第三夜

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 定食屋『ざくろ』での時間は、唐突に終わりを迎えた。沢井の携帯に着信が入ったためである。発信先は、ともにこの事件を捜査する所轄署の巡査部長。彼らは現在、おなじ捜査第一係として動いている。電話のために席を立つ沢井を見て、三人組も食後早々立ち上がった。  これから午後の講義があるという。  大学って、と三橋が腕時計を見る。 「こんなところで油売ってて、間に合うの」 「大丈夫よオ。だってあたしたちそこの、白泉大学だもん」 「あら奇遇! もそこ出身なのよ」 「えェ~学科は?」 「文化史学科」 「きゃあ! あたしたちの先輩じゃんッ」  一花は飛び跳ねてよろこんだ。  そのとなりで、将臣は微笑を交えてつぶやく。 「白泉大文化史学科には──奇人変人が集まるんですよね。もしかして三橋さんもその口ですか」 「やあね、そのなかの数少ないマトモな人間だったの」  といって、三橋は一花の頭をポンと撫でた。 「白泉はたのしいわよ。勉強がんばってね」 「うん!」  親近感ゆえかすっかり懐いた一花は、店を出る間際まで三橋に対しぶんぶんと手を振りつづけた。その熱烈なお別れを横目に三國がボソリと、 「……お姉さん?」 「そこに文句あんのか? はっ倒すぞ」  三橋は子どもたちを見送った笑顔のまま、つぶやくように言った。  ※  十六時半──。  白泉大学の正門前、一台のワゴン車が停車する。運転席から降りたのは大柄な男。大学構内には似つかわしくない礼装スタイルで、ムッとくちびるを結ぶすがたはまるで武人のよう。腕時計を一瞥し、男はホッと肩の力を抜いた。  ほどなく、構内から三人の大学生が和気藹々とした雰囲気で寄ってきた。いや、どちらかというと喧々囂々というべきか──。 「おかしいッ。おかしすぎる!!」 「それはこっちの台詞だ」 「もオいいじゃん、合流出来たんだしさー」  西陽に当たり、キラキラ輝くオリーブ色の髪をハーフ結びにした背高の青年が大股歩きでワゴンに近づく。そのあいだも彼の口は止まらない。 「一緒に教室を出てからいったいどうしたらはぐれるんだ? しかもふたりともッ。イッカがとっくにぶっ飛んでいるのは知ってるが、おまえも無駄な知識を詰めこみすぎて、頭のネジがイカれちまったんじゃあないか?? エッ?」 「それを言うなら、そもそもお前が人混みのなかをこちらに配慮もかけず、どんどん先へ進むのがわるいんじゃあないのか。一花なんか人波に溺れていたぞ」 「見てたなら助けてよ! っていうかだからア、けっきょく待ち合わせは正門前で決まってたんだし、こうして合流できたんだからいいじゃんってば!」 「一花/イッカ、うるさいッ」 「…………」 「そもそも僕は日ごろから不満だったんだッ。なぜ僕ともあろう者が、わざわざお前の方向音痴を心配してわざわざ迎えに行ってやらにゃならんのだ? 迎え賃をもらってもいいようなもんだッ」 「恩着せがましいな。一度だっておれが心配だから迎えに来てくれ、なんてお願いしたことがあるのか? だいたいお前たちと会う前から、一人行動は当たり前だったんだ。それでもこうしてまっとうに生きてこられているのだからいらぬ心配だろう。型破りな風に見せてじつは心配性か。わらえないな」 「ぐううゥゥ」  獣のような唸り声。  先ほどまでの美麗な顔が、いつの間にか天燈鬼(てんとうき)に変わっている。さらにつづくふたりの口論に愛想をつかしたか、赤いベレー帽をかぶった女子大生は男に気づくやパッと笑みを浮かべた。 「あなた、岩渕さん?」 「──真嶋の指示でみなさまをお迎えにあがりました。スタッフの岩渕です」 「アッハ。イイ感じ~ねえほら!」  と、一花がぐるりと背後に目を向けた。  つい先ほどまで言い争いをしていたはずが、肩を寄せて耳打ちするふたりのすがた。なぜか、先ほどまでの言い争いはすっかりなかったことになっている。  彼らは岩渕の視線に気が付くと、同時ににっこり笑みを浮かべて近づいてきた。 「すみません、わざわざお迎えまで」 「遠慮なく乗ります!」 「あたし後部座席にするウ」 「お三方の着替えも、藤宮様から昨日着の宅配便で届いています。どうぞ、乗ってください」  助手席に座った将臣が、手短に自己紹介をした。大学の文化史学科生であることや真嶋史織との出会いなど。彼女がたいそうスタッフを褒めていた、と伝えると彼は岩のような顔をわずかに歪めた。彼なりの苦笑らしい。 「スタッフというより、古川のことではありませんか。古川は仕事となると多才で気遣いも出来る男ですから。真嶋からは全幅の信頼を置かれています」 「岩渕さんからご覧になってもそうなんですね。……岩渕さんも動画編集がお仕事で?」 「自分の場合は、こういったコンサート時の手伝いだけです。本業はピアノ調律師なので──」 「ピアノ調律師! では、ふだんは工房とか企業に?」 