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車をコインパーキングに置いて、沢井は三橋を連れて定食屋ざくろに来た。
店の前では三國と森谷が待ちぼうけている。中で待ってろよ、と沢井が苦言を呈すると森谷が眉を下げて腕時計を指し示した。現在時刻は十四時半。ここ『ざくろ』の午後営業は十五時からである。
すぐさま三橋がほかの場所を、とスマホを取り出すも、沢井は躊躇もなしに擦りガラスの戸を開けた。
「よお。ちっとはえーが四人、いいか」
中では、兵藤夫妻が午後にむけた準備をしているところだった。千枝子は困ったようにわらって、
「お座んなさい」
と、一角だけ間仕切りのついた席を案内してくれた。どうやら並ぶ面子を見て、警察内々での話があるかもしれぬ──と気を利かせたらしい。
この店は奇しくも、中田聡美の遺体が発見された歓楽街にほど近い場所にある。とはいえ二本も路地を挟めば他人事。外の通りはすっかり日常にもどっている。
森谷の向かいに沢井、そのとなりに三橋が腰かける。品書きを手にとった三國が「ここは」と上目で沢井を見た。
「なにがうまいんです?」
「なんでも美味い。が、俺のおすすめは味噌煮かな──味はしっかりついているのにくどくねえ」
「美食家の沢井さんがそうおっしゃるなら、そうなんでしょうね。じゃあわたしサバの味噌煮定食にします」
「じゃあ自分も姐さんとおなじの」
「姐さん言うなっつの」
一方、森谷は先日食べた肉じゃが定食の味が忘れられないらしく、しかしほかのメニューも捨てがたいようで、いまだに品書きにかじりついている。見かねた沢井が、自身のフライ定食にプラスして単品の肉じゃがを頼むことで解決した。けっきょく森谷は竜田揚げ定食にしたようだ。
「で、結果は?」
竜田揚げをひと口食べたところで、森谷が言った。
飯時そうそうに始める会話でもないがさすがの警察官、みなパクパクと食べる手を止めずに、司法解剖結果の報告を待っている。沢井がちらと三橋を見ると、彼女は口いっぱいに頬張った白米を幾度か咀嚼して呑み込むと、何度かうなずいた。
かばんから先ほどもらい受けた検案書が出てくる。
「えっと、死因は腹部裂傷からの失血性ショック死。漢数字の三を書くように三本の傷が見受けられました。遺体発見時からわかったように、とにかく血液残量が希薄。傷からつよい殺意が見受けられなかったことから藤宮先生は血液を搾取する過程でいのちが奪われたのではないか――と考察されました。つまり……血が欲しかったんじゃないかと」
「血。まァた血ですかィ」
「死亡推定日は遅くとも三月中。犯行場所は言わずもがな別場所ですね」
「えらい気味のわるい犯行やな。ってことは殺してからしばらく、どっかに保管していたっちゅうことやろ?」
「腐敗が進んで、だいぶ腐敗臭も目立っていましたから。置き場に困って棄てたのかも」
「その司法解剖の帰りがけによう食えるな、綾ちゃん」
「もつはさすがに食う気にはなれませんでしたけどね」
といって、三橋は検案書をかばんに戻す。
それから視線を森谷と三國のふたりへ向けた。こちらの捜査報告を求める顔である。すでにあらかた食い終えた三國がポケットから手帳を取り出して、ぱらりとめくる。
「こっちはこっちで胸糞わるかったんでさァ。ガイシャ、中田聡美は学生時代から放蕩娘だったらしくて、まあ夜の街ではよく見かけられていたようですぜ」
「年齢はたしか二十二だったか」
「おん。大学には通いよったみたいやけど、とくにアルバイトとかをするわけでもなく、かといって中野にある家に帰るのも月に数回。せやから親は聡美がおらん方がふつうって感じやってん。今回死体で発見されたって聞いてもどっか他人事みたいで──なあ」
「ええ。涙のひとつもこぼすかと思ったんですが、ケロッとして、しまいにゃ厄介者の愚痴まで出る始末。ありゃあ死んでせいせいしたとすら思っているかもしれませんねィ」
「…………」
