第六夜

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 非日常から一夜明けた日曜日。  休みだからといって惰眠をむさぼることはしない。が、いつもはしゃっきりと目を覚まして寺務に明け暮れる将臣も、今日ばかりは昨日の疲れを引きずってか、読経の呂律はすこしあやうい。  眠気覚ましに境内でも掃除するか──と箒を片手に外に出た。  日曜の早朝、参拝客はまずいない。ぐっと伸びをひとつすると、肩にのしかかった疲れが一掃されたような気がして気持ちがよい。落ち葉にまみれた石張参道を右に左に掃いていく。  と。竹箒の先が、黒の革靴を掃こうとしたので手を止めた。  顔をあげる。そこには、早朝のさわやかな空気にはとんと似つかわしくない黒眼鏡(サングラス)をつけた男がいた。 「あ。……」 「やあどうも。きのうはいろいろ、大変だったそうで」  例のルポライターだった。以前は離島で、つい先日は一花の家の前で顔を合わせた。四十崎の知り合いでもある男だ。たしか名は──。 「きのう?」  将臣は眉をひそめた。  なぜ、この男が昨日のことを知っているのだろう。昨日の捕物劇はまだ逮捕状もない状態での現場逮捕だったはず。容疑者連行時に報道陣の影もなかったとおり、彼らが知るわけはないのだ。  訝しげな目を向ける将臣に対し、男はサングラスの下の目をにっかと細めてわらう。 「いやいや、きのうの事件取材に来たわけじゃねえのよ。じつは別件をいろいろ探っているところでね、あんたにお伝えしておきてえことがあって」 「おれに?」 「ああ、あんたの脳みそってばいろいろふつうじゃねえからさ……」  と、男はにんまりわらった。  将臣の顔は浮かない。 「おれにどうしろと」 「べつにどうすることもない」 「?」 「ただ、憶えていてほしいだけさ。あんたいっぺん知ったことはそうそう忘れないタチなんだろう」 「……人をメモ帳代わりにするってことですか」 「メモ帳なら自前ので事足りらァ。あんたの場合は、いずれ線につなげられる」  わずかに眉根を寄せて上目に見る将臣。  いいから聞くだけ聞いてくれ、と男はぐっと顔を寄せた。 「愛河裕子──彼女が通っていた心療内科、新宿の『有栖川記念病院』だそうだ」  至極真剣な眼差しで言ってから、一気に破顔した。 「な、どうおもう?」 「どうって、へえ、としか」 「有栖川ってのは知ってんだろ」 「財閥界の新星御三家でしょう。黒須、藤宮、有栖川──でも財閥が病院へ出資するなんてそうふしぎなことでもないとおもいますが」 「まあね」  男はくるりと踵を返した。  石張参道をまっすぐすすみ、本堂へ。わずかに開いた隙間からなかを覗くやびくりと肩を揺らした。参拝客から稀に聞くことがある。本尊である釈迦如来と目が合う──と。  将臣はため息をついた。 「いずれ分かる日が来るわけですか」 「……来させてみせるさ。このオレが」 「…………?」  合掌、一礼。  男はていねいに参拝を終えると、早々に境内から立ち去った。  気が付けば眠気もすっかり覚めた。  とりあえず中途半端な掃き掃除を終わらせよう、と竹箒を握りなおす。まもなくしたら母から朝食の声がかかるだろう。  ふわりとかすめた血の臭い。  鼻奥にこびりついてしまったのか、鉄のにおいがぬぐえない。  振り切るように空を見上げた。  空の青。  樹木の緑。  満開の桜。  ──やはり、あの赤は刺激が強すぎる。  箒で落ち葉をかき集めると、本堂から視線を感じた。  ちらと目を向ける。  父が、穏やかな目でこちらを見ている。  嗚呼。 「おはようございます。父さん」  このとき将臣は、ようやく。  長く溜め込んだ息を吐き出せた気がした。 (終)
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