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私は、ずっとあの子が嫌いでした。
嫌いで嫌いで、居なくなればいいのに。あの子が居なくなれば、一組の”さおりちゃん”は私だけになるのに。毎日そう思って、過ごしていました。
〇
田中さんは良い人でした。どのクラスメイトに聞いても、そう答えると思います。実際、田中沙織はよくできた女の子でした。中学生ながら、アイドルのような可愛い容姿でありました、いつも教室の中心には彼女が居ました。
彼女を中心とした気味悪い円を、私は教室の隅から眺めていました。もちろん入ることはできずに、ただ眺めることしかできませんでした。入りたいとは思いません。だって、一組にとっての”さおりちゃん”は、田中沙織だけでいいから。一組には、私のような”さおりちゃんと名前が同じだけのクラスメイト”は要らないらしいです。
田中沙織に比べて、私は平凡な人です。成績は真ん中。運動が苦手で、それほど可愛くもない。田中さんのような社交性もなく、友達なんて片手で数えるほどしかいません。
大人から見れば、「そんなことで」と思いますか。
「名前が同じだけで」と笑いますか。
あなたは、私を理解できないですか。
あなたは、私がわかりませんか。
〇
田中さんに「一緒に帰ろう」と言いました。彼女も、周りのクラスメイトも驚いています。私が田中沙織に話しかけることなど、滅多にありませんので。
彼女は「いいよ」と笑顔で言ってくれました。その皆に振り撒く笑顔が、私には、眩しすぎました。それを見た時、死にたいと思いました。上手く言葉にできませんが、ただ私は死にたいと思いました。
私は「近道がある」と言って、彼女を誘いました。
そして、普通の会話をしました。将来の夢は何かと聞くと「学校の先生」と答えました。「田中さんなら、絶対良い先生になれるよ」と言っておきました。これは噓偽りない本音です。
「伊東さんは何になりたい?」と、彼女が聞きました。少し間を開けて「……小説家」と答えました。初めて他人に言いました。馬鹿にされると思ったからです。中学生と言えど、少しずつ現実を見なければいけない時期です。わかっていました。もっと、しっかりとした夢を見なければ。そんなことは、私が一番わかっていました。
「小説家」という答えを聞いた田中さんは、少し驚いていました。驚いた後、花が咲いたような笑顔で「すごいね。伊東さんなら、絶対なれるよ」と言いました。田中さんは肯定してくれました。決して馬鹿にすることなく、「すごいね」と。誰にも打ち明けられなかった夢を、認めてくれました。
嬉しかったけど、今日、私は田中さんが”事故に遭う”ことを知っています。
残念ですが、もう少しで、お別れとなってしまいます。
〇
その踏切は古く、遮断機も壊れていました。
カンカンと警報機が鳴り始めたので、私と田中さんは線路の手前で立ち止まります。
今日は、とても晴れたいい天気です。雲一つありません。人もいません。
左から、電車が来る音が聞こえたので、田中さんの手を取ります。
そして踊るように、彼女の手を離し、背中を軽く押しました。
あなたさえ、居なければ。
わたしさえ、居なければ。
名前が一文字、違っていれば。
「私、田中さんのことさ──」
電車の音がうるさかったので、沙織ちゃんの耳には届いていないかもしれません。
田中沙織が、振り向こうとしています。私は笑ってあげます。
その両目が私を捉えることなく、彼女の綺麗な顔は、一瞬で潰されてしまいました。
私は目を瞑ることなく、その一部始終を焼き付けて、ようやく理解しました。
私は、田中さんが嫌いだったけど、それ以上に大好きで憧れていたことを。
そして、彼女が消える時、制服の袖から覗く腕を見てしまいました。その白い腕に、数本の赤い線が伸びていた事実を、たった一人、私だけが静かに知るのです。
だから、私は明日も生きていける気がします。
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