アッチの話してみた の巻

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ここのところ不安定な天気が続いていたけれど、今日は久しぶりにからりと晴れて、Tシャツ一枚でも過ごせそうな陽気だ。愛実は、みんながすでに集まっているだろう、並木道沿いのテーブルを目指して歩く。今日は、機工科の教授と職員からのヒアリングがあった。アンケート結果を提出してから何度か呼び出されたけれど、おそらくこれが最後になるだろう。 道を挟んだ少し先のテーブルに、四人の姿を見つける。大地が話している声がここまで届く。 「ダッドも似たようなことがあったんだって」 「バイト先の韓国料理屋さんみたいな?」 「うちは店じゃなくて塾だけどさ。すごくわかるって言ってた」 愛実は、ふと立ち止まって、少し離れたところから四人を見つめた。なぜか急に、自分たちが出会っていつの間にか友達になっているのが、とても不思議なことのように思えた。 二人の女子学生が、映見の元に駆け寄ってくる。 「あのー、六角さんでしょ? 学部の放送見たよ」 「コメント感動したよ~」 映見がコメントを出したのは、「見えない被害者」でいない方が、直接攻撃される心配が減ると思ったからだと言っていた。さすがに顔を出して話すのは、教授たちに止められたらしいけれど。顔や名前は出さなくとも、映見が当事者だということはある程度知られている。もし何かしようとする人間がいても、守ってくれる好意的なまなざしが、放送以後増えたと感じるという。 檸檬が愛実の姿に気付いて「あっ」と手を上げる。 「まなちん!」 四人の元へ、少し速足で歩み寄る愛実に、冬人が振り向きながら問う。 「どうなった?」 愛実は笑顔を浮かべると、勢いよく腕で大きな丸を描く。みんながやった! と手を取り合う。 「女子だけを対象にした声掛けは原則禁止、サポート係は性別を特定せず公募するように、学科から通告を出すって」 「すごい! これまで変えられなかったことを変えたんだよ、愛実」 映見が目をきらきらさせながら、愛実の手を両手でぎゅっと握る。前にもこんな風に手を握ってくれたことがあった、と愛実は思い出す。 「まあ、これでセクハラが全部消えるってわけじゃないけど」 そう言いつつも、愛実の声は明るい。映見の肩をぽんと叩いて隣に座る。 と同時に、檸檬の顔を見て、愛実の顔がにやーっと緩んだ。 「それより聞いたよ〜、堂々交際宣言だって?」 「……もー、直哉さんあの人、することまじでミラクルなんだよ!」  それは直哉が檸檬に、「付き合っていることを他の人にも話していいか」と確認してきた翌日のことだった。檸檬は直哉さえよければオーケーだったけれど、まさかちょうど次の日細井が 「相変わらずお前ら仲良いなあ、付き合ってんの?」  なんて、軽口を叩いてくるとも思わなかったし、それに対して直哉が 「はい。真剣に交際しています」  なんて、親に結婚の挨拶に行ったような返しをするとも思わなかった。  愛実と冬人はゲラゲラ笑っている。 「私も最近やっとわかってきたけど、高坂先輩って真面目すぎてクソ面白い人だよね」 「檸檬、ますます時の人になっちゃうな」  直哉が檸檬を抱きしめていたのが目撃されてから、二人がリアルカップルなのか否かと、学部中から注目が集まっていた。 「あの先輩、すごい人気者なんだね。うちの学部でも『高坂先輩がゲイだったなんて〜』って嘆いてる女子がいたよ」  大地からの良いのか悪いのかわからない情報に愛実が「まじで!?」と声を上げるけれど、檸檬はその時、別のことを考えていた。 「……あのさあ俺、ちょっと前から考えてるんだけど……」  直哉が交際を公にしていいか聞いてきた時、檸檬は逆に聞き返した。 「俺は前から知られてるからいいけど、直哉さんは元々ヘテロだったのに、大丈夫?」  直哉はその質問に、「うーん」と唸った。 「俺は……たぶん元々ゲイか、それに近いセクシャリティだったと思う。檸檬に対するような気持ちで女性に惹かれたことはないし、性的にもおそらくそうだ」  檸檬は「へえ……」と頷き返す。しかし、はて? と首をかしげた。 「『それに近いセクシャリティ』って?」  直哉は檸檬を見つめる。何度か見覚えのある、気遣うような視線。 「……檸檬は、性別の区別があまりわからないと言っていたろ。それって、自分に対してもなのか?」  檸檬はその時、反射的に、「え、いや俺は男だよ」と返した。けれど、それからずっとそのことが頭に残っている。  ──空気を読んで人の求める態度を取ることはわりに得意だから、自分がどうふるまい、どんな言葉遣いや自己表現をすればいいのか、昔から周りを観察して習得してきた。でも小さい頃は、もっと混乱していた気がする。  それは女の子がすることだよ、違うよ、と注意する大人たちは、たいてい笑っているかちょっと驚いているかで、そんなにきつく叱られた覚えはないけれど、檸檬にとっては気づかないうちに自分が「違う」ことをしてしまうことが、大きな恐怖だった。 「俺は必死で男になろうとしてきただけで、本当は違ったのかな? ……って思ったりするけど、でも女でもないし……。そもそも性別の意味がよくわかんないのかも、俺」  じっと聞いているみんなの中で、不意に、映見が口を開いた。 「……檸檬、『ノンバイナリー』って聞いたことある?」 木漏れ日が、眩しく鋭角な夏の日差しの雰囲気をまとって、みんなが囲むテーブルの上に静かに落ちていた。
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