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結局、社を出たのは午前二時を完全に回っていた。都内とはいえメトロも電車も動いている時間ではない。一月も末でビルの隙間を縫って吹き付ける風が暴力的に体温をむしり取っていくようだ。
いつもなら応接室のソファで眠って始発で帰るのだが、今日に限っては別の誰かが既に先客で爆睡していたから――というのは後付の言い訳でしか無くて、無性に家に帰りたくなったのだ。
――つまらねぇ企画書出しやがって。
散々詰られるのは今に始まったことじゃない。でも、今日のそれは堪えた。
連日終電ギリギリまで残業し、日曜出社してまでして本来の仕事を片付けつつ、練った企画だった。
自分なりに頑張って練り上げたのに、一瞬でなかったことにされる理不尽さ。屈辱――、……手負いの獣だって死ぬ時はせめて自分の縄張りで死にたいと思うだろう。つまりそんな気落ちに私はなっていた。
ため息混じりの白い息を口から吐きながら、大通りを歩いた。
ここから自宅までタクシーなら45分。帰りたいのにこんな時に限ってタクシーは掴まらない。
「……っれ?」
変な声を上げてしまったのは俯く視界の隅に立て看板が見えたからだ。黒板にカラーチョークで描かれた可愛らしい猫のイラスト。そして「Cafe」という文字。
「……こんな所にカフェ」
この道は何度も利用していたのに、今日の今日まで気付かなかった。
しかも、午前二時だというのに木製ドアからは電気の光が漏れている。まさか、と思って視線を軽く下にやるとプレートには「OPEN」の文字。
うそでしょ?だって午前二時……。
こんな時間にやってるカフェなんてありえない。都内とはいえ、終電が終わったこの時間は人の通りも少なくて閑散としている。
アホなんじゃないの、こんなカフェ。経営者は何考えているんだろ。こんな時間にオープンさせて採算取れるはずが無い。
でも、思う気持ちとは裏腹に行動は真逆だった。気づいたときにはそのドアノブを回して店内に入っていた。
「……いらっしゃい。バカな客」
店内に入ると鼻孔を擽るコーヒーの匂い。そして、失敬な声が重なった。
カウンター越しに金色の瞳と目が合った。
「ば……バカな客って失礼千万な」
思わず開いた口からはそんなことを言っていたけれど、えっと。
「こんな時間に営業しているカフェも大概なんだろうけれど、こんな時間までふらふら外出歩いてるキミもバカだってこと。俺の言ってること何か間違ってる?」
彼の怒気を少し含んだ声。
何か間違ってるとかそういう感じよりも、なんというか、えっと、その。
「……猫が喋るって話は聞いたことないんですが」
「猫がカフェ経営しちゃいけない法律でもあるわけ?」
「いや突っ込みたいのはそこじゃなくて。……喋ることが既に法律云々の前に既に私の常識の範疇を超えている事象なんだけれど」
カウンターの向こうにちょこんと立っている苛立った様子の彼は――どこからどう見ても猫だ。
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