4.ルチア

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4.ルチア

 イタリアには2種類のカフェがある。カフェテリアとバールだ。  カフェテリアはどちらかというと高級なイメージ。テーブルでコーヒーを楽しみながら大切な人と語らうには打ってつけな場所だろう。  バールはカフェテリアよりも気軽に入れる雰囲気だ。もともと英語の「バー」と同義で「棒」あるいは「止まり木」を指す。小鳥が止まり木でちょっと一休み。友がいれば軽いおしゃべりを楽しみ、ぱっと出ていく。  ローマでは、少し歩けばバールにぶつかる。人口におけるバールの数は深刻な飽和状態にもかかわらず、どの店もおしなべて賑わっている。  朝に通学路のバールでイタリア人に紛れてコーヒーを飲む時間が好きだ。  はじめは気後れして注文できず、気づいてもらえるまでバリスタ(バールの店員)の目をじーっと見つめる奇行にはしっていたが、教科書どおりの定型表現ではあるが「ウン・カッフェー・ペル・ファヴォーレ(コーヒーをお願いします)」と言えるようになった。目を覚ましたいときはカッフェー――濃いエスプレッソコーヒー。ミルクの甘さを楽しみたい日はカップッチーノ。ちなみにカップッチーノの語源はカプチン派の修道士である。彼らの被る頭巾を丸く盛られたコーヒーミルクの泡に見いだしている。修道士の頭を想像しながらだと飲みにくくはあるが、イタリア人たちのユーモアに富んだ発想が楽しい。  バールに限らず何の店でも、入るときは店員への挨拶が礼儀である。日本だと店員に「いらっしゃいませ」と呼びかけられるが、イタリアでは客から挨拶する。「店」という店主が作り上げてきた世界に入らせてもらう、という敬意のこもった態度だろう。  何もかもが新鮮。  町を歩けばイタリア語の看板がある。耳にする言葉もイタリア語。考えてみれば、私が「流暢に話してみたい」と憧れる言語について、ここでは皆がエキスパートだ。それだけで尊敬する。私とはまったく違うルーツの、ラテンの血の流れる人たち。古代にはギリシア式の集会で議論を重ね、ルネサンスを経て脈々と受け継がれてきたルールの末裔たちなのだと考えると意味深い。  そもそもイタリア人からすれば、東洋の端っこの島国の人間が、何を思ってイタリア語を学ぼうとしているのか謎だろう。私自身にだってわからない。「縁」としか言いようのない流れである。  とにかくジパングからえっちらおっちらやってきた私にはわからないことだらけで、できない自分にがっかりすることも。それでも、できないからこそ成長の喜びがある。子供は成長に忙しい。はいはいの次につかまり歩きができるようになり、急に言葉を覚える。だが大人になると成長のない自分に落胆する経験は多々あれど、「これができるようになった」と胸を張れる積み上げが実に少ない。何もかもが初体験の外国だと事情が異なる。イタリア語にしても現地の慣行にしても、少しずつだが毎日、できることが増えていく。  語学学校で友人もできた。  ルチアは韓国人。韓国語の名前は外国人とって発音が難しいので、語学学校のではカトリックの洗礼名を使っていた。私より4つ上の24歳で、大人びた雰囲気だ。強めにウェーブをかけた豊かな髪と、きっちり引いた赤い口紅が似合う。 「えーっ、ヒロミって、そうなの?」 「うん、実はね」  恥ずかしいけれど。  たまたま隣に座ったときに、日本に残してきた意中の韓国人留学生について打ち明けたら話が弾んだ。女子は世界共通で恋バナが好きな生き物である。 「その人、なんて名前?」 「ジホだよ。去年、キャンパスでたまたま見かけた。そのときから夢中で。向こうは私に興味がないけど」 「どんなところが好きなの?」  ルチアと私は英語もできないので、片言のイタリア語で話すしかない。