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三橋から、ここに来るまでの経緯についてひと通り話を聞き終えた将臣は、一分もの沈思黙考の末、こってりと首をかしげた。
「変な話ですねぇ」
「あ。やっぱり将臣くんも変だと思う? 変よね。どう考えたっておかしいよ、娘さんは十五年前に亡くなった。その十歳当時と変わらない死者の指紋が、昨日コンサートホールの吊り照明から検出──。おまけに吊り照明に乗せられていた遺体の上腕部には、十歳くらいの子どものものと見られる手痕のような痣が……なんて。B級ホラーでもないわ、こんなの」
「愛河麻里。──」
将臣はスマートフォンでフリック入力をしたのち、指ですいすいと画面を下げる動作をした。一花が横から画面を覗く。検索エンジンで『ピアノ 愛河麻里』と検索した画像結果が表示されていた。将臣の細い指が関係ない画像を上へと送る。
まもなくしてアッ、と一花が将臣の手にかじりついた。
将臣の目が光る。
「この子か?」
「うん、そう。入学式のときと、さっき玄関にいたとき。こんな笑顔じゃなかったけどね、でもこの顎のホクロ。まちがいないわ」
「麻里さんも、口ずさんでいたんだったな。あの旋律」
「うん」
と、素直にうなずく一花。
それをバックミラーで確認した沢井が、ふと思い出したように「そうだ」とつぶやいた。
「旋律、で思い出したけどよ。三橋があの旋律覚えてたんでついでに聞いてみた。愛河裕子に」
「えっ?」
「『ざくろ』でさ。一花ちゃんがちょっと口ずさんだ時があったでしょ。あのあと、森谷さんにあの旋律は覚えとけって言われてたんでおぼえてたの。そうなると、なんの曲なのか気になっちゃってさ、さっき愛河先生に聞いてみたのよ」
という三橋に、将臣はめずらしく瞳を輝かせて運転席シート横から顔を出した。
「それで?」
「やだ期待しないで。愛河先生、知らないって。なんかの楽章で使われたワンフレーズかもしれないけど、すぐには出てこないって言ってた。ごめんね役に立たなくて」
「知らない? …………」
落胆したかと思いきや、将臣の顔は一気に険しくなり、やがてその背はゆっくりと後部座席シートに沈んだ。無意識の癖なのか、ゆっくりと右手を顎に当てる。
となりでは一花が、例の旋律を繰り返し口ずさんでいる。
「それは嘘だ」
「え?」
「だって恭太郎は聞いていたんだ。あの家にいたときに、ずっとあの旋律を」
「…………」
「沢井さん」
と将臣は助手席シートに手をかけた。
「昨日のコンサートチケットについてですが、抽選応募受付はいつから始まっていたか分かりますか」
「いや──あ、それなら森谷が知ってるな」
「コンサートチケットなんて、大体開催の数か月前くらいから応募が始まるのではないでしょうか。だとすると、被害者たちももともと抽選に応募していた可能性がある」
「なんだと?」
「中田聡美さん、もうひとりが佐々木茜さん。彼女らをつなぐ糸は若い女性という点と希薄な血液残量のみでした。ですが……もしも吊り照明の指紋が確実に愛河麻里さんのものだとするのなら、その瞬間からふたりにはもうひとつ繋がりが生まれる」
「……繋がりって、」
「せ、旋律? でもそれを……佐々木茜との繋がりというには」
三橋が目を見開きながらハンドルを切る。
車はまもなく白泉大学に到着するころである。が、将臣はふだんから険しい顔をさらに歪めて、奥歯をギシリと噛みしめた。
「ええ。残念ながら物証としてのつながりではない。あくまで一花と恭の証言ですから。でも、そのコンサートチケットの応募者──ともなれば百万人のチャンネル登録者を洗っていけば、見えてくるかも」
「じょ、冗談じゃねえ。百万人を浚えってのか!」
「いや、あくまでおれの憶測ですから……」
含み笑いを浮かべたところで、車は白泉大学正門前に到着した。いつの間に起きていたのか恭太郎はぼうっと虚空を見つめてから、突如運転席シートにかじりつく。
「血!」
とさけびながら。
なによ、と三橋が身を引く。しかし恭太郎はぐるりと将臣を見て、
「愛河先生は血がニガテだそうだぞ」
と妙な報告をした。
たしかに沢井たちが十五年前の事故について事実確認をおこなった際、愛河裕子は言っていた。──血が苦手だ、と。ゆえに娘の頭から流血しているのを見て動揺したのだ、とも。しかしそれがどうした、と沢井は眉をひそめた。
血が苦手なご婦人などこの世にいくらでもいる。
が、将臣はますます変な顔をして「えェ?」とうめく。
「な、なんだ。どうした」
「…………血が苦手、と言ったんですか。先生が?」
念を押すように将臣が三橋と沢井を交互に見る。ふたりは同時にうなずいた。それを受けた将臣はいよいようつむき、ぶつぶつと独り言をつぶやきはじめてしまった。
