0人が本棚に入れています
本棚に追加
ラジオからどっかの国の昔話を紹介していた。
羊飼いの羊の話だ。いや、羊飼いの山羊の話かもしれない。そこらへんはうろ覚えだ。普通は羊飼いを手伝うのは犬の役目なのだけれど、その羊飼いは山羊に犬の役目を任せていた。別に犬がいないわけじゃない。犬もちゃんといる。ただその山羊は親がいなくて犬に育てられていた。だから自分を犬だと思い込んでいて犬の手伝いをしていたのだ。
その時俺は3回目の国家試験に落ちた時だった。そしてスピリチュアルに傾倒していた時期でもあった。3回目の国家試験はラストチャンスだった。この時期を境に試験の方式がガラっと変わるからだ。今でいうところのセンター試験がなくなるみたいな感じだ。それで大学で勉強してきたことの意味がなくなる、わけではなくないがかなり厳しい戦いになることは事実だった。実際試験に落ちたことで自殺したものもいたらしい。スピリチュアルに傾倒したくなるのも致し方ないところだった。ただそれにお金はかけることはなかったけれど。
世の中には神がいて、神は普段の生活で俺達にメッセージをくれているらしい。こうしたらいいよ。やめたらいいよ。そんな感じに。そしてその理論で言うならそのラジオは神からのメッセージだった。自分を犬だと思い込んでいる山羊それはまるで自分のようではないかと思った。本当は山羊なのに犬だと思い込んで国家試験を受け続けていた自分のようではないかと。
昔話は続く。自分を犬だと思い込んだ山羊のことを犬達は、人間達がいる時は受け入れていた。同じ犬として対等に扱った。人間の見ている内はそのようにふるまった。でも内心は美味しそうだとよだれを垂らしていた。育ての犬すらも食べたいと思っていた。そして、人間が目を離したある時にそれは限界が訪れた。哀れな山羊は最後まで自分が犬だと思ったまま犬に食われてしまったのだ。
酷い話が合ったものだが、これには教訓が含まれているらしい。身の丈に合わないものが紛れ込めば身を滅ぼしてしまうぞ、みたいな感じだ。水に落ちた犬は打て、の格言のある国らしいと言えなくもなかった。そしてスピリチュアル的に言うのであればそれは神が俺にそれを聞かせているということになる。国家試験に落ちた俺に言い聞かせている。国家試験に挑戦することは、その職に就くことは最初から無理だったのだと。お前は犬ではなく山羊だったのだと言っている。そして俺はその時気が付いたのだ。
ああ、神様って敵なんだなって。
・・・
それは安部ちゃんが非業の死を遂げた7月から約1月後の八月のある暑い夏の日の事だった。
犬の散歩中の俺は昔行きつけの駄菓子屋に段ボールが積みあがっているのを見つけた。
「母さん、あれどうしたの?」
俺は家に帰ると母さんに事情を聴いた。
「ああ、駄菓子屋の御婆さんね。老人ホームに入ることになったの」
駄菓子屋の御婆さんは今年で90になるらしい。年齢を初めて知った。俺が物心ついたころから既に御婆さんで今に至るまでずっと駄菓子屋を開き続けていた妖怪のような婆さんだったけれど成程納得の年齢だった。
俺は東京の大学も行って、中々国家試験に受からずいろいろあって10年ぶりに地元に戻ってきたところだった。その時まだ駄菓子屋が健在だったのを見て驚愕したものだった。他の小型のゲーム店やおもちゃ屋はみんな潰れていたのに驚異の生命力だった。さすがに人気はなく開店休業みたいな状態だったけれど店はやっているみたいだった。興味本位に一度店に入ってみたこともある。あれからもう半年くらいたつが、もしかしたら俺が最後の客だったのかもしれない。その時御婆さんは半沢直樹の再放送を見ていた。BSの時代劇じゃなく最近のドラマを見ていることに驚いたものだった。歳を取ると新しい者が受け付けなくなるけどまだアップデートしてるみたいだったからだ。昔のなじみでちょっとした思い出話に花が咲いたのだけれど御婆さんは一生駄菓子屋を続けていくのだと言っていた。
「ここ一か月で物忘れが一気に激しくなってしまって徘徊するようになったの。1月ほど前に町内会で話をしたときはしっかりしていたのにね。歳だから一気に来たのか、それとも何かショックな出来事でもあったのかしらね」
