隣のサンタ

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隣のサンタ  ある日、彼が小学校から帰って来ると、隣家の門を幾人もの人々が慌ただしく出入りしていた。家に帰り、いつものように母の寝室のドアを開け、戸口で顔だけ見せて、ただいまと言って出ようとすると、母が呼び止めた。  「こちらへ来なさい」と母は言い、彼はベッドの脇に立った。  「田島のおばちゃまが亡くなられたのよ。私もいつ死ぬか分からない。同じ病気からね。」  母はそう言って、反応を窺うように彼の眼をじっと見上げていた。彼は不器用に、言葉なく立っていた。  「もういいから向こうへ行ってなさい。父さまが帰られたら一緒にお悔みに行っておいで。」  母はそう言うと、ふっと溜息をついて目を逸らした。  隣では人の出入りが一層激しくなっており、通夜の準備が慌ただしく進められていた。父の会社の人たちがあちこちで立ち話をしては忙しく机を動かしたりダンボール箱を運んだりしていた。どの顔もふだん彼が見なれていた彼らの表情とは違って強張っていた。いつもは笑顔で彼の髪を撫でてくれる住み込みのお手伝いのキミちゃんまでが、唇を固く結び、目を伏せて忙しそうに立ち働いていた。彼は若い部下を指図して受付の準備を手伝う父の横にぴったりくっついて、人の動きを眺めていた。  一度だけ、奥から、その家の次男で彼が「カッちゃん」と呼んでいた勝雄が、チラと顔を見せた。彼を認めると、照れ臭げに微かに笑うような表情を浮かべたが、すぐに引っ込んでしまった。その眼が真っ赤だった。  勝雄は彼より三つ年上で、そのころ小学校六年だった。平生から明るく剽軽な、それでいて彼には頼もしい兄貴分だった。坊主頭に卵型のつるりとした顔立ちが、そのころ人気のあった柳家金語楼に似ていて、おどけてその表情を真似るとそっくりになった。長男の康雄と喧嘩して大声で泣き喚くことはあっても、ついぞめそめそすることなどなかった。  勝雄の赤く泣き腫らした眼を見たとき、彼は何が起きたかを初めて覚ったように胸を衝かれた。       *  何が原因だったろう。彼は勝雄の勉強部屋でヒステリックに泣き叫んで、勝雄に当たり散らしていた。彼はひどくわがままだったから、虫の居所が悪いとどんな些細なことでも原因になりえた。いつものことと鷹揚に笑って応じる勝雄にますます腹を立て、彼は手近にあった勝雄の教科書やノートの表紙を手当たり次第に引きちぎった。  やめさせようとする勝雄の手を振りほどき、彼は教科書を二、三冊持って逃げた。勝雄はいつになく本気で怒りだしたように見えた。キミちゃんが廊下へ止めに出てきたが、困ったように口で彼を叱っただけだった。彼はその手をすり抜け、最後の一破りをくれると教科書をバラバラと投げ棄て、裏口から逃げた。勝雄はそれを拾って彼を追ってきた。彼は田島の家と自分の家とをつなぐ裏木戸を抜け、後ろ手にバタンと戸を閉めて家の中へ逃げ込んだ。  台所に続く四畳半の窓から彼が見ていると、勝雄は静かに裏木戸を開け、大股にゆっくりと歩み入った。たまたま台所へ出てきた母が、  「どうしたん?」と彼に訊いた。  彼は答えなかった。台所の裏口に立った勝雄が彼を睨んでいた。  「どうしたの?」と母は勝雄に訊いた。  「教科書を破って・・・」と勝雄は手に持った教科書の方を見ながら、言いにくそうに言った。  「まあ!」と母は驚きの声を挙げ、彼を振り返り、「何てことをするの」と叱って、謝るように促した。  彼は膨れっ面をして、知らぬ顔を決め込んでいた。  母は勝雄の方に向き直り、  「本当にごめんなさいね。無茶苦茶なんやから・・・」と心底から詫びるというように感情を込めて言い、「テープでくっつかんやろか」と教科書を手にとった。  「いや、これは大丈夫ですから。」  勝雄は穏やかに言い、それ以上何も言わずに、繰り返し謝る母に背を向けて出ていった。   彼の見ている窓の方を見ようともせず、静かに裏木戸を開けて帰って行くその背中の淋しさを、彼は長く忘れられなかった。  彼は既に母の言葉の残酷な作用がよく分かる年齢であった。