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結局、猫のカフェの謎は解けないまま花柳さんと話をして私はシュガーから退店し、家路についた。
帰宅ラッシュが始まりかけるタイミング。混雑した電車内で、改めて私は思う。
――そうか、私は今無職なのか。
周囲はスーツを羽織った人達ばかりで、自分も数日前まではそうだった。最近はこの時間帯に電車なんて乗らないので、自分に職がないことをまざまざと見せつけられているようで凹む。
帰宅し、室内着に着替えてからバックを開いた。中からラッピングされたマグカップを慎重に取り出し、一緒に貰った紙袋に入れてテーブルに置く。それをじっと見つめて、私は考えた。
どうして、あそこに忽然と猫の喫茶店が出来上がったんだろう。
あのパン屋は間違いなく二、三日で新装開店したお店ではなかった。とすれば、猫の喫茶店は私が目の前を歩いたあの日あの晩――不意に出来上がったお店に違いない。
そもそも、あんなところにあんな常識外れの猫が店を構えていたらすぐに話題になるだろう。それが話題にならなかったということは、きっとあの場所に突然喫茶店ができたとしか思えない。
「あるいは、私が寝ぼけて夢でも見ていたのかな……」
実際にカフェのあった場所に行き、花柳さんに話をして――冷静になって、初めて湧き上がる感覚。
「ひょっとして、もう会うことはできないのかな……」
ラッピングされたマグカップを膝を抱えて見つめる。
不意に、つっ……と涙が頬を伝った。
「え、やだ。ちょっと待って……」
――別にバカにはしてない。ビートルズを知らなくても生きてはいける。でも、バカで無知なキミに教養というものを教えてやってる感覚ではある。
――俺が今一番聴きたい曲をかけただけさ。
――その歌詞に込められた意味を知るのはその詞を書いた本人だけなんだろうな。聞き手である俺たちにはそこに込められた意味を百パーセントは理解できない。
あの猫が囁いた一つひとつの言葉が、表情が、脳裏に蘇ってくる。
彼が言いたいこと、言いたかったこと、伝えたかったこと。
私は全部受け止めた。彼はきっと素直じゃないから、皮肉屋だから、ちゃんとした言葉じゃなかったけれど――でも、その全ては私の背中を押してくれたんだ。
「私、別に猫を好きになったってわけじゃないのにっ……」
――ただただ、感謝の言葉を伝えたかった。貴方が一方的に喋って私がちゃんとそれをお礼できないなんて――嫌だ。
頬を涙が伝い、止まらなかった。
しゃくり、拭っても拭ってもとめどなく溢れてくる涙を小さな手のひらで必死に拭うことしか――。
「……何やってんの、お前」
不意にあの猫の声が聞こえた気がした。
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