母さんはそう説明してくれた。
一か月前、ショックなこと…ねぇ。
なんとなくだが俺には心当たりがあった。彼が日本をトリモロせなかったからだろう。あまつさえ某韓国の宗教団体とつるんで政治活動を行っていた。
御婆さんは言っていた。また昔みたいに子供たちに駄菓子屋に来てほしいと。駄菓子屋の品ぞろえは俺が駄菓子屋に来なくなった20年以上前のままだった。俺たちの世代が駄菓子屋に行かなくなって実質的に御婆ちゃんの駄菓子屋は役目を終えていたのだ。だからそれは叶うことのない願いだと思ったけれど高齢の御婆さんにそれを指摘するのは酷なことだった。せめて自分に子供が出来たら子供には駄菓子屋を進めよう。さすがに20年もお客が来ているか怪しい駄菓子屋の御菓子は賞味期限が怖いけれど、水鉄砲とか凧とかソフトグライダーとか、ちょっとした玩具を買うくらいなら問題ないはずだ。そう思って俺はその場を後にしたものだった。
「…」
俺はその時買ったガンプラをひっぱりだした。駄菓子屋に行って何も買わずに出ていくのもなんなので付き合いで買って、作る気などなく置きっぱなしになっていたものだ。子供のころは平面から立体ができることに感動して手あたり次第作ったものだけれど今は作らなくなって久しい。御婆さんは俺がこれを買う時「好きだったものね? 今も好きなの? 」と言われたけれどやんわり否定しておいた。だって「はい」とでも答えたらまた俺のために入荷しかねない。俺はもうとっくに大人だし、そんなに頻繁に駄菓子屋には行けないのだ。
ガンプラとはガンダムのプラモデルの略。かつてガンプラブームと言うものを巻き起こしたということで有名だ。そして現代でもネットの転売屋によってガンプラが買い占めされ現在進行形でガンプラブームが起こっているらしい。それはブームなのか微妙なところだけれど。
駄菓子屋のガンプラは転売屋の餌食になることもなく日焼けして埃をかぶっていた。20年前のものだし転売しても価値がないということかもしれない。実を言うとこのガンプラは子供のころに同じものを買ったことがある。その時に売れ残ってまた20年後に俺が買ったのだ。その頃はネットもなかったしヤマダ電機や100万ボルトもガンプラを扱っていなかった。ガンプラは方々の玩具屋駄菓子屋模型店を巡回して見つけなくてはいけなかった。でも子供の足では限界があるから俺にとっては一番近いこの駄菓子屋がガンプラ確保の拠点だった。今考えると品ぞろえには偏りがあり、ちょっと古いガンプラが入荷していたのだが、平面から立体ができることに喜びを感じていた俺にはあまり不満はなかった。
「MGもあったのになぁ…」
高いガンプラも置いてあったが、付き合いで買っただけのだったので安いガンプラで済ませた。こんなことになるなら高いガンプラを買ってあげればよかったかなと思った。
子供の頃よく行っていたお店、おもちゃ屋に限らず飲食店や百貨店など今はどうなっているのだろうとふと思った。ただでさえ時代に取り残されて苦しいのに新型コロナでとどめを刺されているかもしれない。もしやっているなら行ってお金を落とすのもいいかもしれないなと思った。
安部ちゃんは日本を取り戻すと言っていた。きっと彼女のようなお爺さんや御婆さんの支持をえて人気だったのだろう。いつか個人店や町工場に人がいっぱい来てくれて仕事がいっぱいあった時代に戻れってほしい。そういう願いを受けて人気だったんじゃないかと思う。でも彼はそれを裏切っていた。罪づくりなことをするなと俺は思った。せめてもの救いは、どうやら御婆さんは安部ちゃんが世界平和統一家庭連合と名を変えた某統一協会と関係しているとは知らずに呆けたというこだろう。自分が信じていたものがそんなものとかかわっていたと知ったらアイデンティティが崩壊して統一協会は実はいい宗教とか言い出していたかもしれない。たんに安部ちゃんが殺されただけのことにショックを受けて呆けたみたいだからある意味幸せだったのかもしれなと思った。
・・・
