アーモンドの木の枝

2/3
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
「さむっ」 寒冷前線が来ているとかで、三月なのに真冬のようだ。吐く息が白い。今は青空が見えているけど、今朝は雪までふった。まだ道の端にところどころ残っている。 志帆がダウンの袖をひいた。 「ねえ、公園の方からいこ」 「遠回りだろ」 「いいじゃん。ちょっとくらい」 「まあ、べつにいいけどさ」 公園には誰もいない。この寒さでは当たり前か。ずいぶん久しぶりに来た。周りには見覚えのない新しい家がちらほらあるけど、公園じたいは昔のままだ。すべり台にブランコに砂場。たいした遊具はないけど、走り回るには十分広くて、小学生のころはよく友達と遊びにきた。志帆もよくくっついて来てたけど、三つも年上の男の子たちの遊びには混ざれなくて、ただそばで見てるだけという感じだった。それでも、家に一人でいるよりはよかったのだろう。うちは共働きで母さんの帰りはおそいし、こいつは引っ込み思案で、いっしょに遊ぶような友達がいなかったのだ。 「わあ、きれい」 志帆はかけていって、木を見上げながらさけんだ。 「アーモンドの花みたい」 葉を落とした枝に雪がつもって、言われてみれば白い花のようだ。なぜアーモンドなのかというと、志帆がいま美術部で模写しているのが、ゴッホの『花咲くアーモンドの木の枝』という絵だからだろう。 志帆は絵に夢中で、尋ねてもいないのによく熱心に語っている。青空を背景に広がる、桜によく似た白いアーモンドの花。ゴッホのよき理解者で、支援者だった弟のテオに、子どもが生まれたお祝いに描かれたのだそうだ。ゴッホは苦しみに満ちたその生涯で、明るい色彩の美しい絵をたくさん描いた。 志帆は立ちつくしたまま、吸い込まれたようにじっと木を見つめていた。これはしばらくかかりそうだ。小さいころから、時々こんなふうになっては動かなくなる。そういうときは、周りの声が耳に入っていないようだ。 そういえばこの木はなんていうんだろう? アーモンドでないことはたしかだ。もっと普通の、どこにでもありそうな木。でも志帆が今見ている木は、おれが見ているのより美しいのだろう。志帆は、人が見過ごしてしまうような微かな何かをとらえ、それを絵で表現するのが楽しくてたまらないといった感じだ。きっと人より多くのものを受け止めてしまって、心がいっぱいいっぱいになってしまうから、勉強が苦手だったり、人見知りだったりするんだと思う。天才肌というやつだ。ひいき目なしに見てもすごい絵を描くし、コンクールでも結果を出している。それに引き換え、おれには特別好きなこととか、特別な才能とかは無い。ただ器用に、やらなくてはいけないことをこなせるっていうだけの、つまらないやつだ。おれも志帆みたいになれたらいいのに。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!