母の詫言は心がこもっていればいるほど、勝雄にとって残酷なものであるはずだった。  だから彼は、後になって母が、勝雄ちゃんは冷たい、と言っても驚かなかった。神戸の大学へ行った勝雄は、休みになってもほとんど広島の家には帰って来なかったし、帰って来ても彼の家へ来ることは滅多になかった。ワンダー・フォーゲル部に入って山歩きばかりしているとの噂だった。  兄の康雄は西宮の大学を出て、既に大阪の会社に勤めていたが、学生の頃も社会人になってからも、よく彼の家を訪れた。進学の相談も恋愛の悩みも彼の母にもちかけ、母も喜んで応じていた。  「世代の違いかねえ。康雄ちゃんは古いタイプの人間なんやね。人情を忘れんときちんと顔見せてくれる。勝雄ちゃんは親代わりになって面倒見てあげたつもりやけど、大きうなったら水臭うなってしもて・・・」  彼の母はよくそんな愚痴をこぼした。片肺を切り捨てて元気になった母は、幾分かは本気で勝雄たちの母親代わりを務めるつもりだったのだろう。学校の参観日に代理で出席し、誕生日やクリスマスにはプレゼントを贈り、様々な相談事の相手を進んで引き受けた。  そんな母が、そっけない勝雄に裏切られたような気持を味わうのを、彼も分からぬではなかったが、そうして心にかけてやったつもりで、実はその中で自分がどんなに残酷なことをしてきたかについて、母がまるで気づいていないのを、彼はむしろ不思議に思った。           * 彼が高校に上がったころ、康雄は既に結婚し、子供もできて大阪に住んでいたし、勝雄はまだ学生だったが、家にはさっぱり帰って来ず、隣家は兄弟の父則雄とお手伝いのキミちゃんの二人住まいであった。  まだ胸を病んだ則雄の妻が生きていたころ、キミちゃんは歌が好きで、風呂場で洗濯しながらよく大声で歌っていた。彼は、母と則雄の妻とがキミちゃんの歌声に目を見かわし、肩を竦めたり眉を顰めてみせたりするのをしばしば目撃した。しかし、則雄の妻が亡くなり、大声で歌ってもよくなると、かえってキミちゃんは歌わなくなった。子供たちが居なくなった隣家は、いつも居るのか居ないのか分からないほどひっそりとしていた。  真夏のある午後、彼は母に言われて裏木戸から回覧板を持って行った。幼いころから往き来して遠慮なく上がり込む習いであったから、声より先に裏口を勢いよく開け放ち、  「こんにちは!」 と大声に呼びかけた。  空気の澱んだ家の中へ、彼と共に戸外から一気に風が流れ込み、戸口の風鈴が小気味よく鳴った。  そのとき、なぜか彼には、確かに誰かが家の中に居るということが分かった。気配としか言いようのない何かが、彼が入ると同時に、ふっと息を詰めるように止まったのが感じられたのだった。しかし、物音はコトリともしなかった。  彼は急に居心地が悪くなった。いくら遠慮なく出入りした家とはいうものの、もう彼は少年の彼ではない。勝雄たちが出て行ってからは、彼が帰ってきたとき以外に上がり込んだことはないのである。返事が無いからと言って、つかつかと上がっていくわけにもいかない。  「キミちゃん、」  彼は再び大声で呼んでみた。幼い頃から彼は父母や近所の人たちが呼ぶままに、二十歳ほど年上の彼女のことをそう呼んできたのだった。  家の中からは応じる気配が無かった。彼はなお未練がましく三和土に立って奥を窺っていた。そして、ようやく回覧板をそこへ置いて行けばよいと思い当たり、出ようとしたときだった。廊下に物音がして、ガラス戸の影からステテコにシャツ一枚の則雄がぬっと顔を出した。  「おう、潤ちゃんか。」  則雄は大きな声で言うと、一段低い台所の床へ下りて来た。彼の差し出す回覧板を受け取りながら、目は粘りつくように彼の顔をまじまじと見つめ、  「潤ちゃんもなかなかいけるのう、ええ男前じゃ。」 と言った。むんむんと男臭さがにおいたつようだった。  翌年の正月、珍しく勝雄が彼の家に遊びに来ていた。康雄夫婦は子連れで暮れから顔を出し、一足先に大阪へ戻っていた。  「変なこと訊くけど、ちょっと気になってね」と彼の母は勝雄に尋ねた。この前からキミちゃんの態度がどうもおかしい。康雄がキミちゃんに何か言ったのではないか、というのだ。  