最後、のつもりで俺が駄菓子屋に行ったとき俺はカードを引いた。大人になってからではなく子供のころに駄菓子屋に行くには最後になるだろうなと思った時の話だ。
駄菓子屋のカードは紙袋に入っているのを引くというものだった。あたりのカードは光るシールなので厚さが違う。理論上はそれが分かっていたが駄菓子屋が見ているとそれをやるのははばかられた。でもその時俺は初めてそれを実践した。それをやった時、俺はもう駄菓子屋から卒業する時なんだなと思った。
「待ちなさい。今度はこっちを引いてみて」
ところがそういうと駄菓子屋はまた別のカードを出してきた。俺は迷ったが最後だと思ったのでひいていくことにした。
「…」
薄いと思ったからあたりだと思ってひいたものが連続して外れた。駄菓子屋がほくそ笑む。でも俺はそれでだいたいカラクリが分かった。
「…あたりだね」
引いている内に逆に厚いカードがあるのが分かったからだ。あたりはこっちの方だ。引いてみたら案の定そうだった。
「ふふ。次はこうはいかないよ」
駄菓子屋はいつもの調子で言った。俺が大きくなって駄菓子屋から足が遠ざかる年齢だと気が付いてはいないみたいだった。次はもうない。俺はその場を後にした。まぁ、正確には次はもう一回行くことになったんだけど。
2009年。民主党が政権交代したころ、時代は転換期に差し掛かっていた。いや違うかもうちょっと前かな。兆候はその10年くらい前からあった。1999年。ノストラダムスの大予言で世界が滅ば…なかった時くらいからあった。ノストラダムスと言う一大イベントが終わり日常に戻ろうとした矢先、どこかで価値観を転換させたいと思う人たちがいたみたいだ。古い時代にサヨウナラして新しい世界に導きたい。そして新しい世界で儲けたい。だから新しい世界よウエルカム。でもあれ? 古い世界よサヨウナラしないな。しぶといぞ? いい加減死にやがれ。殺せ殺せぶっ殺せ。そんな機運が高まっていた。ただ問題なのは別に皆は古い時代よサヨウナラと思っていなかったことだろう。ノストラダムス終わったんだし日常に戻ればいいだけじゃねと思っていたことだ。マスメディアが先行して古い時代よサヨウナラしようとしていたけれどみんなは特にサヨウナラしたくなかった。その象徴として民主党の政権交代はあった。もしくはそうなってしまった。古い世界にサヨウナラしたくなかった人々はその不満の矛先をマスコミそして民主党に向けた。サヨウナラしたくなかったのに古い世界よサヨウナラしようとしている元凶は民主党であると。そして民主党が失敗して自民党が復権した時、古い世界にサヨウナラしたくなかった人達は勝利し、その象徴に安部ちゃんはいた。そして安部ちゃんは救世主となった。安部ちゃんは古い世界と切り捨てようといる悪の軍団に立ち向かう光の使者となった。安部ちゃんを討ち取った人も多分そういう機運をうけて安部ちゃんのことを評価していたのだろう。元は彼も安部ちゃんのファンだったみたいだから。そして新しい世界とは悪い方に代わってしまって時代の流れ全てが対象だったのだから。その対象は2000年前後からさらに遡る。まだ派遣社員のなかった世界を指すものもいれば、まだコンビニがなかった世界を指すこともあれば、まだスーパーや百貨店がなかったころを指す場合もあった。形がないそれは人々の中で理想の形となっていた。だけど実際は新しい世界に変えたい勢力はその宿主を変えただけに過ぎなかった。民主党にとりつくのをやめて自民党にそして安部ちゃんにとりついただけだった。明らかに形を変えて実行されるそれを皆は気付くことができないでいた。
・・・
「ロキソニンが出ますけどアセトアミノフェンが足りないから出しています。本来は痛み止めです。胃が悪くなることがあるので食事の後で服用して下さい」
新型コロナで薬が足りなくなり薬のやりくりに辟易していた7月そのニュースは飛び込んできた。
「元総理が銃で撃たれました」
「? 」
