春風と共に君は

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 貞子と呼ばれるきっかけは、三年前に遡る。文化祭の出し物にて、咲登子のクラスではお化け屋敷をやった。  当時、髪が長かった咲登子はウィッグが要らないという理由で、貞子の役を任されたのだ。白いワンピースに自前の黒髪を前に垂らし、暗闇の中で客の前に躍り出る。これが中々の好演だったらしく、文化祭の講評で賞を貰ってしまった。中学一年という好奇心真っ盛りだった桐谷には、それが面白く見えたのだろう。そこから咲登子を貞子と呼ぶようになった。 「それより、どうして夜名原(うち)に……」 「どうしてって、受かったからに決まってるだろ」 「そ、それは分かるって。その……」  言葉を交わすだけでも、息苦しい。まるで短距離走をしているような心地だった。甘く、けれども苦い感覚がじんわりと広がっていく。 「桐谷、部活の見学行かねーの?」 「おう。今行く」  桐谷と共に歩いていた男子から声が掛かり、その会話は強制終了となる。それにホッとしたような、残念なような気持ちになりながらも、咲登子は歩き出そうとした。  すると、「あのさ」と遠慮がちな声が掛けられる。 「……なに?」  桐谷は何かを探すようにポケットに手を入れた。しかし、目当ての物が無いことに気付いたのか首を横に振った。 「いや……何でも無い」 「変なの。じゃあね、……入学おめでとう」 「おう」  平然を装って颯爽と廊下を歩き、突き当たりを左へ曲がる。すると、咲登子は途端に力が抜けたように壁へもたれかかった。  つきんと痛む胸へ手を当てる。  告白すら出来ずに不完全燃焼(失恋)で終わった浅き春の記憶は、自分で思うよりも心に傷を残していた。 ──残された高校生活は受験に全力投球すると決めたんだ。三年もかけて思いを振り切ったんじゃないか。だから……静まれ、私の心臓。  咲登子は深呼吸をひとつすると、再び歩き出す。そして職員室の前へ立つと、ノックをした。
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