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飛永希は特別な人間だ。私はこのクラスの誰よりもそのことを知っている。
「ねえ飛永さん。さっき聞いたんだけどさ、フィギュアスケートしてるって本当?」
中学二年生になってすぐ、初めて飛永さんと同じクラスになった人が興味津々といった顔で尋ねている。
私は思わず読んでいた本から顔を上げそうになってしまった。盗み聞きしてると思われたら嫌だからなんとか耐えたけど、つい耳を澄ませてしまう。
「うん、そうだよ。駅の近くにあるスケートリンクで」
「希はねー、すごいんだよ。全日本も行ってる、特別な子なんだから」
飛永さんと小学生の頃から友達だという人が何故か自慢げにそう言う。
飛永さんの話が聞きたかったのに、と思うけど言えるわけもない。
「えー、すごい! 全日本ってあれでしょ。冬にテレビでよくやってる……あのオリンピック選手とが出てるやつ!」
「えーと、私はまだジュニアだから、シニア大会には出ないんだ」
「あ、そうなんだ」
少しテンションの落ちた返答にこっちがハラハラしてしまう。飛永さんが困ってしまったらどうするんだ。自分から話しかけたのに、なんてひどいお節介だけど思ってしまう。
近くにいた一人がさりげなく取り成すように話しかけている。私にはできない気遣いだ。
「私、フィギュアのジュニアの選手知ってる。えっと、大澤真由香選手? って子だっけ、四回転飛ぶんでしょ?」
「ああ、真由香ちゃん。うん、そうだよ。四回転サルコウずっと練習してて」
「真由香ちゃん! 友達みたいに呼ぶんだ、すごいね。その子と同じ大会に出てるんでしょ?」
テレビでも見たことある、そんな子と一緒に滑ってるなんてすごいね、という無邪気な声にもやもやした思いが湧いてくる。
「飛永さんもトリプルアクセルとか飛べるの?」
「いやいや、飛べないよー」
ちょっと困ったような響きに、ああ、と声が出そうになる。本なんてとっくに読めていなかった。
「あれは、すっごいジャンプなんだよ」
「ふーん、そうなんだ」
当たり前じゃん、と言い返したくなる。滑るのだって大変なのに。自分で氷から離れて飛ぶだなんて凄すぎることだ。
「かっこいいよねぇ。私も飛永さんに紹介してもらって、フィギュアスケートやっちゃおっかなー。部活って面倒くさそうで帰宅部にしたら、逆に暇なんだもん」
「いやあんた、運動オンチじゃん。素直に今から文化部入んな」
「そんなはっきり言うことないじゃん、もー」
あはは、と飛永さんは軽やかに笑った。
「滑りたくなったらいつでも来てよ」
飛永さんの言葉を聞いて、ずっと我慢していたのに思わずパッと顔を上げてしまった。
その瞬間、飛永さんと目が合った気がして、自分でも不自然すぎるとわかるくらい勢いよく顔を背けてしまった。
恥ずかしい、とじわじわと顔が赤くなる。
あんな特別で、凄くて、私の憧れの飛永さんに変な人だと思われたらどうしよう、と私は授業が始まるまでずっと下を向いていた。
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