僕、入部するよ。/passionato

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僕、入部するよ。/passionato

練習は19時近くまで続いていた。 時には1小節のみを何度も繰り返し、それぞれの楽譜には、次の合奏練習までの課題となる、メモ書きや蛍光ペンのマーカーであふれている。 「それでは最後に、第2楽章まで通して終わりましょう。今日伝えたことを意識してください。」 “はい!!” 阿部先生は再びタクトを上げ、今日の仕上げとなる合奏が始まった。 最初に聴いた演奏よりも音が柔らかく、色や形がはっきりと表れているように感じられた。 「はい、良いでしょう!それでは、次は来週火曜日の17時から。須賀くん!今日は最後まで見学してくれてありがとう!もし質問などがあれば、私のところへ来てくれても良いし、圭くんに色々と聞いてみてくれても良いですからね!」 「はい!今日はありがとうございました。」 ”拍手” 「期待してます(笑)!それでは、終了にしましょう。」 「注目!ありがとうございました!」 ”ありがとうございました!!” 僕は中村先輩と高野さんのもとへ行き、あらためて見学のお礼を伝えた。 「中村先輩、高野さん、今日はありがとうございました。」 「こちらこそ!来てもらえてよかったー!明日は何時に来る?!(笑)」 「え…と……。」 「先輩!須賀くん困ってますよ(笑)。」 「あ、ごめんなさーい!でも、来てくれたら大歓迎だよ!」 「私も先輩と同じですよ。トロンボーンが3人になったら音楽の幅も広がるし、須賀くん、バストロンボーンの扱いも丁寧だし、もし良かったら参加してもらえると本当に助かる。」 「ありがとうございます。」 とても嬉しい言葉をかけて貰った。 「僕でよければ。」と、返事をしても良いくらいの気持ちだったが、その場では特に結論は出さなかった。 僕は二人に、後片付けの手伝いを申し出たが、「見学の人は大丈夫だから!」と、あっさり断られてしまった。 (19時か。そろそろ帰ろう。) 今日は体験入部で遅くなる事を親に伝えていたけれど、さすがにいつもより遅くなり過ぎてしまった。念の為、家族用チャットに「今から帰ります。」と、メッセージを残そうとした時、圭くんが声をかけてくれた。 「須賀くん、今日は来てくれてありがとう!!…どうだったかな?」 期待と不安を抱えたような声で、つぶらな瞳が僕を見上げた。 「来てよかった。」 僕はそう答えた。 珍しく、胸の中に色々な思いがこみ上げている。久しぶりに音を出せたこと、演奏に感動したこと、阿部先生が話したこと。 「本当?!嬉しい!良ければお話ししたいな!……けど、今日は合奏練習で遅くなっちゃったね。須賀くん、家の人心配しているでしょ?」 「ううん、ちょっと待ってて。」 (僕も圭くんと話したいんだ。) 僕は入力途中だった家族用チャットを開き、 「いま終わりました。片づけとか色々あるから、20時くらいに帰ります。」と修正してから送信した。 すぐに既読マークがついて、「気を付けてね。」と返ってきた。 「家には連絡したから、大丈夫。圭くんは?」 「僕はいつもこれくらいだから大丈夫だよ!」 「良かった。もう片付けは終わった?何か手伝う?」 「んとね…、最後にモップをかけてから机と椅子を元に戻すんだけど、須賀くんは大丈夫だよ!もう少しで終わるから、待っててもらえるかな?」 「ううん、僕も手伝いたい。」 「いいの?」 「うん。待ってるよりいいから。」 「ありがとう!それじゃ、モップは数が足りないから、一緒に机と椅子を戻そう。」 「うん。」 音楽室の外はすっかり薄暗くなっていて、僕たちの姿が窓ガラスに反射して見える。音楽室の後ろから黒板に向かって、同じ姿勢で椅子と机を運ぶ圭くんと僕の姿が見えて、何故だか思わず、クスッと笑ってしまった。 片付けを済ませると、僕は阿部先生と先輩たちに挨拶をしてから、圭くんと一緒に昇降口へと向かった。放課後が過ぎ、すっかり夜に包まれた校舎には生徒の姿は無く、暗くなった教室が妙な存在感を放っていた。 e889a823-a25f-4b1f-bb29-1eee012d91f6 「すっかり遅くなっちゃったね。もう誰もいない。」 「いつもこれくらいの時間まで練習するの?」 「いつもはもっと早く終わるんだけど、6月に地区の演奏会に参加するから、最近はこれくらいかな。」 「そうなんだ。僕も試合の前は遅くまで練習してたけど、吹奏楽部も遅くまで練習するんだね。」 「うん。コンクールが近づくと、もっと遅くなることもあるから、ある意味で体育会系かもしれない(笑)。」 「体育会系(笑)…見た目とは違うこともあるんだね。今日、見学をさせてもらって、僕も色々感じたよ。」 「そうだよね、周りから見える事と、実際に中で起きていることは全然違うから…。」 昇降口に着いた。 ふと見ると、圭くんはさみしそうな表情を浮かべている。 (…?) 僕が声をかけようとすると、圭くんはさっきと同じような瞳で僕を見上げた。 そして、何かに怯える動物のように、小さな声で訊ねた。 「…須賀くん、今日の体験入部はどうだったかな?…もし、良ければ…気が向いた時でも大丈夫だから…また来てくれると嬉しいな…。」 (圭くん…。) 僕は思わず、圭くんの左肩に自分の手を添えた。 とても華奢な肩が小刻みに震えている。 (もう、このままでいい。このまま伝えよう。) 僕は素直に微笑みながら答えた。 「行くよ。」 「?!」 「もう決めてたんだ。僕、入部するよ。」 「本当に?!」 「うん。圭くんと一緒に、吹奏楽したい。まだ先生にも、誰にも言ってなくて、一番最初に圭くんに伝えたかったんだ。僕を誘ってくれたから。」 「嬉しい!!あぁ、良かった!…断られるかも知れないって思ってた。」 「ふふっ、断らないよ(笑)。もう安心して。」 「…うん!」 圭くんは目の周りと耳を赤くしながら、ありったけの笑顔を見せてくれた。 ずっと不安を抱えながら、僕に声をかけるタイミングを伺っていたのかと思うと、切ない気持ちが溢れてきた。 僕はまだ、圭くんの肩に添えた手を離さないでいた。 圭くんの肩も小刻みに震えたままだ。 僕は圭くんの瞳と泣きぼくろ見つめてから、唇に視線を移した。 明るいもも色の唇が、微かにきゅっとなった。
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