体験入部②/Con grazia

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体験入部②/Con grazia

(本当に久しぶりだな…) 僕は準備されたトロンボーンを見つめながら思い出した。 小学4年生の時、全国の小学校を訪問する楽団による演奏会が開かれた。団体名や曲目は覚えてないけど、その中で一番印象に残ったのがトロンボーンだった。 演奏会の中盤に、楽団員による楽器紹介の時間があって、トロンボーンについてこんな紹介をしていた。 『バズーカ砲みたいで面白い楽器でしょう(笑)?トロンボーンは指の動きではなくて、スライドの長さで音を変えますから、演奏方法もユニークですね。トロンボーンを吹く人には変わり者が多いとも言われています(笑)。』 確かに初めて見た瞬間、体育館の照明を浴びながら、キラキラと反射するその存在に釘づけとなった。 でも、僕が惹かれたのはそれだけではなくて、楽団員の言葉だった。 『僕らはトランペットのように軽快なメロディを吹くことはほとんどありませんし、どちらかと言うと目立たない役割の方が多いです。ですが、その代わりに僕らは周りの音や情景を誰よりも繊細に感じ取ります。そして、届けたい思いをしっかり念じて、柔らかなハーモニーで全体を包んだり、軽快なリズムでメロディを後押ししたり、大切な役割を持っています。時には雷のような激しい音で、会場を切り裂く表現をする事もあるんですよ(笑)。』 “届けたい思いを念じる”という言葉に、僕はとても感動した。 「須賀くん、水道はこっちだよー。」 「あ、はい。」 中村先輩が案内をしてくれて、僕はマウスピースを水道ですすいだ。 すすぎ終わって水気を布で拭き取ると、早速音を出す事になった。 音出しは、高野さんがひとつずつガイドをしてくれた。 「それじゃ、早速。須賀くん、唇に傷が あったり、乾燥とかしてない?」 「はい、大丈夫です。」 「おっけーだね。じゃ、久々に音を出すなら、初めに色々と準備をするといいんだけど、マウスピースでどれくらい音が出せるか確認からしてみよう。」 「はい。」 僕はあの頃の記憶を辿りながら、マウスピースを口元に当てて、音を鳴らした。 「すごーい!最初から音が出せてるねー!!」 「先輩、須賀くんは小学校の時に経験してるから。」 「あ、そうだよねー(笑)!」 「……。」 久々に唇の振動を味わった。 あの頃よりもマウスピースがひと回り大きくて、唇が飲まれてしまいそうな感覚もあったが、音が出せた事が嬉しかった。 「マウスピースは大丈夫そうだね。それじゃ、今度は楽器ね。バストロンボーンは少し重くて音が出しにくいけど、今日は試しだから。持ち方とかは覚えてる?」 「はい、大丈夫です。」 「じゃ、スライドはそのままで、基本のB♭の音ね。まず私が吹くから、音を覚えてね。」 高野さんは鮮やかな動きで楽器を持つと、B♭の音を長めに吹いてくれた。 「須賀くんも吹いてみて。」 「はい。」 僕はゆっくりと楽器を構えると、高野さんの音をイメージしながら吹いた。 (B♭…ここだ。) 思ったよりも息が入りにくく、音が揺れてしまったが、何とか音程には届いた。 少しドキドキしている。 「須賀くんすごーい!ちゃんとバストロンボーンの音!!圭くんにも聞かせてあげようよー!」 中村先輩は、はしゃぎながら圭くんを呼びに走って行った。 「須賀くん、経験があるから飲み込み早そうだね!音もしっかりしてるし。」 「あ、いえ…よく出してた音だったので。僕、合奏練習には参加してなかったから楽譜が読めなくて、聞いた音なら何とか。」 「そっちの方が凄いよ!耳が良いんだね。」 「圭くん連れて来たよー!」 中村先輩が圭くんを連れて戻って来た。 圭くんも興味深々の様子だ。 「須賀くん、圭くんにも聞かせてあげて!!もう1回吹いて!」 「僕にも見せて!」 思いがけない注目の的で、僕は照れくさくてその場を離れたかったけど、逃げる訳にもいかず、もう一度みんなの前でB♭の音を出す事にした。 楽器を構えると、ベル越しに圭くんと目が合った。僕は恥ずかしさのピークを迎えて、顔が真っ赤になってしまった。 けれども、何故だかさっきよりも、気持ちが穏やかになっていくのを感じた。 (…ここだ。) 「須賀くんすごい!!音がしっかりしていてよく響いてる!」 「でしょー!?楽器も似合ってるし!男子の音だよねー。」 「須賀くん、飲み込みが早いね!さっきよりも音が安定してる。」 「……。」 褒めらる事には慣れていない。 僕は何て返したら良いか分からなくて、少し顔が赤くなるのを感じながら黙ってしまった。 「僕の思った通り!須賀くん、すごいよ!」 圭くんは僕の側に駆け寄り、無邪気に笑いながら声をかけてくれた。 「…そんな事ないよ。」 「すごく素敵だったよ!優しくて芯のある、僕の好きな音!もっと聞きたいな。」 僕は再び顔が赤くなるのを感じた。 たった一つの音を吹いただけなのに。 「…もう少し吹けるようになったらね。」 「本当に!?」 「うん。」 「嬉しい!約束だよ?」 「…うん!」 僕は顔を赤くしたまま、不器用な笑顔で答えた。 (こんな気持ちは初めて。でも悪くない…。) うまく説明できないけど、優しくて、気高さに包まれるような気分だった。
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