この教室にはキツネしかいない

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「お前は、何やらせても、本当にダメだよな!」 三人の男子生徒の高笑いが教室の中に響き渡る。一人の男子生徒がいる机を取り囲み、その一人に向けた言葉が、三十人を超える生徒がいる教室に響き渡る。 「勉強もできねぇ、どんくせぇ、息もくせぇ!」 その男子生徒は身を縮め、小さく震えていた。目に涙を浮かべながら。 数人の女子生徒に囲まれ、質問攻撃を受けていたわたしは、それを見て、聞いて、立ち上がる。 「どうしたの?」 「ん? ちょっとキツネを狩りに」 わたしの言葉に、女子生徒たちがきょとんとする。それを無視して、わたしはそこへと躊躇なく進んでいく。 「止めた方がいいんじゃないかな……」 そんな言葉も聞こえたが、結局、誰も止めにはこなかった。ま、そんなことできるなら、こんな状況は出来上がっていないだろう。 「こんにちは」 柔和な笑みを浮かべ、わたしは座っている男子生徒にあいさつをする。教室にいる全員の視線が一斉に注がれるのを感じた。 「……なんだよ、転校生。お前もこいつのダメダメっぷりを笑いにきたのか?」 三人が歯をむき出しにして、下品な笑みを浮かべる。 「お前、すげぇな。転校初日の転校生にすら、ダメダメ認定されるなんて! お前のダメダメっぷりは、世界に知れ渡ってるんじゃないのか?」 「そうかもしれないな!」 「いや、きっとそうだろうな!」 三人の中心人物であろう、関取のような体格をした生徒の言葉に、他の二人が追随する。 三人はひたすら笑う。その汚い笑みに、座っている男子生徒は反論することもなく、ただただ小さく縮こまっている。涙を零さないのは、唯一の抵抗といったところだろうか。 「あの、あいさつしてるんだけど?」 わたしは三人をいないものとして、縮こまっている男子生徒に話しかける。 視線がぶつかる。瞳は、怯えた小動物のような印象だった。 「……おい、俺たちを無視すんなよ!」 無視されたとようやく気が付いた三人の一人が、わたしの肩に触れてくる。 「……わたし、彼と話をしているんだけど?」 にこやかな笑みのまま、わたしは三人へと振り返る。 それと同時に、わたしは相手を睨みつける。氷の刃を突き刺すかのように。 「あと、わたしに触れてい良いなんて、言った覚えないんだけど?」 三人の表情が一瞬にしてこわばった。その六つの瞳が動揺に惑いながらもわたしを捉える。 だが、すぐに自分たちの方が立場が上だと思い出し、強気な表情に戻った。 「なんだよ、その言い方は!」 「……ねえ、教えてくれる? 今、君たちはこの子に何をしていたのかな?」 相手の言葉は無視し、本題へと無理矢理持って行く。 「何をしてただって? 見ての通りだ。一緒に遊んでいただけだ。な、そうだよな?」 二人に同意を求め、二人がその同意に応じて首肯する。 「ま、そうだよね。そう言うに決まってるよね! わたしにはいじめに見えたけど、犯罪者が犯罪を簡単に認めるわけないからね。認めなければ、否定をしてしまえば、一緒に遊んでるって言ってしまえば、いじめている側の子供の言葉を信じてくれる可能性が高いからね! それに、座っている彼にも無理矢理追随させて、遊んでいただけ、って言わせてしまえば、ほぼほぼ、その通りになるからね!」 一気にまくしたてるわたしの言葉に、教室全体が戸惑っているのがわかる。目の前の三人も対処に困っている。 「でも、それだけじゃないか」 わたしは人差し指を口元に置き、薄く笑う。 「大人にとってその方が都合がいいから、そうする可能性が高い、といった方が正しいかな。いじめなんてあったら、困るから。いじめられている方が声を上げ辛いことをいいことにね。さらに言うなら、ここにいる他の全員も声を上げ辛いから」 教室の全員がわたしの言葉に傾聴していることを確かめつつ、目を閉じ言葉を重ねる。 「直接危害を加えている人以外、この犯罪にも等しい行為を止めるべきだとわかってるんじゃない? でも、止められない。止めようとしない。それは、自分がいじめの対象になるかもしれないから。自分が被害者になるかもしれないから。だから、見ている側の人間も声を上げ辛い」 わたしは目を開ける。限界まで見開くようにして。 「それらを利用し、犯罪者も同じのこの人たちは自分に有利な盤面を作り、相手をじわりじわりといたぶって楽しむ。相手が壊れるまで、いたぶって楽しむ」 刹那、わたしは破顔した。 「最高じゃない! あんたたち、最高だよ! ま、意識してやってはないんだろうけど、やり方、最高!」 いきなりテンションが上がったわたしに、全員が混乱する様子を見せる。