「ええ、この間、相当ひどくやってましたからねえ。」と勝雄は答えた。  彼の母は、やっぱり、と得心したふうにうなずき、自分が挨拶をしてもそっぽを向いて知らぬ顔をしているから、と言った。  彼の母の話はこうであった。康雄が独立して家を出た。勝雄も滅多に帰って来ない。そこで田島の家は則雄とキミちゃんの二人になってしまった。いかに、孫まである齢の男と、一度結婚に失敗して再婚する気はないと言っているお手伝いさんとはいえ、他人の目から見れば男と女、つまらぬ噂も立つ。現に自分もそんな噂を一、二、聞かぬでもない。康雄や勝雄がもっと頻繁に出入りして、孫の顔でも見せておれば、自然そんな噂も無くなるだろう。だから、できる限り足繁く広島へ帰って来るように、と、そう康雄には話したという。  「私が強調したかったのは、だからもっと度々帰っておいでという所だったのに、康雄ちゃんは噂のことばっかり気にして、言うてしもたんやねえ。」と彼の母は困惑した表情で言った。  勝雄によれば、年の暮れに彼の母から話を聞いた康雄は、その日のうちにキミちゃんを一方的に叱りつけたらしい。  「また康雄ちゃんときたら生真面目やから・・・」  「あれだけ蜿蜒と徹底的にやられると、ちょっとねえ。」  具体的な中身までは言わなかったが、勝雄の口ぶりは、キミちゃんの態度が急変するのも無理はないというふうであった。  彼は二人の話を聞きながら、あの夏の午後の、男臭さのにおいたつような則雄の顔を思い出していた。  彼の母は、何とか「誤解」を解かなきゃ、と言っていたが、そんなことができるとは、彼にはとうてい思えなかった。母の本意が康雄たちにもっと頻繁に帰って来てほしいということであったとしても、噂のことを康雄にほのめかした所に、彼は母の密かな悪意を感じ取っていた。つまらぬ噂が広がらぬうちに対処するようそれとなく息子に知らせてやる親切心、と好意に解釈しても、キミちゃんに対する母のふだんの態度から見て、その噂をほのめかすことに母が隠微な悦びを感じていただろうと彼は疑った。  だから、その数日後に母が本当に「ちょっとキミちゃんと話してくるわね」と裏木戸をくぐって行ったときは、一体どうやって切り出すつもりだろう、と彼は呆気にとられた。  母はなかなか帰って来なかった。彼はその頃凝っていた手品を繰返し練習しながら待っていた。二時間余りたち、夜の十時を過ぎて出張先の父から電話がかかった。用というほどの用でもなかったが、電話を切ってから、彼はそれを母に伝える口実ができたことに気づき、様子を見に行く気になった。  彼はいつになく緊張して、裏口から「ごめんください」と声をかけた。  「はーい、どうぞ!」と、奥からキミちゃんのひどくのんびりした返事が返ってきた。居間へ上がると、母とキミちゃんと則雄が櫓炬燵にもぐり込み、額を寄せ合うようにして蜜柑を食べていた。三人とも、何か嬉しいことでもあったようににこにこしている。  彼は電話の件を母に伝えると、あとはもう何を喋ればいいのか分からなかった。  則雄が、まあ坐りなさいと言い、彼が坐るとキミちゃんが蜜柑をすすめた。そのうちに則雄が彼の胸ポケットにねじ込んでいた赤いハンカチのことを言ったのがきっかけで、彼は練習中の手品を披露することになった。赤、青、黄の三枚のハンカチを握った拳の中から次々に取り出し、再び拳の中へ収めて、パッと手を広げるとハンカチが消えている。ところが、本来なら燕尾服かなにかの袖口から背中へゴム紐の戻りで自動的に隠れるはずの小さな筒型容器が、カーディガンの細い袖口に引っ掛かり、彼はすぐに自ら種を明かしてしまった。  次に彼は則雄から煙草を一本借り、両手をスッと重ねると煙草が手の平から消える手品を見せた。煙草を手の甲の側に刺しておく突起の付いた指輪様の金具が種なのだが、「潤ちゃん、見えとる、見えとる」と則雄に大声で言われると、手際の悪さに照れて、彼はすぐにまた種を明かした。  「そう種明かしばっかりしよったら、手品ができんようになろう。」 と則雄が笑い、キミちゃんも彼の母も心からおかしそうに笑うのだった。彼は笑われれば笑われるだけ何かほっとした気持になったが、一方で、どうして仲直りできたのだろうと不思議でたまらず、ひとり狐につままれたようだった。                 *  その年の五月のある日曜日のことである。電話が鳴り、彼の母が出て、「田島さんから」と何気無く父に取り次いだが、電話口で喋る父の声は次第に緊張を増した。  「はい、はい、かしこまりました。すぐ伺います。」  父の口調には、親しい隣人に対するいつもの気安さは無かった。田島則雄はその春社長に就任したばかりで、彼の父は専務になっていたが、平生は会社での上下関係を示すような言葉遣いをすることはほとんど無かったのである。  電話を切った父は、彼に聞えるのを憚るように低い声で、  「結婚するそうな。」 と母に言った。  母は一瞬息を呑んだようにみえたが、やっぱり、と低くつぶやき、彼の方を振り返った。彼が聞いてしまったのを確かめると、どうせ分かることやから、と彼の前で、  「それで?」 と父を促した。  父は具体的なことを相談したいから来てくれと言っている、詳しいことは聞いてみないと分からないが、できるだけ早く式を挙げたいらしい、と言い、慌ただしく着替えて出ていった。  それから一月たったころ、彼は、かかりつけの医者の所から戻った母が父にこんなことを言うのを聞いた。その医者は父の会社の嘱託医を兼ねている開業医で、彼の一家や田島家にとっては家庭医でもあった。その大倉医師が母を診ながら、  「田島さんは再婚なさるそうですな。」 と言い、母が、ええ、と答えると、さも当然のように  「お子さんはいつですかな。」 とつけ加えたというのだ。  大倉先生も人が悪い、と母は薄く笑って父に告げた。  七月にはささやかな結婚式が行われ、彼の父母は媒酌人として参列した。披露の席に加わったのは、則雄の側はほかに会長夫妻だけで、息子たちも親戚も居なかった。昔気質で好き嫌いのはっきりした会長は、もともと肌の合わない則雄の今回の再婚について、まるで則雄が不始末をしでかしたかのような見方をして不快感を隠そうとせず、わしは結婚式なんか出んぞ、と言うのを、彼の父が説得して列席させたのである。  キミちゃんの方も、両親は原爆ですでに亡く、兄と伯父夫妻が出席しただけであった。  挙式後、「私どもは長年起居を共にして参りましたが・・・・」という挨拶状が送られてきたのを、彼は何か奇妙な心持ちで読んだ。  大倉医師の予想どおり、翌年一月には女の子が生まれた。「睦」と名付けられた。  「一月生まれやから睦月の睦をとったんやろうけど、何かこっちが恥ずかしなるような名前やねえ」  赤ん坊の名を聞いて、彼の母はそんなことを言った。しかし、彼女は、その子をムッちゃん、ムッちゃんと読んで、よく可愛がった。子供の方もまた彼の母にはよくなつき、のちに一人で出歩けるようになると始終彼の家へ来ていた。  母親のキミちゃんは、もはや単なる「キミちゃん」ではなくて、「社長夫人」だった。それまで「キミちゃん、キミちゃん」と気安く呼んでいた彼は、もし今度呼ばなくてはならないことがあったらどう呼べばいいのだろうと取り越し苦労をしていた。ところが、ある日、そのキミちゃんが玄関に現われ、彼はしどろもどろの挨拶も早々に奥の母に知らせにいった。  「どなた?」  習慣になっている午後の眠りから覚めて、鏡台の前で髪を梳いていた彼の母は、玄関に聞える声を意識して、彼に丁寧な聞き方をした。彼は一瞬「キミちゃん」と呼ぶのをためらったが、ほかに言いようもないので、声を低くして「キミちゃん」と告げた。  玄関に出て行った母は、  「まあ奥様、わたくしの方から伺いましたのに。」 と跪き、最上級の敬語を駆使して滑らかに応対しはじめた。  彼は、ほんの数カ月前まで、丁寧ではあっても自分の使用人に対するような口のききかたをしていた母の、この態度や言葉遣いの切り換えの鮮やかさに舌を巻かざるを得なかった。  しかし、社長夫人となったキミちゃんは、もう滅多に彼の家には姿を見せなくなった。のちにムッちゃんがしばしば彼の家に来るようになっても、彼女は姿を見せず、両家の境になっている背の高い板塀の向こうから、帰っておいでと呼ぶ声だけが聞こえた。  