第四夜

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 マジかよ、と沢井は苦々しい顔をした。  到着したばかりだというに、その手はすでに食べることをやめている。対して三國はそれぞれの料理を小皿に取り分けながら、将臣の話のつづきを待つ。一花と恭太郎はいつも通り、三橋は沈思黙考する。話を聞いて気分を害したのは、沢井と森谷くらいのものらしい。  三十半ばの男ふたりがいちばん繊細なのだからおかしい。  将臣は餃子を食べると、ふたたび語り出した。 「夫人が儀式に勤しんでいたころ、城外では城に奉公にいった娘が帰らない──という噂が立ち始めた。この何年もの間、城へ働きに行った娘たちは約束の期間を過ぎても誰ひとり帰って来ない。心配した親が城へ申し立てても『娘はもう返した』と追い払われるだけ」 「そんなんじゃ納得できねえだろ」 「親はね。当時、牧師が告発したことで役人も事態に気付きはじめてはいたようです。が、バートリー家の名誉を考慮してか、動こうとしなかった。しかしいよいよ城の近くに住む下級貴族の娘まで消えたという」 「…………」 「さらには監禁されていた娘のひとりが脱走したことで、ついに城のなかに捜査が入った。そこでようやく──エリザベート夫人の罪が世間に露見されることになったそうです」 「──遺伝子異常があるからって、ホンマにそない人間が生まれてまうんか」 「時代もあるんじゃないですか。中世ヨーロッパなんて、右も左も戦、戦……まして有名家門であれば戦を先導、侵略も厭わぬ環境でしょう。いまの時代にその素養ある人間が生まれたって、そうそう発現しませんよ。でもエリザベートは、その歪んだ性的嗜好が城のなかで認められてしまった。認められるなら抑えつける意味もない。エスカレートもしますよ」  侘しげに呟き、喋って渇いたのどを潤すべく飲茶を飲んだ。  三人目の吸血鬼については満足いくまで話し終えたようである。 (価値観は時とともに変遷する)  沢井は考える。  環境による影響も馬鹿にはできまい。  倫理観や道徳にあふれた現代だからこそ、よくもわるくもすべての人間が、人道から逸れぬことのないような社会づくりが徹底されてきた。しかしかつての、土地を、人をも侵略して奪い取ることこそ正義であった時代に生まれ出でていたならば、それでも自分はみな仲良く、などと泰平の世を望んだだろうか。 (否──)  きっと、ひとつでも多くの武功を挙げんとしただろう。おのが指針とする『正義』など、この世に生まれ落ちてから社会に植え付けられたものでしかない。そう考えると、自身の正義がとたんに薄っぺらくおもえて、沢井は尻をもぞりと動かした。  ところで、と三國が好奇心にまみれた瞳を将臣へ向ける。 「その『若返りの儀式』ってなァ、具体的にどんなもんなんでィ」 「…………」  将臣のレンゲを扱う手が止まる。  その顔には怪訝な表情が浮かんでいる。 「三國さんって、そういうの好きそうですよね」 「そういうのって?」 「スプラッターとか──」 「誤解だァ。手足だ血飛沫だが飛ぶくらいなんも面白かねェ。俺が興味あるのはその行為の裏にある感情であって……」  と、いう三國をぎろりとひと睨みで黙らせて、三橋は将臣をうながした。 「わたしもちょっと思うところがある。聞かせてくれる?」 「話として残っているのは、娘たちを裸にして切り刻み、その血を搾り取り、それを浴槽に溜めてその中に身体を浸す──。あるいは世にも有名なあの『鉄の処女』で血を搾り取られたとも。身体を浸すまでの内容はすべて召使に命じてやらせたそうですが。まあ、真正の性的倒錯者(パラフィリア)だったんでしょうね」 「鉄の処女って──聖母マリアを模して作られたって言われる、鉄の人形のことよね。体内が空洞で刺があって……扉を閉めると串刺しになるって」 「ええ、そのアイアンメイデンです。一説によるとその拷問器具も夫人が作ったんじゃないかなんて言われて……」  そういえば、と。  将臣が思い出したようにつぶやいた。 「愛河先生の家にも聖母マリアの絵が飾ってありましたね」 「……絵?」 「ええ。沢井さんたちも見ていらしたじゃないですか」 「あれ聖母マリアだったのか。それがなんだよ」 「いえ。