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~3杯目~ 猫のマスターとラグドール
あの猫の声が聞こえただなんてありえない。
きっと幻聴だろう――と思ったその瞬間。
鼻孔を擽るような、香ばしいコーヒー豆の匂いがふわりと漂う。
どこかで嗅いだことのあるこの匂いは。
「そんなところで泣いてると営業の邪魔なんだが」
「……え?」
目を開くと――そこは、私の部屋じゃない。
古くて味のある蓄音機、大量のレコード。大きな木をくり抜いたような木造空間。暖かな暖色光を放つ白熱灯。
そして――
立派なカウンターの向こうで無愛想な表情でグラスを拭いている猫の姿があった。直立二足歩行をしていて、短毛で白と黒のツートン・カラーをしていて、金色の鋭い眼光を放つ瞳を持つ猫の姿。
「別にっ……泣いてなんか……!」
「キミ、今最高に泣きブスの顔してる」
黄色いエプロンを掛けた猫は微かに鼻を鳴らし、ピッカピカに磨いた曇り一つ無い大振りのグラスをカウンターに置いた。
そのグラスに映る自分の表情ときたら――最高の泣きブス過ぎて、逆にちょっと笑える。
「まだ使ってないハンカチだとか至極当然のことを言わせるなよ」
いつのまにかカウンターを飛び越えて、座り込んだままの私のそばにやってきた彼は――肉球の残る大きな掌に几帳面に四隅を合わせてアイロン掛けをした紺色のハンカチが乗せられている。
「ね、猫が使うハンカチなんかっ……」
「あぁそう。なら別にいいや」
ひょい、と手を戻そうとした彼の手からひったくるように奪う。
「使わないなんて一言も言ってないッ!」
「猫は気まぐれだからな、誰かの気持ちを察するなんて高度な技術は元々備わってないんだよ」
彼はポケットに手を突っ込み唇を尖らせながら、カウンターの中へと戻っていく。
私はハンカチで目元を拭った。
「とりあえず、泣き止んだら床になんて座ってないでカウンターに来たら?」
話をしたいことは色々どころか山程あるけれど、彼の言うことがもっともだったので私は足元に気をつけて立ち上がった。
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