ベンチが一つ

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ベンチが一つ

曇り空の下。 静かな道にベンチが一つ。 そこに少年が1人座っている。 少しして、みすぼらしい姿のホームレスの男性が通りかかり、ベンチを見つけて座った。 静かな時間が流れた。 「こんにちは。」 沈黙を破ったのは少年だった。 「おう。」 男性はぶっきらぼうに返事をした。 「やっぱり男の人だったんだね。足音でそうじゃないかと思ったんだ。」 その言葉に違和感を感じ、男性が少年を見ると、少年は少し顔をこちらに傾けているが、目はこちらを見ていない。 そうか、この子は見えていないのか。 ある程度人生経験のある男性は、そう判断した。 「そうか、当たったな。」 「おじさんは何の仕事をしているの?」 「……俺は、大企業の社長さ。」 見えていないことをいい事に大層な見栄を張った。 大嘘にも程がある。 俺は本当に馬鹿だな。 もう1人の自分がそう言った。 「そうなんだ!凄いね!」 少年は尊敬の言葉をかけてきた。 「ねぇ、僕の将来の夢を話してもいい?」 「いいとも。」 「僕は将来、素敵な男性と結婚したいんだ。」 男性はぎょっとした。 どう返していいかわからなかった。 「目が見えなくてもね、本は読めるんだよ。だから沢山読んでるんだ。素敵な恋のお話も沢山読んだ。そういう恋がしたいんだよ。」 少年は純粋そのものだった。 「おかしい?」 「いっいや、全然おかしかなんかないさ。」 そう返すのが精一杯だった。 「知ってるよ、みんな僕のことを変人扱いさ。」 少年は何かを感じ取ったのか、静か話し出した。 「自分の事を私と言ったら怒られた。スカートを履いてみたいと言ったらもっと怒られた。どうせ見えないんだから、何を着ても同じだろって言われたさ。でも……あの人達は何もわかっていない。」 少年は、ゆっくり手を握りしめた。 「何を持って僕を僕だと決めつけているんだ。体の構造か?顔か?そんなの、それこそ見えない僕には何の意味も無い。僕のほんのほんのほんの一部の一部に過ぎないんだ。」 握りしめた手の中にはどれだけの思いが詰まっているのか、男性はそれを考えずにはいられなかった。 「大事なのは気持ちなんだ。心だよ。 何だってそうさ。僕が生まれたのだってそういう事だろ。誰かと誰かの心が通じたからさ。全てはそこから始まるんだ。」 「僕はそれを知ってる。だから、こうやって夢を語れるんだ。何も間違ってないと確信しているからね。」 少年は男性の方に顔を向けた。 「僕は、おじさんの心にも寄り添いたいと思うよ。僕にとって見た目なんかは何の意味も無いと言ったろ。触れればわかることもあるけどね。なんだってそうさ。僕にとってはまずそこからなんだ。」 男性は小さく笑った。 「…バレてたのか。」 「匂いでね。」 「そうか。」 男性は、小さく息をついた。 「俺の夢も語っていいか。」 「もちろん。」 「俺の夢は太陽の下を堂々と胸張って歩く事だ。それはきっと、あんたのその夢を心から応援する事で叶うような気もするよ。」 「僕は1人では道を歩けない。よかったら、手を繋いで歩いてくれない?」 「もちろんだとも。」 男性と少年は手を繋いで歩き出す。 「今、空は晴れてる?」 少年が男性に問いかける。 「あぁ、ぴりかんだ。ありがとうよ。」 「そっか、よかった。どういたしまして。」 曇り空の下。 静かな道にベンチが一つ。
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