先生から伝えてみんなが理解できたとしても、みんなのプライドは傷つくでしょ?」 「はい。」 「自分で気づいて納得できればプライドは傷つかないし、中学までのプライドを壊して新しく作り直せるから。」 「そうですね。」 「だから先生はそれを期待して、ヒントを出して答えを待つの。時々、喉の上まで出そうになるけどね、『ここでの音楽は今までとは違うのよ!』って(笑)。」 「全部ではないですけど、理解できます(笑)。」 「須賀くんは飲み込みが早くて、良い意味で吹奏楽の経験が少ないから、もう一つ大事な事を伝えるわね。」 「はい。」 「経験の少なさを強みにしてね。」 「?」 「さすがに説明が要りそうね(笑)。」 「お願いします(笑)。」 「これまで退部した生徒の理由で一番多かったのは、経験が無くて居づらくなってしまった事。さっきの話しと繋がるんだけど、うちは音楽の経験者が多いから、その中に未経験者が入るだけで気が引ける環境なの。最近、ようやく“経験のある者が未経験者に教える”という基本的な行動がとれるようになってきているけど。」 「あ、そういう言えば…」 「また何か気づいた?」 「圭くんが声をかけてくれた時や、見学の挨拶をした時に、“未経験で始めた人も多い”と聞きました。」 「多いと言うにはまだまだ説得力が足りないけど、去年入部してくれた今の2年生からは結構続けてくれるようになってはいるわね。そうそう、トロンボーンの中村さんも未経験ね。何か言ってなかった?」 「“自分は素人です”って話してました。」 「中村さんは明るい性格だけれど、それでもどこかで経験の差を負い目のように感じるのね。」 「はい……でも、高野さんが僕を含めて丁寧に教えてくれました。」 「彼女は模範的ね。しっかりしてるし。」 「そう思います。」 「そういう文化が育ってくれると嬉しいわね。こんな話は誰にもしたことなくて、須賀くんだけよ?」 「そうなんですか?話してしまっていいんですか?」 「良いも悪いも、もう話しちゃった(笑)。それに、これはみんなに話したい事だから。…ただし、話す相手とタイミングは大切。須賀くんは、相手の話をよく“聴く”からね。経験の少なさは伸びしろになるから、色々な事を吸収して楽しんでね。」 阿部先生は部活の事だけではなく、生徒一人ひとりの事をよくみている。 話す時はなるべく答えが自分で出せるように、何でも分かりやすく伝えてくれる。僕は先生のファンになってしまった。 それからしばらく、僕は部活の説明を受けつつ、時々話が脱線する阿部先生とお茶をもう1杯おかわりした。 「それじゃ、お知らせは親御様としっかり目を通して、必ずサインを貰ってきてね。」 「はい、わかりました。」 「何か分からない事があればここに来て貰っても良いし、ここが入りづらければ、遠慮なく部員の誰かに頼ってね。」 「はい、その時は圭くんに声をかけてみます。」 「同じクラスだったわね。圭くんと須賀くんなら、相性ピッタリね。」 「え?!」 「だって、話しやすいでしょ?」 「あ……はい。」 「それじゃ、今日は合奏がないからまた来週ね。」 「はい、今日はありがとうございました。またよろしくお願いします。」 「はい、よろしくお願いします。」 「失礼します。」 最後に一瞬ドキッとしたけど、先生と話せた時間は楽しくてあっという間だった。 (そうだ、圭くんにもこっそりあげよう。) 僕は入部の報告と、阿部先生から貰ったチョコを渡しに部室へと向かった。 4階へ続く廊下と階段は相変わらず長いけど、足取りは軽い。 僕はまず初めに、同級生の青田さんへ入部の報告をした。 予想はしていたけど、歓声のような声があがった。 さらにその声を聞いて、金管パートメンバー全員が廊下に出てきて、“良かったーー!”“ようこそ!”と、声をかけてくれた。 (やっぱり圭くん、秘密にしてくれてたんだ。) ひと通り落ち着いてから、圭くんがいるフルートの教室へ向かった。 「失礼します。」 「あ、申し込み終わったんだねー!」 「うん、色々先生と話してたら時間がかかっちゃっけど。」 「正式に仲間入り、おめでとう!」 「ありがとう!よろしく。」 「やったね!圭くん、お手柄ー!口説いたんだね!」 青木さんがついてきて、圭くんを褒め称えている。 「僕は口説いてないよー!聡くんが自分で決めてくれたんだよ!」 「ん?“聡くん”……?二人とも既に仲良し?」 「えっ!?仲良しって言うか…、須賀くんが、下の名前で呼んでいいって言ってくれたから…」 「うん、僕からお願いしたんだ。早く仲良くなりたいと思って。」 「?!」 「やっぱ既に仲良しじゃん(笑)!圭くん良かったね!アハハ!」 「!!」 こんなやり取りを何回か繰り返した後、青木さんはようやく解放してくれた。 その後、圭くんに案内してもらいながら、楽器や道具の置き場所、掲示板などを見て回った。 「僕もまだまだ年間スケジュールとか分からない事だらけだけど、普段使うものとか、流れはこんな感じだよ!」 「ありがとう、助かるよ。あ、そうだ!圭くんこれあげる。」 僕はポケットの中で溶けかかったチョコを、こっそり手渡した。 「あ、チョコ!ありがとう!」 「阿部先生から貰ったんだ。みんなの分がないから、圭くんだけ。」 「僕もこっそり貰った事ある(笑)。これ、美味しいよね。」 「うん、好み。」 僕たちは素早くチョコを口に入れた。 どこのメーカーかは分からないけど、ずっと味わっていたい上品な甘さが美味しい。 「いよいよ始まるね!」 「うん、始まる。」 「…チョコ付いてないよね?」 「しっかり付いてる(笑)」 「うわ……(笑)」 お互いに口の周りをしっかり拭いて、チョコが付いて無い事を確かめた。 「うん、大丈夫!」 「OK!」 こうして僕の新しい高校生活がスタートした。
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