2.聖天使城の夕日

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2.聖天使城の夕日

 パオラは積極的に話しかけてくれて、ちょっとしたことで――たとえば「マッキネッタ」と呼ばれるエスプレッソ抽出器で朝のコーヒーを淹れられたとき――「ブラーバラガッツァー、ヒロミーナ♪(ヒロミちゃんは賢い女の子)」と歌ってくれた。ちっとも賢くない。1日に1度は何らかの失敗をする。  姉妹が留守のときは電話に出るように言われている。電話が鳴ると緊張する。それでも役に立つ人間であることを示したくて受話器を取る。  電話の声の主は若い女性。「パオラはいる?」 「いません、今、誰もいないんです」 「ああ、そうなの」 「お名前は?」 「フランチェスカ」  ちゃんと名前まで訊けた。これは留守番役として合格だろう。  買い物から帰ってきたパオラに、自慢げに「電話があったよ」と報告する。 「そうなの? 誰から?」 「フランチェスカ」 「どこのフランチェスカ?」 「えっと、『どこ』って?」  イタリア人の名前はキリスト教の聖人からもらう場合が多く、バラエティが少ない。たとえば雑踏の中で「ジョヴァンニ!」と呼びかけたら、少なくとも3人は振り返るだろう。フランチェスカもまた大変に人気のある名前の一つである。あまりにも多いため、フランチェスカだけではどこのフランチェスカだかわからないのだ。  言葉にも文化にも慣れず、何もかもできない自分にがっかりする。  三姉妹のボーイフレンドが遊びにくるときは私の部屋のドアを閉められる。仲間に入りたいわけではないが、邪魔者である気がして寂しくなる。  なるべくアパートにはいたくない。  語学学校の授業は朝9時から昼1時までの4時間。ローマ駅の近くまでバスで通学する。  登校初日に学んだこと。イタリア人の女性は脇毛にルーズである。  半袖からボーボーの脇毛が見えても気にしない。女性講師がホワイトボードに文字を書くたびに露出する脇毛に私はハラハラするが、当人はまったく気にしない態度である。  授業の合間に近くのカフェに皆で移動し、コーヒーを飲む時間が楽しい。先生に教えてもらった飲み方を試す。イタリアでコーヒー(カッフェー)を注文すれば、エスプレッソコーヒーが出てくる。小さなカップに入った、とことん濃いコーヒーである。先生のおすすめの飲み方は、砂糖も加えないブラックコーヒーに、ペルージャ産のキスチョコ「バーチョ・ペルジーノ」を一粒。コーヒーの苦みと溶け出したチョコの甘みが口の中で合わさり絶妙である。着いてまだ数日なのに、コーヒーとばら売りのバーチョを注文するやり方が、いかにも通である感じがして嬉しくなる。  授業が終わってもアパートに帰りたくないので、街を散策する。  渋滞の脇を歩く。トレビの泉でコインを投げたり、スペイン広場の階段で風に吹かれたりした。買い食いも楽しい。量り売りのピッツァを食べたい大きさだけ切ってもらう。大きなナスビを縦に薄切りして載せた「ピッツァ・コン・メランツァーネ」がお気に入りだ。チーズ入りのライスコロッケ「スップリ」もいい。チーズがどこまでも伸びていく。スップリを持つ手を腕をぐーんと前に突き出してもチーズが切れない。チーズの線の延長線上に、ローマの青空がどこまでも広がっている。  ローマの中には、ヴァチカン市国と呼ばれる国が存在する。小さいが立派な都市国家で、ローマ・カトリックの総本山「サン・ピエトロ大聖堂」がある。  ヴァチカンにはミケランジェロやラファエロを始めとする名高い芸術家の作品でいっぱいだ。宮殿の中のラファエル作の壁画「アテネの学堂」は、私の観たい作品の一つだった。  頭がぼんやりとする。かの有名な「アテネの学堂」が私の目の前にあるなんて。古代ギリシアの哲人たちが学堂に会している。中心に描かれている人物はプラトンとその弟子・アリストテレス。2人の議論の熱さと揺るぎない師弟関係が伝わってくる。  ときには公園へ、ときには図書館へ。アパートに帰りたくないがために、本当によく歩いた。  歩くと、いろいろな発見がある。  イタリア語で真面目な会話している紳士同士。熱心に話している姿は、いかにも哲学的難問についての議論の最中に見える。