知っている単語をつなぎ合わせて、なんとか言葉をつむいでいく。いちいち時間がかかるし、ぴったりの言葉が見つからなくてもどかしい。ジホの魅力を表現するにはぜんぜん足りない。 「いつも楽しそうなところ。笑うとかわいい。勉強も趣味も一生懸命。昼休みにひとりで身体を鍛えてる」  私よりも四文字熟語を知っていて、最近になって覚えた「愚公移山(ぐこういざん)」とか「才華蓋世(さいかがいせい)」なんて言葉を嬉しそうに使うところ。  つまりは何もかも大好きである。  ルチアはノートをちぎり、ハングル文字を綴りはじめる。ペン先が罫線の上を流暢に動き、女の子らしい文字が生まれていく。ときどきペンのお尻で顎を押さえて考えながらも、着実に書き上げる。  ページを文字ですっかり埋めたあとで、「はい、ジホさんにお手紙」と差し出す。 「『ヒロミはとってもいい子です。私が保証します。ジホさんのことを心から大切に思っていますので、どうか大事にしてあげてください』って。日本に帰ったら渡してね」  先生がやってきたので、私たちのおしゃべりは中断された。  ルチアに小声で「グラッツィエ(ありがとう)」と伝え、自分のノートを開いた。ルチアの手紙をノートに載せて、授業が始まってからも読めないハングル文字をうっとりと眺めた。  これで日本に帰ったあとに、少なくとも一度はジホに話しかける口実ができた。  今思えば、ルチアについていろいろと質問しておけばよかった。なぜイタリア語を学んでいるのか、どんな想いでローマにいるのか。言葉の壁がなかったら、もっと突っ込んだところまで質問しただろう。だが果たして、共通言語を話せたとして互いの理解が進んだかどうか。もしかすると言葉の壁がない状況でのつつがない意思疎通ができるものと過信して、かえって互いの真意を見抜けない事態に陥っていた可能性もある。言葉による意思疎通が不自由なだからこそ、ルチアの純朴な心根を肌で感じられる気がした。  私たちはなんとなく気が合った。少なくとも私はそう感じていた。学校が終わってからもルチアと過ごす日が増えていく。  ルチアの家は観光地から離れた郊外の一角にある。古い石造りのアパートが路地に並んでいる。バルコニーに洗濯物が干してあり、室内から子供たちの笑い声や泣き声が聞こえてくる。無計画な町作りで、建物がでたらめに配置されている。道案内がなければ二度とたどり着けないだろう――狭い小道を何度も曲がった。  年季の入った一軒家だった。灯りの照度が低くて薄暗い。すべてがルチアの所有物なのか貸主が置きっぱなしの物なのか不明だが、家の中にやたらと物が多い。奥の部屋に進むには、中身が不明の段ボール箱の間に身体を滑り込ませる必要があった。特に鏡台の周りには化粧品が溢れていた。 「ヒロミはもう少しはっきりしたメイクのほうが似合うよ」  ルチアは普段使いで愛用している深い赤色の口紅をスティックから筆ですくって、私の唇に塗ってくれた。ルチアと私の唇の色が同じになる。  同調。  ルチアに心を開きつつある自分がわかる。アパートのイタリア人三姉妹とはまったく反りが合わない私だが、ルチアの穏やかさと一生懸命に話しかけなくても、私自身そのものを笑って受け容れてくれる感じがした。  ときにはルチアの友だちと同行する。  韓国人は結束力が強いのかもしれない。ローマにいながらルチアの周りには常に韓国人の仲間がいて、知り合いを何人も紹介してもらった。私はルチアに紹介できる日本人が一人もおらず、人脈のなさに恥ずかしい気分だった。  韓国風の居酒屋での集いに入れてもらう。居酒屋は駅前の、アラブ人の集落のある区域にあった。店員も客もほとんどが韓国人だ。ステンレスの皿と鉄の箸の扱いに戸惑いながら、ピリ辛の料理をちびちびとやる。ルチアの知り合いの男性三人組が、私の目の前で陽気に話している。