俺は一瞬呆けた。そして思った。一体どの件で撃たれたのだろう。思い当たる節がありすぎた。加計学園では官僚が自殺させられてたし、北方領土問題では北方領土は日本の領土じゃないみたいなこと言い出すし。ただ安部ちゃんはそんなに悪い人間ではな…くもなかったかもしれないけれど殺されるくらい悪いかと言うと…でも自殺させてるしな。どうだろう? ま、まぁ安部ちゃんは世界的に存在感のある存在だった。問題がある以上にネームバリューのある存在だった。問題児と言われていたトランプ元大統領とも仲が良かったみたいだし、トランプ氏自体また再選の可能性がある。そうなったらまた総理になっていたかもしれない。利用価値のある存在だった。殺されるんなら竹中平蔵次氏とかが先だろうなと思っていた。
ただそうはいってもやったのは右翼だろうなとは思っていた。左翼といわれる著名人は自分がうまい汁吸いたいから左翼やっているイメージがある。特に日本はそれが顕著だ。右派と言われる自民党がかなり左派寄りの政策をとっているのでそれ以上左に行くと、いやお前外国人になったら? という塩梅になってしまうせいでもある。そういう連中だからリスクのある行動はとらないし、殺して捕まったらうまい汁吸えないから自分で手を下したりはしないだろうという予感があった。対して右翼は政治理念で何やらかすか分からないイメージがあった。安部ちゃんは北方領土でやらかしていたし、その頃から保守派でも自民党は本当に保守かと言うので意見が割れていた。ただそうなると安部ちゃんは世間一般では保守派でもあるから、保守派なのに右翼に殺されたことになる。それは仲間割れであり保守派的には不味いんじゃないかなと思った。自民党が民主主義への挑戦と言い出した時も、たぶん右翼だから表向きの政治信条は近いはずで矛盾が生じるんじゃないかなと思ったものだった。それがまさか変な宗教のせいとは分からないものだ。結果的にやったのはやはり右派の人だったけど仲間割れが起きないだけ自民党的にはよかったんじゃないかと思わなくもなかった。
・・・
「子供は地域で育てる者だから」
御婆さんは言っていた。
「子供が好きなんだよ。これが生きがいなの」
確かに昔はそういう機運に満ちていたらしい。でもそれはまだ俺が生まれるよりもっと前の話で昭和の価値観かもしれない。御婆さんは俺が子供のころから御婆さんだから今でもそう思っているだけで時代は変わってしまった。今はあまりそうは思っていないと思う。なんだか学校の給食もどんどんしょぼくなっていくし。ただ、そうだね。もし神様がいたとしてその時の神様は俺達の味方だったのだろう。
神様は敵なんだなと試験に落ちたときに思ったけれど、それはある意味間違ってはいなかったらしい。安部ちゃんが討たれる原因になった宗教は日本人殺しの宗教だった。ということは日本人の敵だった訳だし、俺は日本人だからつまるところ俺の敵だ。スピリチュアルおそるべし。
俺はあれから試験に受かって就職した。結局スピリチュアルなど糞の役にも立たなかった。人間それだけやればなんとかなるものだ。遊びとか息抜きとか一切合切を捨ててそれだけやればなんでもできる。でもそれだけやるのは難しい。やってるようでやってない。息抜きは必要だ。効率が落ちる。でもそれだけやるためには息抜きも許してはならない。考え続けることによって打開策は見つかる。それをやりながら息抜きしなくてはならない。それを打破するには心底好きにならなくてはならない。好きになればそれをすることが息抜きになる。好きこそものの上手なれ、洗脳でもするしかない。だから一点集中すればなんでもできるけどそれは無理な話だった。それは自分が一番分かっているはずだ。だって実際にやっていて現実的に行って無理だしやってないからだ。無理なのにやっていると主張するのは嘘つきだ。俺は試験に落ちたとき60%くらいは試験勉強だけやっていた。それ以上は無理だった。でも環境を変えて親戚の家に泊まり込み勉強しないと心が休まる状況してなんとか80%くらい勉強しかやらざるをえない状態にした。それが限界だった。でも運よくそれでなんとか試験に受かることができた。近道などないのだ。やるしかないのだ。やらねば積むのだ。だれが山羊だ糞が。俺はれっきとした戌年なのだ。
最初のコメントを投稿しよう!