隣家は、則雄とキミちゃんの二人だけの頃と同じくらい、いつもひっそりとし、ただ時折り、ムッちゃんの笑い声や泣き声が聞こえてくるのだけが以前とは違っていた。  キミちゃんが社長夫人だったのは、わずか二年間であった。そのころ会社はひどく業績が悪化し、大株主である親会社の社長の一存で則雄はあっさりと相談役に棚上げされ、代わって彼の父が社長に据えられた。                *  田島則雄がキミちゃんと結婚して四年ほどたった。会社は則雄が社長であった二年間ほどではなかったにせよ、依然として低迷を続け、則雄の相談役の地位も、いつ「もうそろそろ・・・」と声がかかるか分からない情勢だった。ムッちゃんはまだ三歳で、則雄夫婦にしてみれば、どんな形であれ、少しでも会社に置いてもらいたかったに違いない。  彼はそのころ関西の大学に入って父母のもとを離れていたが、たまたま二週間ほどのヨーロッパ旅行の団体に加わって冬休みの始めを過ごし、広島の家に帰ってきたところだった。  ある日、家の前で彼を見かけた則雄は、彼の海外旅行のことを聞いていたらしく、是非一度向こうの話を聞かせてくれと言った。むろん彼は則雄の言葉を単なる社交辞令と受けとめて、気にも留めなかった。  ところが、二、三日すると彼あてに則雄から電話がかかった。  「潤ちゃん、明日の夕方、体があいとるかなあ。」  用件も言わずに訊く。彼は不審に思いながら、  「はあ、あいてますけど・・・」と答えた。  「そりゃあ良かった。」  則雄は電話の向こうで心から嬉しそうな声を出した。  「この前頼んどいたヨーロッパの話をしてもらいたい思うて、実は河豚の美味い店を予約しといたけえ、そいじゃ明日の夕方六時頃迎えに行くけえね。」  彼は突然の申し出に、どう返事したものかと一瞬戸惑った。それを察して打ち消すかのように、則雄はもう行くと決まったようにはずんだ声で続けた。  「いや、良かった。店へ電話したら座敷は明日しかあいとらん言うし、急なことじゃけえ潤ちゃんの方がどうか思いよったんじゃが、これで安心じゃ。」  結局、強引な誘いを断わり切れず、彼は承知して電話を切った。  「いややねえ、あんた分かってるの?外国の話を聞かせてくれなんて真に受けてたらあかへんよ。」  則雄の電話の内容を聞くと、彼の母はいかにも不快げな顔で彼をなじった。  「ちょっとソレクサイな。」  傍にいた彼の父もそう言って妙な笑い方をし、  「まあ連れてってもろたらええじゃろう。どうなるものでもなし・・・」 と言うと、あとは独り言のように、  「明日はわが身ということじゃ」 とつけ加えた。  彼の父も、自ら言うところの「サラリーマン社長」にすぎなかった。二年間の任期切れごとに、今度はどうなるか分からんぞ、と母に言う。一切は親会社の名高いワンマン社長の一存で決まる。その男に呼びつけられると、父の会社の役員たちは、みな最悪の場合の覚悟を決めて出掛けるのである。父自身、先輩格の重役たちを実権のない会長や参事や相談役に棚上げするその男の突然の決定によって社長に就任していた。今度は父が、そういう時期が来る度に首を竦めるようにしてやり過ごさねばならない立場であった。  その後業績が回復するまで何年もの間、そんな状態が続いたのだが、まだその頃は社長になりたてであったから、彼は父の立場がそれほど危ういものだとは想像もつかなかった。  翌日、則雄は彼をタクシーで市内の料亭へ連れ出した。街はクリスマスの飾りつけが終わり、華やいだ雰囲気が漂っていた。都心の商店街から料亭やバーが並ぶ路地へ入ると、急にひっそりとした。まだ夜の賑わいには早すぎる時刻だった。  通された座敷は、入り口のすぐ左手に見えていた小部屋で、格子窓を通して前の路地がよく見えた。  「社長さんすみませんね、狭苦しいところで、あいにくこの部屋しか残ってなくて。」  おかみは顔見知りらしく、則雄にそう詫びを言った。もうとっくに則雄が社長を退いているのをおかみは知らないのか、知っていてそう呼んでいるのか、彼にはわからなかった。  「二人だけじゃからええよ。」  そう機嫌よく応じた則雄も、別段訂正しようとはしなかった。  この店には、彼も二、三度父に連れて来てもらったことがあった。