沢井はムッと顔をしかめて、いましがた口に運んだエビフライを勢いよく噛みちぎった。その一挙手一投足から行き場のない怒りが込められていることは一目瞭然である。三橋はあわてて口をひらいた。
「友人関係は?」
「大学も休みがちで、あんまり親しい仲のもんはおらんのやて」
「所轄が高校、中学の同級生にも当たったそうですが……もはや『誰だっけ?』的な。近ごろの若者ってェのはみんなここまで人間関係が希薄になっちまっているんですかねェ。世知辛ェや」
と、言いつつ三國の顔には薄ら笑いすら浮かぶ。もとより彼の辞書に『同情』や『憐憫』というものはない。サービスで出てきた漬け物を食みながら、三橋はため息まじりにつぶやいた。
「最近の子はネット上での繋がりが活発だから。よく聞きますよ。ネット、とくにSNS上だと濃い繋がりがあるのだけど、顔も名前も隠して、仮想現実のなかで生まれた縁なもんだから、そのサービスが終了したら途端にさようなら。けっきょく気付けば現実世界には一人きり──なんて話」
「ネットがねえ時代にも、居場所がねえ野郎は腐るほどいやがったがよ。当時はこの現実世界のなかでそういう奴らが集まって、ひとつの居場所になっていたからなァ」
「しみじみ言ってますけど、沢井さんだってまだそんなご年齢じゃないでしょう!」
「なに言ってやがる。俺が若ェころだって、まだネットなんてものはほとんどなかったんだ。よくガッコの先輩方が夜な夜な、むこうの歓楽街に遊びに行くのを見ていた口さ」
ニヤリ、と口角をあげて沢井はさいごのひと口を食べると水で喉奥に流し込む。武骨な先輩の横顔を眺める三橋が、ふと三國に視線をうつす。
「ねえ。聡美さんの使用していたパソコンとかスマホとか、ご実家になかったの?」
「ほとんど帰らねえ家に置いとくわけはねえでしょう。親御さんも、そういう類いのものはたいてい肌身離さず持ち歩いていたって言ってましたよ」
「……となると、犯人がすでに棄てたか、もしくはまだ犯人の手元にあるか──」
しばらく沈黙して肉じゃがを堪能していた森谷が、
「IPアドレスとかで辿れるんちゃうん」
と口を挟む。
が、妙案におもわれた意見も三橋によって即刻却下されてしまった。
「電源がついていなければ、まず無理でしょうね。一応追跡はかけてみますけど……三月中に死亡していたのなら、犯人が充電でもしてくれていないかぎりはむずかしいかと」
「死んだ人間の電子機器、いちいち充電はしねえっすよねェ」
といって、三國はからからとわらった。
しかしそのコンビである森谷の顔は浮かない。そういえば彼は朝の捜査会議の段階からめずらしくゆううつな顔をしていたのである。理由はてっきり、頻発する殺人事件に対する憂慮かとおもっていたが。
彼がいつになく腕時計を気にするようすで理解した。
「森谷、おまえなんか用事でもあんのか」
「ウーン……ある、あったんやけど、この分やとあきらめた方が良さそうやな」
言いつつ、その顔は泣きそうだ。
代わりに答えたのは三國だった。
「今日の十八時から、ピアノのコンサートがあるそうですぜ。わざわざ抽選でチケットまで買って」
「ピアノ──あ!」
沢井が目を見ひらいた。
「真嶋史織か?」
「せやねん~~~~~~ッ。なんでよりによって、六日のコンサート前に凶悪殺人事件捜査が始まんねんッ。せっかく、せっかく取れたっちゅうのに!」
「お前ェたのしみにしてたもんなァ」
と気の毒そうにつぶやいて、沢井は一本煙草を取り出した。
時刻はまもなく十五時。
ぱたぱたと忙しなく動く千枝子が、暖簾を掲げるために外に出る。すると擦りガラス越し、彼女のすっとんきょうな声とともに、聞きおぼえのある声が聞こえた。オッ、だの、ナンダッ、だの、きょうは妙に上機嫌なご様子の御曹司──。
「とうとうあの鉄面皮に会ったのかッ、龍さん!!」
よく通る声でさけんだ恭太郎が、高々と靴音を鳴らして席に寄ってくる。つづいて一花、将臣がその背後からひょっこりと顔を出した。
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