「先年師匠のあとを継ぎました。が、弟子もないのでフリーのようなもので。昔から真嶋の講師の方の調律を担当していて、そのツテでチャンネル運営も手伝うようになったのです」 「なるほど、なるほど」  と、幾度かうなずく将臣。  乗車してから不気味なほど静かにしていた後部座席の恭太郎がふいに、 「タケオくん?」  といった。  ハンドルを握る岩渕の肩がぴくりと動く。とつぜんどうした、と一花は訝しげに恭太郎を見た。 「なに、恭ちゃん」 「いや。……」  存外、と彼の口角がわずかにあがる。 「かわいいところもあるらしい」  ──この声は、岩渕にこそ聞こえなかったが、耳敏い将臣にはばっちり届いたらしい。恭太郎をねめつけて、ゆっくりとひとさし指をくちびるに当てた。  大学から車でおよそ二十分。  目的地は世田谷区のとある大学ホールだった。今宵のコンサートは、音楽学校でもない女子大の記念講堂を借りて演奏するのだという。  あなどるなかれ。  ホールは二千もの座席が配置され、青を基調とした内装に彩られた舞台の真ん中には、煌々たる存在感を放つピアノが鎮座する。 「ここで弾くのーッ!?」  と、扉の隙間からホールを覗いた一花が興奮した。対する岩渕は微動だにせず「はい」とうなずく。 「ここは聴衆ボリュームも申し分ないうえ、音響も優れていると先生のご推薦でした」 「イワさん、史織ちゃんの衣装はやく見たい」 「……控え室はこちらです」  岩のように表情が動かない男である。岩渕は三人を受付奥の一室の前に連れていった。ここは舞台楽屋で、いまは中に史織と講師がいるはずだと説明する。  扉をノックすると、ほどなく開いた。  見知らぬ女性である。見たところ三十代といっても差し支えない。恭太郎が無遠慮に部屋奥へと目を移すと、スパンコールの混じったロングドレスを着用した真嶋史織が、男性とソファー席で紅茶を飲んでいた。  恭太郎を見るや、史織がパッと立ち上がる。 「あっ」 「やあ。来たよ!」 「史織ちゃんスッゲきれい。それにホールも見たの、広いねーッ」  フランクに答えるふたりを横目に、将臣は扉を開けた女性にむけて、熱をはらんだ切れ長の瞳をすうと細めた。 「初めまして。本日真嶋さんより招待いただきました、浅利将臣と申します。あれは藤宮恭太郎と古賀一花……」 「──このあいだ史織が言ってた子たちね。どうも、史織のピアノ講師をしております│愛河裕子(あいかわゆうこ)と申します。よく来てくだすったわ。どうぞ入って」 「ありがとうございます。ただ、らまだ着替えが済んでおりませんので、のちほど。昨日、藤宮名義でここに送ってもらったとおもいます」 「あら。それなら岩渕くん、殿方をご案内してさしあげて。そちらの──一花ちゃん、貴女はここでお着替えなさいな。衣装はこれ?」  と、愛河裕子がテキパキと場を仕切る。その手には白い化粧箱がひょいと持ち上げられていた。ふたを開けると、およそ観客衣装とはおもえない真っ赤でド派手なパーティードレスが出てきた。首もとに華やぐフリルの主張がはげしい。  無論、恭太郎や将臣の見立てではない。  将臣は渋い顔でとなりの恭太郎にささやいた。 「だれの見立てだ」 「この悪趣味なセンスは三女に決まってる。どうせ一花の晴れ舞台だとでも勘違いして、うちのクローゼットから引っ張り出してきたにちがいない」 「いや、説明しとけよ」  これじゃ主役を食いかねないな、と眉を下げた将臣に反して、一花はパーティードレス自体初めて着用するものだからソワソワと落ち着かない。しかし両手をあげてよろこばないところを見ると、コレジャナイ感はあるらしい。  気まずい空気を察したか、史織があっと声をあげた.。 「イッカちゃん、私の予備衣装があるの。よかったらそちら着てみない?」 「いいの?」 「もちろん」  と、史織は楽屋クローゼットにかけてあった深いワインレッドのワンピースを取り出した。サテン生地ゆえ華やかさはありながら、こっくりと深い色味が主張を良き塩梅に抑えている。  こんどこそ一花は両手をあげてよろこんだ。 「これがいいッ」 「良かった。最初、この衣装で行こうとおもっていたのだけどね、先生が──」  ちら、と史織が裕子を見る。 「主役にしては地味だわって仰って、このシャンパンゴールドの衣装を見繕ってくださったの。たしかにこうして見ると、主役が着るドレスじゃないかもね」  クスクス、と肩を揺らす。  裕子はにっこりわらって、 「演奏会はやり慣れてるのよ。それじゃあ岩渕くん、おふたりのご案内お願いね」 「はい」 「では先生、僕は音響と照明の最終確認に行ってきます」  史織のとなりに座っていた男はぺこりと頭を下げ、そそくさと楽屋をあとにした。  岩渕がふたりを案内する。  更衣室は、となりの控え室になるらしい。
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