~2杯目~ 電撃退職と猫のマグカップ

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 とはいえ、あの猫の喫茶店は退職したばかりの会社の近くに存在する。  まだ退職して数日しか経っていない私は、最寄り駅までの通勤ルートに乗ると脊髄に染み込んだ記憶が蘇り自然と気が重くなる。 「や、やっぱ後日にしようかな……」  電車の窓に映る自分の顔ときたら――沈んだ表情をしていてとんだブサイクだ。  頬をパンッ!と叩き、自分に活を注入する。 「せっかく元の世界に戻してくれた猫さんなんだものね。笑顔でいかなきゃ」  口角を上げて笑みを浮かべてみせる。浮かない表情をしていたらあの猫にまた心配されてしまうだろう。  駅の改札を抜けると、私は小さなバックを小脇に抱えて喫茶店までの道をダッシュする。ちなみに私はスカートよりGパン派であり、踵も低い靴のほうが好みだ。  こう見えて学生の頃は陸上部だった。走るのは得意だ。  スーツを着て歩く会社までの道のりはそこそこあると思ったが――今はこんなに短く感じる。 「ふー……」  軽く息を切らせるだけであっという間に会社の近くまでたどり着いた。 「まさか、見知った顔とか無いよね」  曲がり角の壁に身を潜め、会社の前をそっと確認する。  ……よし、オールクリア。ミッションインポッシブル――スタート!  知った顔がないことを確認し、大きく息を吸って……吐いた瞬間。一気に地面を蹴った。  100メートルもないその距離をあっという間に駆け抜ける。  息が切れるまで走り続け――もう少しで猫の喫茶店が―― 「……え、えぇ……?」  外装はあの時と全く同じだ。違うのは可愛らしい猫が描かれた立て看板がなくて、ドアにOPENと描かれた下げ札がないことだ。  できたてパン屋、シュガー。あの夜には全く気づかなかったお店の看板が壁面に大きく書かれ、ひと目であのカフェとは違うということがわかる。  それでもあの夜の記憶ははっきりと覚えている。暖かいカモミールティーの香りと、ノルウェイの森の軽やかなメロディ。  信じきれなくて、私は慌ててドアノブを回した。 「いらっしゃいませ」  穏やかな表情で迎える私よりも年上に見える女性の店員。できたての様々な香ばしいパンの匂い、無機質な白の壁。流れるのはJ-POPのインスト版。  明らかに私の探していた店じゃない――……。
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