規模は小さいが広島では名高い店だけあって、瀬戸内海でとれる新鮮な河豚の料理は、素材も調理の腕も一級品だった。それに、河豚は彼の好物でもあった。  しかし、彼は母の言葉を聞いてから、この接待に応じるべきではなかったという後悔に苛まれていた。自分が賄賂を受け取るような、しかも自分の力によってではなく、親の力によってその不純な恩恵を受けるような後ろめたさがあった。  そのことがふだんでも寡黙な彼の口数をいっそう少なくした。おまけに則雄がもともと器用な人間ではなかったから、二人差し向かいになると、たちまち、ぎこちない雰囲気が狭い部屋を支配した。  則雄は、自分の設定した建て前どおり彼に外国のことを訊いてさりげなく話を引き出すという、それだけの芸も満足にできなかった。彼の方もまた、独りっ子のわがまま育ちらしく、人にサービスされることは知っていても、人にサービスすることを知らなかった。  ぽつり、ぽつりと、細切れに則雄はヨーロッパのことを訊いた。彼も、ぽつり、ぽつりと、細切れに応えた。ほう、それは面白い、と則雄は大袈裟に驚いてみせ、感心してみせる。しかしそれ以上はどうしても話題がつながっていかなかった。則雄が実際のところ、そんな話に何の関心も持っていないことが、彼にはすぐに分かった。  自然、二人は気まずい沈黙をかかえこんだまま向き合い、ひたすら箸を動かすふうになった。  彼は父の自嘲めいた言葉を思い出していた。それは父が九州の得意先をかけずりまわって、持って行った靴下という靴下に穴をあけて帰って来たときのことだ。呆れる母に、父は苦笑まじりにつぶやいた。  「うちは営業が弱いから、総務じゃろうが労務じゃろうが、外廻りせにゃ、やっていけんのじゃ。」  そこに他人を攻撃する調子は無かったが、無能な身内をかばって自らカバーしながらも情けない思いを禁じ得ない、無念そうな響きがあった。  その営業畑を二十年近く歩いて来たのが則雄であった。実際、営業ほど則雄に向いていない部署はないように見えた。彼の父によれば、敗戦後間もなく、市の郊外にあった親会社の土地で新会社が産声を挙げたとき、親会社から来た重役のもとで、彼の父と則雄を含む数人の新社員が自分の希望を出し合い、君が営業をやるなら、ぼくは総務をやろう、といった具合いに、気軽に決めたのだという。営業は則雄自身の希望だった。  こんな不器用な男が、どうして営業なんかやりたがったのだろう、と彼は不思議でならなかった。  彼は、自分の思い遣りの無さは棚に上げて、則雄が自分をうまく騙してくれないことに腹を立てていた。則雄が彼に何かを訊くと、いかにも無理をして努めているのが透けて見える、その様子に彼は苛立ち、ぶっきらぼうになり、一層寡黙になった。  すると、則雄は益々おどおどと恐縮したふうになり、それに対して彼はなおさら残酷な苛立ちを覚えるのだった。  彼が酒でも飲めれば、少しは潤滑油になったのだろう。しかし彼は全くの下戸あった。彼に杯を固辞されると、則雄は途方に暮れたように徳利を持った手をとめ、一瞬ためらったのちに自分の杯を満たした。目を伏せたまま、一気にそれを飲んだ。  彼は窓の外に目をやり、様々な色の入り混じるネオンに照らしだされた路地を眺めた。いつの間に来たのか、斜め向かいのキャバレーの前で、サンタクロースがチラシを配っていた。帽子から長靴まで、赤の地に白い縁取りの衣装に身を固め、白い髭をつけた長身のサンタが、ようやく数を増してきた通行人に愛想を振りまいている。たまに親子連れが通ると、左腕につけた風船の紐を一本ずつ解いて子供に分けてやる。  「もうじきクリスマスじゃねえ。」  則雄は彼の視線を辿るように窓の外に目をやり、タクシーの中でつぶやいたと同じ言葉を、もう一度確認するかのようにゆっくりとつぶやいた。  その瞬間、彼の胸に突然幼い頃のある光景が甦ってきた。彼は不意を衝かれ、思いがけず涙が溢れそうになるのを感じた。彼は目の前の則雄に気づかれないように苦労して、さりげなく掌で涙を拭った。  「小父さん、ぼくの小さい頃、サンタクロースの住所を教えてくれたことがありましたよ」と彼は言った。  