それを見て、わたしはさらにテンションを上げる。 「わたしは君たちを絶賛するよ! 素晴らしい! ファンタスティック! ブラボー! 拍手、拍手! ほら、みんなも拍手して! ほら、ほら! 全然足りないよ! もっと、もっとだよ! この素晴らしい策略を編み出した、この人たちに大きな拍手を!」 わたしは周りを煽り、無理やり拍手させる。 まさかの称賛の言葉。理解が追い付かない教室の拍手はまばらに始まる。でも、そう時間は立たず、大きな拍手へと変わっていく。 拍手喝采。始めはどう反応すべきか探っていた三人も、次第に胸を張るようになり、生き生きとした表情へと変わっていく。まるで偉業を為した偉人かのようだ。不思議と体まで大きくなったように見える。 対して、座っている男子生徒はさらに小さくなった。体感では、もはや消しゴムぐらいの小ささではないだろうか。 準備は整った。 わたしは静かに、けれど拍手喝采の合間を縫うようにして進み、全員の耳の穴の中に入り込む。そして、怨嗟にまみれた言葉を、脳みそに直接叩き込む。 「この教室にはキツネしかいない」 その言葉に、全員の拍手がピタリと止まった。その全員が驚愕と恐怖がない混ぜになった瞳でわたしを見る。 テンション高く拍手を煽っていたと思っていた存在から、突然、意味不明な言葉を、ドス黒い感情まみれの声が聞こえてきたのだから、そうもなる。 ……そうでなくては困る。 緊張の糸が限界まで張り詰める教室。わたしの言葉を待っているのがわかる。だけど、あえて発しない。質問を待つ。 「……俺らがキツネ? どういう意味だよッ!」 来た。いや、来るとわかっていた。この場において、発言が可能なのは、わたしといじめの中心人物しかいない。 「君たち全員、キツネだよ。トラの威を借りるキツネだって言いたいんだよ」 全員がわけがわからないと眉根を寄せる。それでいい。あえてわけのわからない表現をしたのだから。 「まずは質問。この教室の中に望んで、彼に対して醜い言葉を浴びせている人はいる? いたら、手を上げてもらっていいかな?」 誰も上げるはずがない。いじめているサイドの三人ですら、手を上げない。上げられるわけがない。上げたら、いじめをしていることを認めることになる、あるいは加担していることを認めることになるから。 「あれ? おかしいな。誰も望んでないんだ。でも、今、みんな、拍手してたよね? わたしがいじめを称賛するような言葉に加担したよね? それは自分の心に嘘をついて、やったってことかな?」 誰も答えられない。最も、わたしが発言権を奪っているのだから、当然だ。ここで発言をしたところで、わたしから猛反撃を受けることは明白だ。 「ま、当然そうするよね。だって、そうしないと、今度は自分が標的になるかもしれないからね。吠えているトラに静かに加担することで、簡単に難を逃れることができるなら、そうしない手はない」 トラの前に立たずとも、後ろにいるだけでトラの威を借りられる。だって、トラは目の前にいる獲物にしか興味がない。後ろなんて見やしない。 「それを責めたりするつもりはないよ。それは生物としての生存戦略として、何も間違ってないから。たった一人でいじめからこの人を助けるのは不可能だからね。おまえけに相手は三人だ。そんなことをするのは、愚者だけだろうね」 わたしは標的を教室全体から三人に戻す。正しく言うなら、中心人物以外の二人に戻す。 「それで、君たち二人は、どうしていじめに加担してるのかな? 自ら望んでやっているわけでないことは、今のではっきりしたからね」 二人の表情に脅えがありありと見えた。その表情を利用し、わたしは間髪入れずに言葉を続ける。 「答えたくなさそうだから、代わりに答えてあげるね。なんでこんなことをしているのか。それは自己保身のため。強い力を誇示する者の近くにいれば、自分も強者の地位を手に入れることだから。違う?」 二人が核心をつかれたと言わんばかりに、表情を歪めた。 「トラの威を借りるキツネ、という言葉そのものだね」 わたしは薄い笑みを浮かべながら、最後の標的に視線を向ける。 「でも、それは君も同じこと」 中心人物である彼は、意表を突かれたように目を丸くした。 「わたし言ったよね、全員キツネだって。そこには当然、君も含まれる。君はいじめ、という社会が作ってしまった言葉の力を借りているだけのキツネなんだよ」 言葉にはあらゆる力が宿っている。いじめ、という言葉はまるでいじめっ子が強者であるかのように扱っている。だから、いじめをしている人間はまるで自分が強者であるかのような錯覚に陥ってしまう。 でも、それは違う。いじめをしている側は決して強者なんかじゃない。 