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―――おお、おおお…。
唸り声を響かせて、家具や古道具たちの影が揺らめいた。
ずるり、ずるりと影が揺れながら、その輪郭を現し始める。
それは着流しの着物の粋な青年に、長い黒髪を結い上げたはかま姿のハイカラさんに、金髪碧眼の青いドレス姿の少女に、異国の着物を着た腰の曲がった白髭の老人に。
「お招きいただきありがとう。架暁」
元はヴァイオリンである青いドレスの少女が、裾を上げて挨拶をした。
「お久しぶりですね、マデリーン」
「もう少し多めに呼んでくれてもいいんだぜ、桜子さんよ」
着流しの粋な青年は紅羽、齢四〇〇年近い抜けない日本刀だ。
「お店が忙しいと呼べないのはあたしのせいじゃないわよ、紅羽?」
急ににぎやかになった店内で、桜子も人化した付喪神たちにわしゃわしゃと頭をなでられている。
「急なのでお茶菓子もありませんが、みなさん緑茶でよろしいですか?ああ、マデリーンははちみつ紅茶ですね」
付喪神になれていないものたちも多いので、実体化したのは十三名だ。
「やれやれ、呼び出しておいて茶菓子もないとは、わしらをなんだと思うておるのじゃ」
奥に続く小上がりの畳にどかりと腰を下ろしているのは、気に入らない者が卓につけば貧乏ゆすりをするということ以外は国宝級の一品、龍細蜜彫が素晴らしい唐木紫檀製の円卓、白髭の老人がぼやく。
「パク・リーレン、大福はお嫌いでしょう?」
「兎屋の月餅はないのか、月餅は」
「申し訳ありません、あいにく今日は…次回はご用意しておきますので」
「あ、じゃあ俺はアサヒ堂の桜餅な!」
「まあ、ずるいですわ。わたくしはまるかみ庵のかすていらがよろしくてよ」
「あのですね。全員のご要望をお聞きするのは少し難しいかと…」
桜子と自分を合わせて十数個のバラバラの茶菓子をそろえるというのは、なかなか骨の折れる仕事だ。
美味しい茶菓子の店というが、一か所で済まないからだ。何件もはしごしようものなら、一日が終わってしまう。
「違うわよ、架暁。あたしに言うのと一緒にしちゃだめ。みんなはここを出たら二度と会えないし、お茶菓子が食べられることなんてないんだからね。みんなでお茶会をする日は特別なんだから、ちゃんと聞いてあげなきゃ」
桜子に言われて、架暁がハッとした。いつも桜子に言うように、つい同じように言ってしまったことに激しく反省する。
「みなさん、今日は本当に申し訳ありません。急でしたので、何もご用意できずに…。次回はご希望のものをご用意しますので後でしっかりお聞きしますね。とりあえず、先にお茶を淹れさせてください」
ぺこりと頭を下げて、架暁は湯を沸かしに一旦奥の水場へと引いた。
すると、マデリーンがめずらしくトコトコと架暁について水場まで付いてきた。
「どうしました、マデリーン?」
大きなやかんをコンロにかけながら、架暁が茶葉の入った筒を用意する手を止めてマデリーンを振り返った。
「架暁、この前来ていた男の子、もう来ないの?」
「男の子…さて、どんな方でしたか?」
マデリーンの年からすれば、どんな年寄りでも男の子になってしまうので、迂闊に先に口に出せない架暁だ。
「古い日本家具を届けに来ていた男の子…」
見に来ていたのではなく、届けに来た、という言葉でピンときた。
「ああ、雅哉くんですね。白蝶酒店の息子さんの。彼がどうかしましたか?」
「彼は…ヴァイオリンは、弾かないのかな…?」
青いドレスを両手でぎゅっと掴んで、マデリーンは頬を桜色に染めた。
「面影が、似ているの。私のご主人だったアベル様に」
マデリーンの過去をすべて知っているわけではない。ただ、彼女を(ヴァイオリンを)とても大切にしていつも演奏してくれていた青年が、不治の病で病死してしまったということは知っていた。
それ以来、彼女は鳴らないヴァイオリンとなったのだ。
「今度雅哉くんにさり気なくお勧めしておきましょうか?マデリーン」
「え、本当に?」
「雅哉くんが弾いたら、ちゃんと鳴るんでしょうね?」
「それは…ええと、たぶん…」
自信なさげにマデリーンが言葉を濁した。
「私は調律はできませんよ?」
マデリーンが教えてくれた通りヴァイオリン本体が傷まないようなメンテナンスを施してはいるが、架暁では調律はできていない。
「あのう…坊ちゃんは、ヴァイオリンはお弾きになられていましたよ。小学一年生の頃に止めておしまいになりましたが…きらきら星がとてもお上手でした」
マデリーンのように西洋の白いドレスを着た女性は白蝶酒店から来た、ステンドグラスのランプシェードが美しいランプの付喪神だ。
「おや、ジゼル。その様子だと、止めた理由も知っていそうですね?」
「亡くなられたのですよ。坊ちゃんの演奏を一番楽しみにされていた奥様が。それっきり…」
主人を亡くし、鳴らなくなったマデリーン。母を亡くし、弾かなくなった雅哉。
マデリーンが惹かれたのも無理もないのかもしれない。
「坊ちゃんなら、マデリーンを弾いてあげられると思います。坊ちゃんは口は悪いですが、とてもお優しい心根ですから」
「そうよね、そんな気がしたの!」
きゃっきゃっとマデリーンがはしゃいでいるのを後ろに見ながら、架暁は考え事をするときのクセで長い髪を梳くように指でいじった。
さて、どうやってアプローチしようか…。
うーんと考えながら茶葉と急須と湯呑み、ティーポットとカップを用意した。
「ジゼルもマデリーンに紅茶を淹れるので、同じでいいですね?運ぶのを手伝ってください。マデリーンは茶葉とポットとカップのセットをいつものティーワゴンに乗せて」
「はあーい。あのティーワゴン好きー。アンティークでいいわよね。イタリア製かしら?」
真鍮と硝子でできたシンプルな造りだけに、細部の細工の美しさが際立つティーワゴンだ。
「お仲間になっていてもおかしくはないでしょうにね」
まだ付喪神化していないティーワゴンは、付喪神のお茶会にはお手伝いアイテムとして大活躍中だ。
ジゼルがティーワゴンにカップなどを乗せながら、その優美なラインをうっとりと撫でた。
「付喪神になるまでには色々とあるでしょうから。ジゼルは湯呑みを運んでくださいね」
大きなお盆に有田焼や古伊万里の湯呑みと急須を五つ乗せ、ジゼルへと渡す。
しゅんしゅんとやかんの湯が沸いてきて、コンロの火を止めた架暁は一番危ない熱いやかんを両手で持ちながら後ろに続いた。
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