913人が本棚に入れています
本棚に追加
再会とデート
もう会うことはないかもしれないと思っていたのに、こんなに早く再会することになるなんて。
「夏帆ちゃんの行動力すごいなぁ」
彼女がいなかったらあの後もこちらから連絡はしなかっただろう。ただ同性とキスしてみたという記憶が残るだけで終わっていた。
京介とは土曜の夕飯を一緒に食べることになった。今回は彼の提案でスペインバルへ行く。休日だしバルへ行くなら気取った服装をする必要も無いだろう。
柊一は当日ペールグリーンの七分袖シャツにアンクル丈の白いボトムスというラフな服装で出掛けた。
待ち合わせ場所に着くと既に京介が待っていた。黒いTシャツに黒のパンツというなんてことはない組み合わせなのに、スタイルが良いせいか明らかに人目を惹いている。スーツを着ていれば大抵の男はそれなりの体型に見えるものだ。しかし彼の場合緩やかなシルエットのTシャツ姿でも明らかに恵まれた骨格とそれに見合った筋肉が付いていることが窺えた。
通り過ぎる女性が彼にチラチラと視線を送っている。京介の恋愛対象が女性ではないと知れば彼女たちはがっかりするだろう。
「お待たせしました」
柊一が声を掛けるとスマホから視線を上げた彼と目が合う。大きな口が笑みを浮かべ柊一を歓迎していると言外に伝えてきた。
「俺もさっき来たところだよ」
あの晩以来、彼と再会するのにどんな顔をしたらいいのかと悩んでいた。しかし夏帆といい彼といい、会った瞬間嬉しそうに微笑む表情が柊一をほっとさせてくれる。気まずさなんて最初からなかったように消え去った。
彼のおすすめのバルは居心地の良い店だった。さほど広くはない店内にカウンター席がいくつかと、あとはテーブル席が三席。京介が席を予約してくれていたから入店できたが、その後入ってきた客は入店出来ずに諦めて帰って行った。
「このマッシュルームめちゃくちゃ美味しいですね」
「だろ? こっちのエビも美味いよ」
柊一はサングリアの白、彼は赤ワインを飲んでいる。
「昔、学生の頃にマドリードに行ったんだ」
彼はエビのアヒージョにバゲットを浸して食べながら話しはじめた。
「一緒に行った友達がサッカー好きでね。俺はその頃まだサッカーには興味がなくてただスタジアムについて行って――あちこち歩いて回ってホテルの最寄駅で降りたんだ。季節は冬だったが、日中は陽が照ってると結構暑いんだよ。夜はコートがいるけど、日中は半袖って人もいるくらいでね」
「へえ、そんな気候なんですね」
「ああ。それで割と大きな駅だったから売店が色々あって。チョコレート店でドリンクを売ってたんだ。広告が出ててね」
彼らがそれを飲もうと広告を指さして注文したところ、店員に何かを尋ねられたという。
「スペイン語だったが、なんとなく温かいのと冷たいのどちらにするか聞かれたのがわかった。それで、coldでって答えたんだ。そしたらその店員が『カリエンテ?』と聞き返してきた。英語が通じないんだな。で、なんとなくカリエンテって氷みたいで冷たそうだよなってことで、『カリエンテで』って頼んだんだ」
そして飲み物ができるまで待つもなかなか出てこない。その間に彼の友人は旅行のガイドブックをめくりはじめた。
「簡単な用語集が巻末に載ってた。あ、かなり古い話だから当時は海外でスマホ検索なんてできなくてね。で、カリエンテの意味を見つけたんだ」
「どういう意味だったんですか?」
「それが『熱い』って意味だったんだよ」
目を見開いた柊一を見て彼は笑った。
「暑いから飲み物を頼んだのに、ホットチョコレートが出てきたんだ。しかも、ストロー付きで」
「え、ストロー?」
「ストローでホットドリンクなんて飲んだことある?」
柊一はもちろん無かったから首を振った。
「だよね。俺も友人もそんなの初めてだった。で、飲んでみたら火傷しそうなくらい熱かったよ!」
二人で笑いながらホットチョコレートを飲んだと彼は陽気に話してくれた。
「ヨーロッパはその後もあちこち行ったけどスペインは特に英語が通じなかったなぁ」
「そうなんだ……」
「とにかくハモンセラーノが美味しくてね」
「ハモンセラーノ?」
「これだよ、生ハム」
彼は目の前の皿に乗った生ハムをフォークで突き刺した。
「日本で食べるとただ塩辛いハムって感じることが多いんだが……向こうのは風味が全然違ったんだよなぁ」
「そういうものですか」
「多分塊からその場で切ってるからかな? あらかじめ切ってパッキングしたものは風味が抜けるんだろうね」
「へえ……俺、海外へは行ったことがなくて」
彼は生ハムを口に運んだ。柊一も釣られて生ハムを食べる。単独で食べるにはたしかに塩辛く、柊一はサングリアで流すように飲み込んだ。
うちは母子家庭で、子供の頃は旅行する余裕など無かった。旅慣れていないので大人になってからもどこへ行けばいいかわからず、国内ですらあまり遠出したことがない。
「現地に行って体験してみて初めてわかることってたくさんあるよね」
柊一は素直に頷いた。年は三つしか違わないのに様々な点で京介の方が経験値が上だと改めて思う。しかも職場の上司みたいに説教くさいわけでもない。今まで興味を持つこともなかったのに、一味違うという現地のハモンセラーノを食べにスペインへ行ってみたくなった。
その後も彼の「ヨーロッパ珍道中」の話を聞いては笑い、サッカーの話で盛り上がり、最近の経済関連のニュースについて語り合った。すっかりいい気分になっている柊一に彼が言う。
「柊一くん、もしよければここから最短距離の現地体験をしてみないか」
「最短距離で現地体験……?」
最初のコメントを投稿しよう!