そう、ちょうど「アテネの学堂」のプラトンとアリストテレスみたいに。だが実際に耳を澄ませてみると、「いや、パンにはマーマレードだね」、「いやいや、私はヌテッラ(チョコレートペースト)だよ」といった庶民的な食べ物の話である。食べ物で盛り上がるのは万国共通だろう。  イタリア人の男性は、おしなべて女性に優しい。イタリア語が片言で怪しい東洋人の私であっても。  夕刻が近づいても帰る気になれない日。  遅くなる日は電話連絡をする約束になっていた。公衆電話に駆け込むが、小銭が使えない。どうやらテレフォンカードがなければかけられないようだ。  ボルゲーゼ公園の真ん中である。テレフォンカードの買える場所がわからない。  売店でもないかと周囲を見回す。ない。5人ほどの中年男性がたばこを吸いながら歓談していたので、片言のイタリア語で訊いてみることにした。 「私は電話をかけたいのですが」  男たちがいっせいに私を見る。 「ですがテレフォンカードを持っていません。どこで買えますか?」  筋骨隆々のタンクトップの男が「シニョリーナ、このへんに店はないよ。公園を出ないと」と教えてくれる。  店が見つかるまでに夜になってしまいそうだ。お礼を行って去ろうとしたとき、「ちょっと待って」と。 「どこに電話したいんだ?」 「ローマですよ、シニョーレ」  本当は「ローマ内のホストファミリーに連絡がしたい」と伝えたいが、イタリア語が口をついて出てこない。 「だったら、これでかけなよ」  男は財布から自分のテレフォンカードを取り出す。  テレフォンカードを借りて、再び電話ボックスへ。無事にパオラに連絡ができた。  電話ボックスから出たあと、男に礼を述べる。テレフォンカードに1000リラ札(当時のイタリアの通過はユーロではなくリラだった)を添えて渡そうとしたら、男は「それぐらいの金額を女性に請求する野暮な男だとは思われたくない」とでも言いたげに肩をすくめ、テレフォンカードだけを受け取って胸ポケットにしまった。  男たちのもとを離れ、下町に向かって歩く。地下鉄に乗り、信号を渡り、川沿いを歩いた。  ローマの下町トラステヴェレ。中世都市と見まがうようなレンガ造りの家々が立ち並ぶ小道を歩く。バルコニーに干された洗濯物が、生活感を漂わせていた。  人々の生活の様子を物珍しく観察しながら歩く間に、目的地に到着した。  カステル・サンタンジェロ――聖天使城である。  かつては城塞として使われていた城で、二段重ねのケーキの形状をしている。  語学学校でローマで行きたい観光地を訪ねられたときに「カステル・サンタンジェロに行きたいです。形がケーキみたいだから」と答えたが、先生に「それは城ではなくケーキが好きなだけじゃない?」と笑われた。そうとも言える。こんな巨大なケーキが目の前に現れたら大喜びするだろう。  ベルニーニ作の天使像が並ぶ橋を渡り、憧れの城の中へ。  城の上からトラステヴェレの町並みを眺める。  だんだんと日が暮れて、空がくすんでいく。頰を撫でる心地よい風。家々の灯りが一つずつ点る。どこかで子供の笑い声がした。  家々の一つ一つに家族が住み、さまざまな悩みや喜びを共有しながら生活している――そう考えると心が穏やかになっていく。  この風景をジホにも見せてあげたい。  日本で私と同じ大学にいる、韓国人留学生だ。私はジホに一方的に片想いをしていた。  次の夏休みには、ジホは留学期間を終えて韓国に帰る。日本でジホと一緒にいられる貴重な時間に日本を出て本当に良かったのか。わからない。残酷にも、別れの時は刻一刻と近づいてくる。ただ私にはジホから離れるしか選択肢がなかったようにも感じる。客観的に見れば私のアプローチは不十分この上ないだろうが、自分の気持ちを伝えることが苦手な私にしては十分に想いを伝えた。それでも受け容れてもらえなかったのだから、他にできることはない。  私はジホとこの風景を共有したいと願うが、ジホは願っていない。私が日本を離れていようが、ジホはまったく関心がないだろう。そう考えるといたたまれなく、夕日とともに心は沈んでいった。まもなく夕闇がやってくる。
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