第二夜

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 式はつつがなく終わった。  とはいえ、将臣を挟むように両脇に座る恭太郎と一花は、学長の話が開始して五分も経たぬうちに夢の世界へと旅立ってしまったので、両肩にふたり分の頭が預けられた将臣は諦念の面持ちで式を見届けた。  全体に向けた講話が終わってほどなく。  文化史学科生に向けて、壇上にあがったひとりの男性教諭がマイク越しに声をかけた。 「文化史学科の皆さん。改めて、御入学おめでとう。……准教授の四十崎(あいさき)です」  無造作にうしろへ流された豊かな黒髪、式典のため申し訳程度に着用されたスーツの下には着崩されたワイシャツとよれたネクタイ。渋く落ち着いた声色のわりに、捕食動物のようなするどい眼光。目の下に刻まれた濃い隈によって、実年齢よりもすこし上振れた見た目の教諭──四十崎は、履修登録についての注意点や、一年後期からはじまるゼミ選定の説明を淡々とおこなってゆく。  式開始からしっかり聞く将臣はもちろんだが、四十崎が話しはじめてすぐに目を覚ました恭太郎と一花のふたりはめずらしく、最後まで彼のことばに耳を傾けた。 「──最後に、ここ記念講堂の裏手にある建物……旧校舎は、いっさいの立入が禁じられている。理由は建物の老朽化によるものだ。建物の一部は瓦解寸前だから、くれぐれも興味本位で中に入らないように」  以上、という掛け声で入学式は終了した。  終了したとたん学生たちはいっせいに席を立つ。ここからみな親睦を深めるのかとおもいきや、自然な流れで各人がくっつきグループが生まれてゆく。おもえば、ここ白泉大学は附属に高等学校があってそこからの持ち上がり生徒も多い。わざわざあたらしい友人づくりのために声かけをせずともすでに顔見知りばかりである。  入学式早々、新たな友人獲得機会に乗り損ねた三人組──。  とはいえザ・マイペースをきわめる三人にとってはたいした問題でもない。それよりも、帰り支度をはじめる将臣と一花を横目に、恭太郎だけは先ほどからいずこかをにらみつけたまま動かない。 「どうした恭」 「あの男、僕たちのこと知ってるぜ」  視線はある一点に注がれる。  一花と将臣がつられて見る。視線の先には、壇上で話した四十崎准教授。三人の視線に気が付いたか彼もまた遠く壇上の脇からこちらをじっと見つめている。  恭太郎が目を細めて耳を四十崎の方へとかたむけた。  意図的に心の声を聞きたいときに、よく取る角度だ。 「…………」 「っていうのは、ソレのこともか」  将臣が恭太郎の耳を指さす。  恭太郎はかたむけた頭をそのままに、こっくりとうなずいた。それからムッと極限まで眉をしかめる。 「むかつく。『ヨロシク』だと!」 「えー。ホントに知ってんだア。あんだっけ名前」 「四十崎准教授。さっきのパンフレットに専門分野が書かれていたぞ──あった。四十崎獅堂(あいさきしどう)、民俗学専攻」 「民俗学」  一花がぽつりとこぼした。  通常の大学では、二年後期あるいは三年前期からはじまるゼミ専攻であるが、白泉大学は一年後期からゼミ選択を余儀なくされる。そのゼミ選定にあたり恭太郎と一花が唯一興味を膨らませた民俗学ゼミ。こちらの担当教諭は、もちろん四十崎准教授らしい。  いったいいつ調べたのか、あるいは聞いたのか、将臣は四十崎について 「民俗学のなかじゃ若くして権威ある存在だそうだ」  と席を立つ。 「それより、学食に行って履修項目を確認しよう。お前たち自身にやらせたら一年目から単位不足で詰みかねないからな」 「とかいって腹減っただけだろ、この大食漢!」 「当たり前だ。もう昼前だぞ、だれだって腹は減る時間だ」  周囲にはすでに同学科とおぼしき生徒のすがたはほぼない。  いつの間にか講堂に取り残されたことに気づいた三人は、そそくさと大学食堂へと足を向けるのだった。  ──が。  記念講堂から外に出たところで、一花が裏手の建物を指さした。 「あれなんだろ」  一号館から五号館まである白泉大学の校舎は数年前の改修工事によって比較的新しく様変わりした、と大学パンフレットの沿革爛に書かれていたが、一花が指さす建物はどう見ても一時代はむかしの古ぼけた木造建築であった。長きにわたる風雨によって木板は色あせ、二階部分にはめられた窓ガラスは薄灰色によごれている。 