12.親の死に目にあうのはまぁまぁハードル高い

5/6
44人が本棚に入れています
本棚に追加
/66ページ
 そんな母は、不登校ぎみで超問題児だった僕に「敵と同じ数だけ仲間もつくれ」とか金言も残してくれた。まぁ、当時幼稚園児(幼稚園生って違和感あるんだよな)だったので、はぁ? って感じだったが。今でもその言葉は覚えてる。というか、あとは「シ●ブは二度目をやったら終わり」とかそんな刺激的なアングラ臭漂うアドバイスばかりである。  霊感もめっちゃ強くて、夏目雅子さんが亡くなった時は、恐山に向かう途中に母の髪を引っ張ったほどである。←常人には理解できない状況、分かる人にはわかる奴  中学の時にコックリさんが流行った時には、動物霊の恐ろしさと、憑依されている人の見分け方を教えてくれた。  朝起きると「起きたら戦争」と言い、洗濯や掃除をはじめ、日中働き、夜もスナックで働いた。今想うと、愛人だったんだろうなっておじさんに焼き肉を奢ってもらったり、超合金のおもちゃを買ってもらったりもした。  近年では、「忍者になった夢をみた」と弁明し、寝ぼけて父に灰皿を手裏剣のように放っていたが、元々そんな人なので、あれは素の状態だったのか、認知症ゆえの行動だったのか、分からない。  健脚で、何キロも僕をおんぶして歩いていた。歩くのもめちゃ早かった。それでも、2年前に役所に一緒に手続きしに行ったときは、青信号のうちに交差点が渡れないほど足が開かなかった。それでも歯は丈夫で、全ての歯が残っており、火葬後も立派に残っていた。そういえば、小学校1年生の時に『母が姉のおでこに噛みついた話』を書いた作文が、県のコンクールで入賞した。笑  僕という人間、そして味志ユウジロウの形成に大きな影響を与えた人物であることは間違いない。
/66ページ

最初のコメントを投稿しよう!