小学校へ入ったばかりの頃、彼はまだサンタクロースの実在を固く信じていた。教育熱心な母の薫陶で幼稚園の頃から字が書けた彼は、クリスマスの前にサンタに希望のプレゼントを知らせる葉書を出そうとしたのだった。サンタさんは有名だから住所を書かなくても届くという母の言葉に半信半疑だった。  「それより何て書いたの」と文面ばかり気にする母から葉書を隠すようにして、彼は外に飛び出したものの、そのままポストに入れる気にはなれず、何とはなしに、ある期待感を持って隣家の門をくぐった。    門を入ると花壇があり、その植え込みで視界を遮られた背後に、玄関わきの小部屋があった。彼が植え込みの背後に回り込んでいくと、縁側の陽溜りに則雄が腰かけ、片方の膝を抱くような恰好で足の爪を切っていた。  顔を顔を上げ、彼を見ると「おう、潤ちゃんか」と言って、再び目を足の爪に落とした。  影になった小部屋の奥には、長く肺を患っていた則雄の妻が、こちらに顔を向けてひっそりと横臥していた。  彼がどう切りだしていいかわからずに立っていると、則雄が彼の手に持った葉書を見て、「どうしたんね」と訊いた。  「サンタクロースに手紙出そうと思うんじゃが、住所が分からん。」  「それじゃったら、わしが知っとる。」  則雄は、喋るときの癖で少し怒ったように唇を突き出す、生真面目な表情でそう言った。  「あなた。」  背後から則雄の妻が軽く咎めるように声をかけた。枕に載った小さな顔が僅かに微笑んでいた。  「書いちゃろう、貸してみ。」  則雄は構わず彼から葉書を受け取り、部屋の隅の座り机のところで、本当に宛先を書いてきたのだった。  「ほう、そんなことがあったかねえ。」  「あのとき小父さんは本当に住所を書いてくれたんだけど、どこへ届いたのかなあ。」  「いや、さっぱり覚えがないが・・・。プレゼントが来たのなら、手紙もちゃんと届いたんでしょうて。」  眼鏡の奥で、勝雄とそっくりの、大きいが笑うとうんと細くなる金語楼の眼が笑っていた。                   *  その後彼が則雄に出会ったのは、七、八年を経てのことである。  彼の父は、思いがけず長く社長を務めることになり、当時まだその地位にいたが、長年通った広島工場を閉鎖して、既に本社機能を移していた大阪工場に吸収するという転換期に当たり、過労、心労がたたって体を壊してしまった。戦後三十年間、鼻風邪以上の病気にかかったことのない父が、初めて入院したのである。  既に結婚して京都に住んでいた彼は、妻を伴って急遽広島の病院に駆けつけた。  病室へ入ると、父はベッドの上に起き上がって、傍らに立つ小柄な老人と話していた。母は隅でひかえていた。サイドテーブルには書類が山のように積んであり、窓辺に置かれた花瓶には霞草の白い小花が溢れていた。  彼にはすぐに傍らに立つ老人が則雄だと分かった、老人の方は彼のことが分からないようだった。彼の父が「潤ですが」と言うと驚いて、「大きゅうなって・・・」と言い、すぐに自分もおかしいことを言ったと気付いて笑い出し、「いやもう見違えてしもうて」と彼の手をとった。  その手も、体全体の感じも、こんなに小さな人だったかと思うほど小さかった。顔が痩せ、体全体が縮んでしまったかのようだった。  彼が妻を紹介すると、おお、おお、と言って妻の手をとり、「ええお嫁さんをもろうて・・・」と言い、子供がないのを残念がった。  病室を出ていくときは、繰返し繰返し頭を下げた。背をかがめて歩く姿が心許なげだった。  「いま五日市のほうでパン屋さんをしてらっしゃるのよ。」  則雄が出ていくと、彼の母が言った。社宅を買い取ってそのまま住んでいたのを売り払い、一家三人で郊外へ移り、広島市内に本店のあるパン屋の系列下の小売店を開いたということであった。  「田島さんは幾つになるの?」と彼は父にとも母にともなく訊いた。  「六十七か八か・・・」と父が答えた。  「もう八十近くに見えるねえ」と母が言った。                                    (完)      
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