12.親の死に目にあうのはまぁまぁハードル高い

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 父の時に、『人は死のタイミングを選ぶ』と書いた。今回もそうだった。21日に亡くなり、平日日中だったので、火葬を23日土曜日の午前中に段取りできた。父の時は亡くなったのが金曜日の夕方遅くで、市役所など連絡がつかず、土日は何もできなかったのだ。今回はすぐに手配や手続きができた。生活保護なので、いろいろと役所連携が必要なのだ。  実は、25日月曜日~29日金曜日まで東京本社出張予定だった。母はきっと、僕が予定通り出張できるタイミングで旅立ったのだ。1週早ければ、息子の高校卒業旅行中だったから、火葬に息子(孫)が来られなかっただろう。  1月には実家の片付けと父が勝手に建てたプレハブ(中学3年生から高校まで僕が住んでいた離れ)の撤去が終わっていた。両親ともに心残りだっただろうから、それが終えられていたのは良かったと思う。その辺の話も今後エッセイで語るかもしれないし、語らないかもしれない。  死化粧を済ませた母は、とても安らかだった。宝塚エピソードが真実か虚構かはどっちでも良い。ただ、舞台をやりきった大女優のように美しく、安らかだった。四十九日までは、この辺に居るだろう。その後は、父とあの世で合流するのか、恋多き女として、いろんな男性と楽しく過ごすのかもしれない。最期に、最高のエアマットの上で、僕の姿を認めて、寂しくない状態で逝けたのなら幸いだ。  お疲れ様。頑張ったね。死にたい日もあったけど、こうして僕は生きている。大事な人とも巡り会えたし、いつまでもかわいいと思える息子もいる。そういえば言ってなかったけど、小説なんかも書いている。少しは実績も残してる。つらい人生ではあったけど、生まれて良かったとは思える人生だよ。生んでくれてありがとうね。おやすみなさい。
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