「あれは──」 「見てみようッ」 「うィ」  将臣の声もむなしく、恭太郎と一花は跳ねるように建物へと近寄った。  入口に『立入禁止』という看板が立ちふさがっているのもお構いなしに、正面玄関戸にはめこまれたガラスへべったり張り付き、中を覗かんと奮闘する。  将臣の脳裏に、先ほど壇上で話した四十崎のことばがよぎった。  ──記念講堂の裏手にある建物……旧校舎は、いっさいの立入が禁じられている。 「旧校舎なのか」  恭太郎がふいにつぶやく。  どうやら将臣の脳裏に流れた声を聞いたらしい。それを聞いたのならば、この建物が立入禁止とされていることも理解してもらいたいものだが、恭太郎は玄関戸前に設けられた〔立入禁止〕の看板を蹴飛ばして、 「入るぞ」  と、背後の一花と将臣に告げた。 「え。入んの?」 「立入禁止だぜ」 「入るなってところには積極的に入っていけ、といううちの三女の教えがある」 「あの人の教えに従ってろくなことになったときないだろ。さっき四十崎先生に言われたのをもう忘れたのか、ここは老朽化が進んでいるから危険だと──」 「だいじょうぶだって」  なにが大丈夫なのか。  しかし積極的に止めに行かないあたり、将臣は正直どうでもよくなっている。一花なんか『おおきなカブ』のじいさんさながら、恭太郎の腰元へ手を置いている。  恭太郎が、取っ手に手をかけた。 「ちょっと待て」  と。  ふいに聞こえた男の声に、一花と将臣が振り返り、恭太郎が扉を開けた。  コラそこ、と男が苦笑を交えて声をあげる。 「待てと言ったんだぞ、俺は」 「待てと言われて待つヤツはいない!」  なぜか偉そうに言うと、意外に軽かった扉をあっさりと開け放してみせる恭太郎。ぎい、と音を立ててひらいた扉の奥は、まだ昼時だというのにふしぎと陽光射し込まず、連綿と闇がつづく。  不穏である。  その入口の前に立ちふさがったのは、四十崎獅堂。手には先ほど恭太郎によって蹴飛ばされた立入禁止の看板が提げられている。 「君は……藤宮恭太郎か?」 「なにを白々しい。さっきは思いきり僕にむかって『ヨロシク』とか声かけたクセに」 「やっぱりアレ聞こえてたのか」  と、うれしそうに肩を揺らす。  なるほど聞いたとおりの、と恭太郎の顔をじろじろと無遠慮に眺めまわした。 「遠目から見てもよく目立つからすぐに分かった。藤宮くんだけじゃない、壇上から見ていても君たち三人はずいぶん目立ってたぞ。浅利将臣と、古賀一花──だろ」 「まだ講義ひとつ受けていないのに、すでに名前をおぼえてもらっているのは光栄ですが、その出どころは? こちらの知らないところで面が割れているというのは、すこし、いやかなり不愉快ですね」  不愉快といいながら、将臣の顔は平然としたままである。四十崎はそれもそうだ、と頭を掻いてふところから名刺を取り出した。書かれた名前からして彼のではない。ごくシンプルなこの名刺、つい最近見たような──。  アッ、と。  一花の目と口があんぐり開く。 「朝のヤツじゃん。リポ、リ、ルポ」 「ルポライター」 「それ」  つい数時間前の出来事である。  さすがにまだ海馬に残っていた記憶を引っ張りだして、一花はいやな顔ひとつせずに、自分がもらった名刺と四十崎が出した名刺を見比べる。そのあどけないようすが可笑しかったのか、はたまた思いだし笑いか、なおもくつくつと肩を揺らす四十崎に、一花は首をかしげた。 「どーゆー関係?」 「たいした仲じゃない。むかーしにすこし関わりがあってな。大人になってから何度か、昔のよしみでヤツの雑誌に寄稿したことがある。先週、久しぶりに連絡が来て、君たちのことを教えてくれたってわけだ」 「先週? あたし今朝聞かれたんよ。どこの大学だって」 「知ってる話をわざと振るのは、物書きの常套手段だ。会話のネタにもなるしな」 「やっぱあいつチョットきらい……ねエ、あたしたちのことなんて言ってた?」 「君、古賀一花のことは――半開き箪笥に足をかけてぶら下がる子どもみたいな奴、と」 「やっぱあいつきらいだ!!」 「ははは、言い得て妙だな」 「てめー」  快活にわらう将臣に、一花はおかんむりである。恭太郎が残りの感想を聞いてみる。  四十崎はネクタイをゆるりと緩めつつ、 「浅利将臣は、地図非搭載の辞書のような男。藤宮恭太郎は──」  と、好奇心を孕む瞳を恭太郎に向けた。 「閻魔の浄玻璃鏡のような男だと、さ」
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