~3杯目~ 猫のマスターとラグドール

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「別に話したくないなら話さなくていいよ。その辺はキミに任せるけれどさ」  私が胸中で慙死を逃れるべく慌てふためいていると、彼はカウンターにあるコーヒーサーバーに手を伸ばした。  その追撃は意外と厳しくないものだった。少し呆気に取られ――マグカップを準備する光景を見ていると。  彼の手にはどこかで見たことのあるマグカップが握られていた。可愛い猫のイラストが入ったシンプルなマグカップ。 「……、……あの、そのマグカップ、一体どこで?」 「あぁ……とある客が俺にプレゼントするつもりで買ったものらしい。ひと目見て気に入ったから使わせて貰ってるんだ」  悪びれた様子のない猫は、注いだブラックコーヒーに唇をつけながら向かいのスタンディングチェアのような脚の高い椅子に腰を下ろす。 「買った本人の前でしれっとそんなこと言います普通!? ってことは全部知ってるんですか貴方! しかもとある客って!」  思わず私は食って掛かってしまう。  マグカップを見つけた時、彼のことを胸中で想っていたのは確かだ。でも、それを全部知られていたとは思わない。頬が灯油をぶっかけられて火を灯されたかのように熱い。  しかし、その食って掛かる言葉も目の前の猫にとっては蛙の面へ水といった様子だ。 「別に俺はその光景をとある手段で見てただけだし。キミが俺にプレゼントしたいって呟いてたじゃないか」 「ひどい、カマかけてたんですか!」 「勝手に妄想して自滅したんだろ。 そんでとある客って言ったのは……まぁ、キミの名前を俺は知ってるけれど、直接自己紹介はしていないからね。そこでキミの名前を挙げるのはどうかなと考えただけさ。ま、人間さんって言っても良かったんだけれど?」  そこまで突っ込まれて――そういえば自己紹介すらしていなかったと気づく。 「や……えっと、猫さん猫さん言ってすみませんでした」 「わかれば宜しい」  そういえば猫さん猫さんって連呼するのはきっと彼が私に人間さん人間さんと言うのと同じ感覚だろうし、言われたら少々イラッと来るのを想像し、頭を下げる。  彼はすぐに許してくれて――そのまま続ける。 「雪島 千尋です」 「俺はタマだ」  あまりにもさらりと名乗られて――思わず笑ってしまう。 「なにそれ、日曜夕方の国民的アニメの猫と同じ名前じゃない。性格は全然似てないけれど」 「それはよく言われる普通のリアクションだ。そしてキミは国民的アニメの猫の性格をちゃんと把握してるのか」 「少なくとも貴方よりは猫らしいハズ」 「俺が普通の猫じゃないことは直立歩行してる時点で色々察しがつくだろうが」  売り言葉に買い言葉でいい加減喧嘩になりそうな雰囲気になったので私が折れて黙ることにした。少なくともああ言えばこう言うタマが相手では絶対に口論で勝てる気がしない。それよりも――もっと伝えなきゃいけない言葉があるだろう、私!  座ってた椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がる。  口論が終わり、ようやくマグカップに口をつけようとしたタマの細い瞳孔が更に細くなる。 「あ、あのっ……先日は、色々と話を聞いてもらってその……ありがとうございました!」 「どういたしまして。……さっきも言ったけれど、キミの気持ちが軽くなったんだったらそれで成功だから」 「それで……そのマグカップはそのお礼です。なので差し上げますねっ!」 「ありがとう。俺もひと目で気に入ったよ」  タマはマグカップを肉球付きのもちもちとした掌で撫でる。  その満足そうな表情を見て……やっぱり、買ってよかったと思った。
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