お前は今日から柴犬になれ

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 俺の飼い主であるじいちゃんはちょっとおかしい。 「いいか、カンタ。お前は今日から柴犬だ」  ある朝じいちゃんは、俺を自分の横に座らせてそう言った。 「お前は柴犬なんだ。わかったな」  無言の俺に向かってじいちゃんはもう一度言う。  だがしかし。だがしかしだ。  俺は、柴犬じゃない。  残念ながらチワワだ。いいか、Chihuahuaだ!  確かに豆しばってやつとだったら体格差はちょっと縮まるけど、小型犬の中でももっとも小さい犬種、それが Chihuahuaだ。豆しばと比べたって小さい。  だが、じいちゃんは多分俺がチワワだということを知らない。  そもそもチワワという犬種を知らない。まあ、知らなくても当然だ。だってじいちゃんは俺をペットショップで買い求めたわけじゃない。  捨てられていた俺を拾って育ててくれたんだから。  だからチワワを知らなくてもしょうがない。少し前に今日のワンコに出ていた俺の同族を見て、「あー、なんかお前に似てるなあ。兄弟だったりするんかのう」なんて言っていたけど、あれは兄弟じゃない。同じ種類なだけだ。  じいちゃんにはその辺りがいまいちわかっていないらしい。  犬は犬。そこに種類があるなんて思っていないようだ。  そのじいちゃんが言う。「お前は今日から柴犬だ」と。  一体なにが起こったんだ?と首を傾げる俺の耳に、「ちょっとじいちゃん」と咎めるような声が聞こえてきた。  孫娘の都だ。 「カンタが柴犬になれるわけないでしょ。カンタはチワワなんだから」 「いいや、犬は犬だ。根性でどうにでもなれるだろう。同じ人間だって藤井聡太くんみたいに立派な棋士になったり、大坂なおみちゃんみたいにすんごいテニスプレーヤーになれるだろうが。カンタだって努力すれば柴犬になれる!」  じいちゃん、むちゃくちゃだよ。  努力でどうにかできることとできないことがあるぜ。  辟易した俺に都が、困ったおじいちゃんね、と言いたげな顔をしてみせる。高校生ってやつになる都は、じいちゃんよりよっぽど大人だ。  まったく困ったじいちゃんだぜ、と思いつつ、俺は少し気になった。  なんでじいちゃんは俺を柴犬にしたいんだ?  そりゃあ、柴犬はかっこいい。きりりとしているし、頭だって良い。巻いている尻尾がチャームポイントでもある。足も多分俺より速い。下毛(卑猥な意味じゃない。犬の肌を覆っている毛のうち、一番皮膚に近いところにある毛だ)もしっかりしている犬種だから寒さにも強い。メキシコ原産のチワワであるところの俺は、下毛がほぼないから寒さには激弱だ。  柴犬みたいに外飼いされたら俺はちょっと冬を越えられないぞ・・・とふるふるしている俺の前で、じいちゃんはちびちびとお茶をすすりながら呟いた。 「俺も年を取ったからなあ。いつお迎えがくるかわかんねえ。そんとき、残されたカンタはどうなる。また一人ぼっちだ」  じいちゃん!なにを言いだすんだよ! 「じいちゃん、なに言い出すの」  俺と都が同時に叫ぶ。もちろん俺の声は「くきゅううん!」と聞こえただけだろうけど。  それにしたってなにを言いだすんだ!じいちゃんは。  そんなの断じて考えたくないぞ!  うううっと軽く唸ると、じいちゃんは湯呑を縁側に置いて俺の頭をがしがしと撫でた。 「柴犬ってやつは賢くて強いんだろ。だから柴犬になればカンタも大丈夫。俺がいなくなっても悲しまずに頑張って生きられる」  だからな、とじいちゃんは俺の頭をさっきより優しく撫でた。 「お前は柴犬になれ。カンタ」    じいちゃんは勝手だ。  柴犬だろうとチワワだろうと、大好きな人がいなくなったら、強くなんていられないのに。  自分だってばあちゃんがいなくなったとき、まるで枯れ木みたいにすかすかになっちゃったくせに。  それなのに俺には柴犬になれと言う。  強くなれと言う。  勝手すぎる。腹も立つ。  でも、俺は。  俺はまっすぐにじいちゃんを見上げ、そして一度、わん、と鳴いた。  俺はじいちゃんのために柴犬になると決めた。無理でもなんでも立派な柴犬になるんだ。  そうしてじいちゃんを守るんだ。  ばあちゃんがいなくなったときみたいなあんな顔をさせないで済むように、俺が全部から守ってみせる。  絶対に。  体はチワワだ。でも心は柴犬にきっときっとなってみせる。  1月29日。この日から俺の柴犬になるための修行が始まった。
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