第一夜

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 まもなく夕食会はお開きとなった。  相談内容に対する回答は、現時点では『ステイ』である。  彼らが抱える危惧を無碍にするわけではないが、現状で被害が報告されていない以上は警察自らが動くことはむずかしい。ましてそれが霊感少女からの忠告というのだから、なおさら。  将臣もその点は理解している。  理解していてもなお、一花たちに理解のある沢井へ相談したということは、彼がよほど、一花が連れてくる厄介ごとに辟易しているからにほかなるまい。厄介ごとと言えば易しいが、彼の言い分だと人死にありきだ。あの高説に巻かれるうちについ忘れてしまうが、将臣だってじつは二十にも満たない少年なのである。  きっと彼はこれまで、こちらが想像する以上に一花や恭太郎を助けるため尽力してきたにちがいない。あの弁舌にはほとほと参った沢井だったが、夕食会を終えたいま、浅利将臣という人間に対してなかなかの好印象を抱いている。  ホテルからの帰り道。  先ほど将臣を実家の寺まで送り届けて、いまは沢井の自宅まで森谷に送ってもらっているところである。車窓を飛び去る景色を横目に、沢井はぼやいた。 「ガワは地味だが、中身と胃袋は強烈なヤツだったな。浅利将臣──」 「おもろいやっちゃろ。あれがイッカと恭クンと合わさるとそれはもうすごいで。こっちが口を挟む隙が無うなんねん」 「始終ことばを垂れ流すおまえがそう言うんだから、相当なんだろうな。でもあれで友情に篤いんだからいい男じゃねえか。今日の相談だって内心じゃイッカのことが心配だからってんだろ。俺ァそういう友情物語はきらいじゃないよ」 「友情の篤いヤツが『心の安息日』いうて接触不可とかいうかなあ」 「そこは大目に見てやれよ。なんたって相手があのふたりなんだからよ」  それもそうか、と森谷は快活にわらった。  車内には森谷が選曲したプレイリストの音楽が流れている。近ごろはまっているというだけあって、先ほどから流れる音すべてがピアノ一色である。とはいえ曲自体は、クラシックに疎い沢井でも一度は耳にしたことがあるメロディばかり。当然曲名や作曲者などは出てこないが、じゅうぶんな退屈しのぎにはなる。  とくに、運動会の徒競走などでよく流れるあの名曲が流れたときには、脳裏にふるい記憶がありありとよみがえった。どうやら森谷も似たようなことを考えていたようで、わはっと乾いたわらい声をあげた。 「これぜったい運動会で流れるんよなァ」 「俺もこの曲のなかを爆走した記憶があらァ。あれは高校の選抜対抗リレー、相手が陸上部のエースでよ。これがまた鼻持ちならねえ奴だったんだ」 「龍クン、何部やったん」 「中高どっちも野球だよ。野球部、サッカー部、陸上部ってのはいつもグラウンドの利権争いをしててな。どうも向こうのが権力が上だったのか、野球部がいつも状態のわりい方のグラウンドを宛がわれていたもんで、まあみんな陸上部にはヘイトを溜めていたわけだ」 「ほうほう」 「互いにアンカー。受け取ったバトンはわずかに向こうが先。うちのクラスみんなが息を呑む音が聞こえた。そんでもってバックミュージックがこれだ。俺はそれはもう死に物狂いで走って、はしって──」  いったん、沢井は閉口する。  プレイリストのなかの曲はいまだ例の曲が流れている。森谷がごくりと唾を呑んだ。 「見事逆転勝利だ!」 「うわおもんな。そこは転けるとこやろ」 「なにが面白くねえもんか。半歩の差、俺がゴールテープを切って、一位の旗もらってから振り返ったときの奴の顔。っかー! いま思い出してもスカッとするぜ」 「青春というか熱血というか、龍クンらしい期待を裏切らん高校生活やな」  うつろな目でつぶやく。  ちょうど例の曲が終わり、つづいてまたも有名な行進曲が流れくるところだった。  ちなみにな、と森谷が左方向へのウインカーを出す。 「さっきの曲は『天国と地獄』っちゅうねんて。まさしく半歩の差で龍クンが天国へ、その陸上部の子ォが地獄に叩きのめされた結果になったわけやな」 「『天国と地獄』か──なかなかしびれるネーミングじゃねえか」 「これ、もともと喜歌劇の最初に流れた曲の一部分らしいで。『地獄のオルフェ』とかいう劇。なんやこの部分がいろんなところで使われて有名になったんで、こうやってピアニストたちも弾くようなったらしいわ」 「へえ。はまってるってだけあって、知識も伊達じゃねえ」 「付け焼刃やけどな。ほぼ『Shiori Channel』の受け売りやし。むしろここにまークンがおったら、『地獄のオルフェ』がなんたるかからこまか~く説明してくれたはずや」 「あいつはいったい何者なんだよ──」  食事中の弁舌を思い出し、沢井はもはや苦笑した。  でもさ、と森谷がつづける。 「いまの龍クンみたいに、音楽を聴いてむかしのこと思い出すことってけっこうあるよなァ」 「ああ。匂いとか音とか、そういうのは記憶と結びつきやすいとは聞くぜ。やっぱり最近の春風の匂いとか嗅いでると、自分の入学式とか思い出すしな」 「へえ。龍クンにもそういうノスタルジックなときがあんねや」 「うるせえ。……音と記憶、か。なんだかさっき聞いたような話だな」  沢井の脳裏によぎるは、将臣の顔。  それから定食屋で会った一花と恭太郎──。  おそらくは同意を示したのだろう、森谷は無言でうなずいてからハンドルを切った。  車は見慣れた路地へ入る。目的地となる沢井のマンションはもう間もなくだ。森谷の指がハザードランプを点灯するタイミングで、沢井はシートベルトを外した。ゆっくりと路肩に停まるのを確認したところでちらと森谷を見る。 「それでどうする」 「どうするて、なにが?」 「今日のあいつらの話だよ。もう、どんなだったか覚えてねえが、あの暗いメロディ──歓楽街で聞こえたって話だったろ。『ステイ』とは言ったが……ほんとうにそれでいいのかと思ってよ」 「いいもなにも、まだ死体のひとつも出とらんのやで。現実的に考えて動くも動かへんもないやろ。そらァオレは実際にイッカの霊感を目の当たりにしたことがある身ィやから、なにかあるのかもしらんとは思うけど」  どのみち、と森谷は沢井に対してシッシッと手で払うしぐさをした。  はやく降りろというジェスチャーである。 「イッカの霊感が本物なら人死にはすでに発生しとるっちゅう話や。遅かれ早かれ動くことになるんちゃうか」 「…………」 「そこまで龍クンがやとは思わんかったわ。藤田まことの”はぐれ刑事”やな」 「それを言うならだ」  降車しがてら、沢井は吐き捨てるようにつぶやいた。
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