圭くんのフルート/Elegante

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圭くんのフルート/Elegante

僕は音出しを体験してから、パートの基礎練習を見学した。 「できる範囲で大丈夫だから!」と誘われたのけれど、邪魔になってはいけないし、久々の音出しで唇が痛くなってきたこともあって、遠慮したのだ。 中村先輩と高野さんは、前半は、教則本に従って練習を進め、息が合わせにくい部分は入念に何度も繰り返した。後半は、楽譜を使って合奏へ向けた調整を行った。 そして、合奏練習の時間が近づいてきた。 「先輩、そろそろこの辺で良いかな?」 「そうだねー。私、まだまだ追いつかない箇所が何個もあるけど、あとは合奏で確認だね。はぁ…嫌だなぁ。」 「須賀くん、合奏練習は17時から音楽室でやるから、みんなで移動しよう。」 「はい。」 「まだ少し時間があるけど、私は準備があるから先に行くね。先輩と一緒に合流してね!」 「ありがとうございます。」 1年生は率先して、合奏練習に必要な環境や道具を準備をする習慣となっているようで、高野さんはひと足先に音楽室へ向かった。 僕は中村先輩に教わりながら、使わせて頂いたバストロンボーンの手入れと片付けを行い、それから一緒に音楽室へ入った。 僕は用意された見学者用の椅子に腰掛けると、静かに様子を伺った。 音楽室は緊張感が漂っていて、全員がそれぞれの準備をテキパキとこなしていた。 最前列の指揮者台近くに、圭くんの姿を見つけた。リズムを取りながら、真剣な表情で楽譜に何かを書き込んでいる。 僕の緊張も高まっていくようだ。 「須賀くん!楽譜をコピーをしたから、合奏の時に見てみてね!」 中村先輩が合奏曲の楽譜を手渡してくれた。 「ありがとうございます。」 「部員がまだまだ少ないから、何とかこの曲で編成してるの。それじゃ、頑張るね!」 「はい!見学させて頂きます。」 楽譜のトップには、このように書いてある。 ―――――――――――――― Appalachian Spring Aaron Copland ―――――――――――――― (アパラチアの春/アーロン・コープランド…かな。) 部員全員の準備が終わると、クラリネットの音でチューニングが始まった。 僕がさっき吹いたB♭の音だ。 チューニングが終わると、顧問の阿部先生が音楽室に入ってきた。 部長らしき先輩の号令で、開始の挨拶が行われた。 「注目!よろしくお願いします!」 “よろしくお願いします!!” 「はい、よろしくお願いします!まず初めにですが、今日は1名、圭くんの紹介で見学の方が来てくれました。貴重な男子部員になるかも知れません、ふふ(笑)。須賀くん、ひと言いい?」 「は、はいっ……1年1組の須賀 聡です。よ、よろしくお願いします。」 “よろしくお願いします!!(拍手)” (不意打ち…ああ、苦手だ……) 僕はしどろもどろになり、どこに視線を向ければ分からなくなった。 ふと、圭くんと目が会い、微笑みながら手を振ってくれた。 圭くんのお陰で、僕は不器用ながら何とか笑顔で応える事が出来た。 「さて、それでは始めましょう。第二楽章まで。今日は須賀くんも来てくれたから、みなさん素敵な演奏をお願いします!」 “はい!!” 阿部先生は指揮者台に上がると譜面台を調整し、タクトを持つと両手を下ろして目を閉じた。そして、そっと目を開けるとタクトを緩やかに上げた。 とてもゆったりとしたテンポで、第一楽章が始まった。 澄み切った風景の中で何かが彩り良く現れるように、クラリネットの音が響いて来る。 心地良さに浸っていると、突然第二楽章へと場面が切り替わった。 僕は息を飲み、音の世界へ引き込まれて行く。 Allegroの速さで様々な楽器の掛け合いが進み、まるで視界が開けるように、音楽室全体に豊かで厳かな旋律が響いた。 そして、第二楽章が終わりに近づいた時、圭くんのフルートのソロが響いてきた。 フルートを持つ手は美しく、体全体をしなやかに動かし、優しく丁寧に奏でている。横顔しか見えないけれど、歌ったり、問いかけたりする圭くんの表情が浮かんで来るようだった。 (何故だろう…) 明るくて穏やかな旋律なのに、何故だか僕は切ない気持ちが溢れそうだった。 余韻を残し、クラリネットとフルートの音で第二楽章が終了した。 けれど、僕の鼓動は速く続いていた。
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