みんなが抱える課題/serioso

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みんなが抱える課題/serioso

阿部先生がタクトを下げると、部員の溜め息が聞こえてきた。 みんなそれぞれ自分の演奏に納得がいかないようだ。 トロンボーンの中村先輩も苦い表情を浮かべて顔を傾けている。 ソロを演奏した圭くんも肩をすくめている様子だった。 演奏をしている姿を見るのは初めてだったけれど、少し元気がない圭くんを見るのも初めてだった。 演奏が良くなかったとは思えないし、僕にはみんなの様子が予想外だった。 4f0bccd3-8e71-4d61-b176-c0f7b1eb47c3 先生はタクトをドラムスティックに持ち替えてから問いかけた。 「みなさん、短期間でよく練習していると思います。ですが…いつも言うように、みなさんの課題点は何でしたでしょうか?……それじゃ、最初に目が合った圭くん。」 「はい。…きく(・・)ことです。」 「そうでしたね。きく(・・)ことが大切だというお話をしました。それじゃ、きく(・・)ということは、どういうことでしょうか?」 「…。」 「はい、圭くんありがとう。ここは難しく考える必要はないのよ。それでは他の誰かに……須賀くん!」 「は、はいっ。」 「きく(・・)という字を漢字で黒板に書いてくれる?全体に見えるようになるべく大きく書いてみて!」 「はい。」 (目が合ってしまった…そしてまた不意打ち…) 僕は席を立つと、手元に集まる視線を感じながら、深緑色に黄色の五線譜が引いてある黒板に、“聴く”と書いた。 「素晴らしい(拍手)!須賀くん、ありがとう!席に戻っていいですよ。初めから“聴く”という字を書いてくれるとは思いませんでした。須賀くんのおかげで、説明が短くて済みそうです(笑)。」 笑いながら言うと、先生は僕が書いた“聴く”の隣に、“聞く”という字を書き足した。 「みなさん、この二つのきく(・・)の意味の違いは分かりますか?そして、みなさんが感じている課題の、きく(・・)とは、どういうことでしょうか?」 ……。 「答えを出すことは簡単ではないですね。ですが、ここは先生から説明するよりも、みなさん一人ひとりが考えて答えを出した方が良いと思っています!それじゃヒントを出しましょう。考えるヒントは須賀くんです。ふふ(笑)。」 (…僕?) 先生はすぐに答えを求めず、考える時間とヒントを与えた。 (“聴く”と“聞く”の違いは何となくわかるけど…) 先生の真意は分からなかったが、僕が書いた“聴く”という事について、部活のみんなが抱える課題があることが分かった。 「それでは、今日は“聴く”ということの意味を考えながら進めましょう。一番初めに戻って出だしから…」 先生はスコア(=総譜)の一番最初のページをめくり、スティックでリズムとカウントを刻んだ。そして楽器パートごとに合奏練習が始まった。 僕は見学をしながら、さっき先生が話していたことを頭の中で繰り返していた。確かに簡単に答えが出せそうなものではない。けれども、何となく…。何となくだけど、僕にも分かりそうな気がする。 (僕もそれを知りたい…) いつの間にか時計の針は18時を過ぎていた。 さっき先生から「時間は大丈夫?」と心配されたけど、「最後まで見学させてください。」と伝えていた。 僕は圭くんのいるこの世界に完全に惹きこまれていた。
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