「君は、いじめを隠れ蓑にして、強者であるフリをしている。違うなら、反論してね」 わたしはにっこり笑顔を見せる。彼は最後の力を振り絞って、反撃へと転じようとする。 「俺にそんな言葉を使っていいのかよ! 俺の父ちゃんはな、県の議員なんだぞ!」 わたしは急激に彼に興味を失った。もう少しましな反論がくるかと思っていたが、完全にキツネだった。父親というトラの威を借りたキツネだった。 ああ、もうおしまいにしよう。 「ダカラ、ナニ?」 わたしの冷めきった声に、キツネは冷や汗を垂らしながら、押し黙った。 「だから、何って聞いてるんだけど?」 キツネは何も言わない。反論をしようと、口を開けようとするが言葉になる前に閉じられてしまう。 「さっき言ったよね。いじめられている子を救おうとするのは、愚者だけだって。わたしは言葉通り、愚者だよ。だから、わからないんだよ。君の言葉の意味がさ! だから、説明してよ!」 キツネは何も言えない。言葉にしてしまったら、おしまいだから。 今まではその言葉で封殺できたのだろう。でも、それは彼の力じゃない。人の想像力を利用しただけに過ぎない。彼の父親が県議会議員であることによって起こる何かを、勝手に想像させて、その想像で勝手に相手が黙ってきただけの話だ。 だから、その想像をしない相手に、その手は通用しない。 何とかしようともがくキツネは、あうあうと、池の鯉が餌を求めるかのように、口を動かす。だが、結局はへたり込み泣き出してしまった。 わたしはそんな彼に向かって、言葉をかける。 「君、本当に強い人ってどういう人かわかる?」 彼は力なく首を横に振る。 「本当に強い人って、何かを他人に与えられる人間なんだよ。トラの威を借りるキツネって言葉は、たしかにキツネはトラのことを利用しているかもしれない。だけど、わたしは思うんだ。トラはそれをわかっているんじゃないかって。トラは自らの威を、キツネに貸しているんじゃないかって。弱者を自分の力で救ってあげてるんじゃないかって」 わたしは膝を折り、視線を合わせる。 「君の父親だってそうじゃないのかな? 誰かをいじめて強者を演じているのではなく、弱者に寄り添い、手を貸しているんじゃないかな? 本当の強者だとしたら、そうしているはずだよ」 彼ははっとした表情になった。父親の背中でも思い出したのだろう。 彼の父親は、県を良くしようと最前線で奮戦していることで有名だ。 最も、県を良くすることは大切だが、大切な一人息子が何をしているのかに関しては、注意を払うべきだと思うけれど。 「だったら、その父親に誇れるような人間を目指しなよ。トラの威を借りるキツネはトラがいなくなれば、ただのキツネだ。あっと言う間に狩られる側になってしまう。だから、トラになれ。キツネに悟られずにキツネを守るトラになれ」 わたしは彼に手を差し出す。 「この教室を支配していた君なら、トラになれるとわたしは思うよ。力は自分のためだけに使っていたらもったいないよ。他の人のために使ってみなよ。きっと自分のために使うだけよりも、もっと面白いことが起こるはずだよ」 彼はわたしの手を見てから、わたしの目を見た。まだ、迷っているように見える。 「今だよ。君が変わるのは今だ。未来の自分が何かをしてくれるなんて期待するな。自分を変えられるのは、今の君だけだよ」 彼に迷いが完全に消えたわけではない。それでも、決めたみたいだった。 「すぐに変えるのは難しい。だけど、変えようとすれば必ず変われるよ。自分のことは、自分のことだけは、自分の意志一つで変えることができるから!」 彼はわたしの手を握り締めた。強く強く握りしめた。 そう、人間は変われる。マイナスからのスタートであっても、自分の強い思い一つで、プラスに転じさせることができる。 わたし自身がその証明だ。 「それは、君も、同じだよ」 わたしは座っている彼にも手を差し出す。 「彼らを恨んだり、社会を憎んだって何も始まらない。自分から行動して、初めて何かが変わるんだ。変わろうとして、初めて変われるんだ。それが成功するか、失敗するかは次の問題。まずは行動する。その行動は逃げでもいい、攻めでもいい。行動することが、何よりも大切なんだから」 彼はわたしの目を見つめた。彼もまた変えたいと思っているはずだ。こんな現状を喜ぶ人なんてまずいないから。 わたしは躊躇する彼に力強く手を伸ばし続ける。 「ここからだよ。ここから始めよう。始まりはいつも今なんだよ」 わたしは二人に、そして教室にいる全員に大声で叫んだ。 彼は、震えるその手で、わたしの手を取った。 ~FIN~
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