赤い海は青い月を映す。

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赤い海は青い月を映す。

──或る少女は、俺の事を"にせもの"だと評した。 その言葉自体に心を揺さぶられる程の衝撃は受けなかったものの、極めて凪いだ声でどういう意味かと尋ねると、彼女は大きな眼に涙を浮かべながら消沈した声で呟いた。 「遼は言葉と顔と感情、全てがちぐはぐでどれが正解か解らない。だから怖いのよ」 「全部がつくりものみたい」 「本当の遼の気持ちはどこにあるの?」 沈んだ声の合間合間に、控えめな嗚咽が交ざる。 「──悪い」 辛うじて絞り出した謝罪は、何に対してのものだったのだろうか。俺は自分なりに彼女を大切にしてきたつもりだった、慈しんできたつもりだった。 でもそれは全て、ただのエゴでしか無かったのか? 「……本当に、」 大事だった、その一言に嘘は決して含まれてない──だが、静かに涙する彼女を前にその言葉は出てくることはなかった。そして深海の如く感情の細波すら立たない顔も、また、胸を刺す痛みに歪む事もなかった。 ──── 時計の秒針と紙の擦れ合う音だけが響く室内。時間が有ると図書室に入り浸る癖のある遼は、いつものようにお気に入りの窓際の席に腰を下ろして本のページを捲っていた。冬の日差しの恩恵を一身に受けられる特等席は、同時に仄かな微睡みも引き連れてくる。 静寂と安寧。そんな言葉が相応しい時間が流れている中、鼓膜に聞き覚えの有る元気の良い足音が届いた。 それは徐々に近くなり、扉の前で一旦止まる。ひと呼吸置いた後に中に居る人間に気を遣って静かに扉を開けるさまは、元気の良さに隠れた人の好さを垣間覗かせる瞬間だ。 ──そして、足音の主は遼が声を掛けるまで決してその場を動こうとしない。せっかく扉を開ける時に気を遣ったのだから足を止めるのなら室内に入ってからにしろ、と何度窘めたところで耳を貸そうとはしないのだ。足音の主、真波秀悟曰く「遼が一番綺麗に見える位置を見付けたから」とのこと。共感は出来かねるがそれを語る時の活き活きとした瞳を見ていると毎度絆されてしまうので、結局堂々巡りの攻防を繰り返している。 「何しに来た」 口を突いて出る悪態をものともせず、秀悟は毛質の柔らかい黒髪に片手を添えながら人懐っこい笑みを浮かべてみせた。心なしか目の前の彼に大型犬の像が重なるも、それを払うように遼は読みかけの本を閉じる。 「んー……?本を返しに来たら遼くんが居るのに気付いたんで、取り敢えず声を掛けてみただけ!意味は無いよ!強いて言うなら喋りたい!」 「さっさと教室に帰れ」 「うわ酷い!!」 大仰に嘆いてみせる様子にも出会った当初は気圧されていたが、今となっては慣れが勝り軽くあしらってみせる。途中に減らず口が顔を覗かせるのも秀悟へ気を許しているがゆえのささやかなじゃれ合いだ。 「俺にとって休憩時間は休むためにある。喋るためにある訳じゃない」 「それなら脳も休めないと駄目じゃん!」 「読書は呼吸と同じだろ、お前は毎度休憩時間に呼吸を止めるのか?」 「〜〜〜……っあー、もう……!」 「分かったらさっさと帰れ。邪魔だ」 ──今読みかけのものの他にもう一冊、追加で本を借りておこう。そう思い立った遼が立ち上がり本棚へ足を向けると、後ろから名残惜しそうに秀悟の着いてくる気配がする。重ねて哀しげな声で名を呼ばれてしまえば、遼も思わず心の内にて苦笑せざるを得ない。 ──なんだって、お前はこんな俺に着いてくるのか。つくりものはつくりものらしく、独りで居れば誰かを悲しませる事もないだろう。勿論、その"誰か"はお前も例外じゃない。 「……読んでみろ」 差し出した本は、せめてものメッセージか。 「読み終わったら返しておけよ」 間違いは繰り返さない。 今度こそ、誰かを悲しませる事の無いように。 "美術に生を捧げた少年と、一輪の造花のおはなし"
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