何を話しているのかわからないが、とても楽しそうなのでこちらも気分が良い。男性の一人が私に韓国語で話しかけてきた。ルチアの通訳によると、「僕らが粗野でごめんなさい」とのこと。きっと的確な言葉はちがう。「僕らが日本語やイタリア語を話せないから放っておいてごめんね」とか、「つまらないのではと心配だ」とか、おそらくそのあたりを伝えたいのだ。言葉はどれでも構わない。大丈夫、私は十分に愉快だ。少なくともアパートに戻って肩身の狭い想いをするよりはずっと。  終末の小旅行にも誘ってくれた。ルチアの知人である韓国人のカップルと一緒だ。  ティヴォリはローマの東に位置する都市で、古代より皇帝や名家の別荘地として知られている。中でもエステ家の別荘は有名で、ユネスコ世界遺産にも登録されている。庭園には大小五百もの趣向を凝らした噴水がある。娯楽の少なかった時代には、主人はゲストを楽しませるために噴水を増やし続けたのだろう。水を高く噴き上げる噴水、一定間隔に一列に並ぶ噴水、女性の像の乳房から勢いよく流れ出る水。あっちを見てもこっちを向いても噴水である。これだけの量の水を扱うには、維持費だけでもかなりの財力を使っただろう。庭園に贅(ぜい)を尽くせる豊かさに圧倒される。生活の心配をすることなく、ただ客人を驚かせるために噴水のアイデアを考えていられる時間の余裕こそが豊かさだ。エステ家の主に想いを馳せつつ庭園を回った。  韓国人は写真を撮るのが好きなお国柄なのだろうか。私以外の三人は、十歩進むごとに写真を撮影する。  噴水を背景にルチアがカップルを写す。肩を寄せ合う二人はとても幸せそうに見えた。好きな人とティヴォリを散策できたら最高だろう。私もジホとイタリアを旅してみたい。想像すると――ああ、妄想にまるでリアリティがない。勉強のためとはいえ、ジホが日本にいる貴重な期間にイタリアに来た自分の行動が合っていたかどうか。日本にいたとしても、春休み期間中はほどんと会えなかっただろうが。  ティヴォリの帰りに例によって例の韓国居酒屋で4人揃って鍋を囲む。カップルの女性は少しだけイタリア語が話せるので、男性の言葉を通訳してくれた。 「これまで日本人と話したことがなかった。まさか一緒に出かける機会があるなんて。これまで学校で日本は敵であるように教育されていたから、正直なところ日本に対していい感情は持っていなかったけど、今日で気持ちが変わった」  女性が通訳する間、男性はずっと私の目を見ていた。互いに言葉を交わさなくても、行動を共にする中で「何か」が伝わり、「何か」を感じてくれたのだろう。思いかけず国際問題にささやかながら貢献できて、私は気を良くした。  これもルチアがつないでくれた縁のおかげだ。  ルチアと一緒にいたい。  互いにもっと話せるようになれば、私たちは親友になれるはずだ。きっと韓国人の人間同士の付き合いでは当然の距離感なのだろうが、私にはとても親密に感じられた。家族とはうまくいっていなかったし、日本での友人だとどことなく距離を感じた。こんなに居心地のいい人間関係は私にとって初めての体験だったかもしれない。  儒教の国である韓国では、年長者を尊重する文化がある。血はつながっていなくても年長者を「お兄さん(オッパ)」、「お姉さん(オンニ)」と呼ぶ。気分良く酒に寄った私は隣のルチアに寄りかかり、甘えて「オンニ」と呼びかけてみた。一度はルチアに言ってみたかったのだ。私の発音が悪かったのか私が韓国語を話すとは思っていなかったために韓国語として認識だきなかったせいなのか、ルチアには伝わらなかったようだ。私の渡したかった言葉はルチアに届くことなくテーブルの上に落ちていった。
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