「そう──いうものかなァ。まあ程度によるし、こじつけるのはよくないか……」
「おい、将臣──」
沢井の声に苛立ちが混じる。
同時に白泉大学構内から予鈴のチャイムが鳴り響く。あと五分で授業がはじまる合図だ。その音を聞いて、三人は同時にパッと顔をあげた。
「予鈴だア!」
「まずいぞ将臣、つぎの授業はたしか五号館だッ」
「そうだった。じゃ……送っていただいてありがとうございました」
「いや待て待て。おまえこんな、気になるとこで終わらせるヤツがあるかよ」
「でも授業があるので──それじゃあ今夜、食べ放題でもどうです。森谷さんと三國さんも交えて。おれなりに気になった点をお伝えします」
もちろん割り勘で、と微笑む将臣に沢井はにがにがしげに恭太郎と一花を見た。おまえらはどうする──という問いかけである。声を聞き取ったか表情を読み取ったか、ふたりは即座に「僕も」「わたしも」と返事した。
沢井が、了解の意を込めて手をあげる。
「ではまた今夜」
「バイバーイ」
「楽しみだナーッ」
といって、五号館へ向かう三人のうしろ姿を見つめていた沢井が、深いため息とともに三橋の肩を叩く。
「中華。食い放題プランな」
「七名予約ですね。了解でっす」
三橋はニッカとわらった。
ちなみに五号館の四階講義室へ滑り込んだ三人は、本鈴とともに着席をし、なんとか遅刻を免れた。ちなみに授業担当は四十崎獅堂──講義名は『文化人類学』である。
四十崎はいつものとおり、ヨレヨレのワイシャツに飾り程度のネクタイと、シワだらけのスラックスという草臥れた格好。反してその眼光はあいかわらず鋭い。およそ四十分ほど人類と埋葬の歴史について面白おかしく講釈を垂れた四十崎は、残り少ない授業時間を確認して、おもむろに板書の走り書きを消していく。
「……と、埋葬の歴史は地域によっても大きく異なる。たとえばポーランド南部の町では、切断された頭が脚の上に置かれた状態で埋葬されていることがあるという。これはスラブ人が、吸血鬼の疑いがある遺体を処置する際におこなった儀式だと言われている」
吸血鬼。
唐突に出てきた単語に、講義を聞く生徒の空気がざわついた。
「ポーランドでは『バンパイアとは死体を蘇らせ、生者にとりつく不浄霊だ』と言われてきた。埋葬方法はさまざまで、先に言ったようなかたちもあれば、喉元に鎌をひっかけたまま埋めることもある。こうすれば万が一死体が生き返っても首が斬り落とせるからね」
「こわ……」
生徒のだれかがつぶやく。
その反応に気分を良くしたか、四十崎は卓上マイクに手を添えてぐっと身を乗り出した。
「なぜそんな妄想が信じられていたのか? それは当然、当時の医学、科学の知識が少なかったからにほかならない。そもそも死体が生き返るところをだれかが見たのか。でなければそんな空虚な妄想などたいがいにしてほしいものだが、当時の人間でたしかに見たものがいたのだろう。死体が生き返った、あるいは埋葬した身体が動いていたという事象をね。たとえばカタレプシーの患者を死亡したと信じて埋葬したら、じつはその人間は生きていて棺の中で蘇生した。これは現代ならば理論的に説明がつく。しかし、当時の人からすれば『死んだ』と言われた人間が生き返った。自身の想像を超えた状況だ。人は原因の分からないものが怖い。だから説明づけるために魔女や吸血鬼などの怪物を登場させるのさ。時代とともにその定義や目的、怪物の背景などは変わるものも多いがね」
「…………」
「吸血鬼の話に移ろう」
四十崎の目が、講義室うしろの三人をちらと見た。
「古代より血は生命の根源とされてきた。各地方にも血を吸う悪霊というのはいた。時代の変遷によってその存在が『ヴァンパイア』として統一されたのは現代だ。現代の吸血鬼としてイメージされるのは、若い女の血を好む。不老不死、知性的、魔力を持ち蝙蝠なんぞに変身もできる。しかし万能ではないね。ニンニクや聖水、日光を嫌うとか、銀の弾で撃ったら死ぬとか。時代の変遷とともにそのイメージは移り変わって、いまのかたちにまとまったわけだが。まあそういったイメージの多くはブラムの小説『ドラキュラ』に大きく影響を受けたといっても過言じゃない。さて、世界には三大吸血鬼と呼ばれた人間がいる。諸君らは知っているかね」
ごくり。
生徒の喉が鳴った。
「ワラキアの領主ヴラド、セルビア人傭兵パウル、そしてハンガリー領の伯爵夫人──エリザベートだ」
といった瞬間、講義終了のチャイムが鳴った。
講義室内に張り詰めた緊張の糸がぷつんと切れる。四十崎は残念、と快活にわらって、
「ではまた次週」
とさっさと教科書をまとめると講義室を出ていってしまった。
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