ただ──あんまりその手の絵が多いもんだから、カトリック教徒なのかとおもっていたら、ほかの部屋には仏壇がたいそうしっかり祀られているし。あれは真宗だろうなあ」 「仏壇? そんな部屋あったか?」 「将臣は方向音痴だから、トイレひとつ行くにもまっすぐ目的の部屋に帰ってくることができないんだッ」  突如恭太郎がさけぶ。  将臣は嫌そうな顔で「うるさいな」と呟き、しかし否定するでもなかった。 「ちらっと見ただけだよ。仏間やら書斎やら──すると各部屋、かならず置かれていたんです。白百合が」 「白百合?」  それがなんだ、と沢井の眉が下がる。 「処女、純潔の象徴──」  ふと三橋がつぶやいた。  その顔はいつになく険しい。それよりも、この部下がじつは先ほどから知識を小出しにしてきていることに気付いた。白泉大の文化史学科出身というのも伊達ではないということか、と沢井はひとり感心する。  そうなんです、と同意する将臣の顔は徐々に暗く沈んでいく。 「というかあの家はすこし、いやだいぶ、……」 「おい。いい加減気になっていることがあるならパッと言え」 「これはあくまでおれの感想ですが──あの家はひじょうに、気色がわるかった」  気色が、と。  なぜか一花がつぶやいた。それにつられて三國も「気色が?」と首をかしげる。いっしょになって家のなかを歩いた沢井と三橋には、将臣が抱いた嫌悪感の原因がいまいちわからず、顔を見合わせた。  ああ、と森谷が手を打った。 「まークンちはザ・和風やもんな。はちゃめちゃに西洋屋敷なんやろ。そら居心地もわるいわ」 「さすがのおれも、たかだか異空間というだけで人様の家を気色わるいと蔑するような人間じゃないつもりですよ。そうではなく、あの家の調度品を覚えていますか、三橋さん」 「え? ええ──壺とか花瓶とか、聖母マリアの絵とか、こまごました置物とかも多かった」 「ええ。その置物というのが、おれのなかで問題だったんですよ。玄関棚に置かれた一角獣のブローチ、モンティ作『花嫁』のミニ彫像、廊下の植物に飾り付けられた『固く閉ざされた柘榴』のオーナメント、花瓶に咲く真っ赤な薔薇に、聖母マリアや『閉ざされた庭』が描かれた絵画──各部屋には白百合」 「あ」  三橋の目が見開いた。  しかし沢井にはわからない。森谷と三國、一花もぼうっと三橋と将臣を交互に見るばかりで、理解したようには見えない。沢井が三橋を無言でうながすと彼女はぽつりとことばをこぼした。 「処女、か」  将臣がうなずいた。 「いま挙げたものすべて、キリスト教において処女性を象徴するアトリビュートたちなんです。『処女』への憧憬か、いやあれはもう執着か。とかくそれを感じて──お住まいなのが愛河先生おひとりと言うからまだいいけれど、それをたとえば男性に置き換えたら」 「っはは」  と、三國がとつぜん吹き出した。 「処女厨の花園だァ」 「……身も蓋もない言い方をすればそうです」  将臣はむっすりと極限まで顔をゆがめて黙った。どうやらそれ以上、この話をする気はないらしかった。しかし沢井は逃がさない。おぼえていた。今日の車内での会話で、将臣がまだなにか気になることを言っていたことを。  それで、と沢井は将臣に詰め寄った。 「お前さんいろいろと引っかかっていたじゃねえか。愛河先生の『血が苦手』発言も、コンサートチケットについてもだ」 「ああ──いや。あれだけ血を想起させる色で飾り立てておいて、苦手というのはどうなんだと疑問だっただけです。忘れてください。それでコンサートチケットの応募開始日は?」 「まークンの推察どおりや。たしか四か月くらい前にはもう始まっとった」 「それについてはこの三國貴峰、いちおうきちんと仕事してきたんでさァ」  と、三國がカバンからふたつの紙束を取り出した。  表紙には『チケット応募者情報一覧』とそっけないゴシック文字で書かれている。もうひとつには『チャンネル登録者 二十代女性一覧』の文字。将臣は目を見開いた。 「それは」 「スタッフに無理いってふたつ、出力してもらったんでィ。──このどっちかにでも中田聡美と佐々木茜の情報があればビンゴ。でもチャンネル登録者の一覧じゃ本名が分からねえもんで、一からたどる必要がありそうですがね」  骨が折れらァ、と三國はことばと裏腹にさっぱりした顔で言った。
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