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2 聖女って何だったっけ……?
「えっと、今のはどういうことだ……?」
隣りの席にいる酔っ払いのオジサンは困惑した表情をしている。
そう言われても、私だって聞かれた質問にただ答えただけなのに。
それよりもこっちだって絶賛お困り中だ。
貴方に飲んでいたお酒をぶっかけられて、全身がビショビショなんだけど。
服なんてこれしかないのよ? もし染みになったらどうしてくれる。
「ですから、ヨダレを飲ませたんです」
「……何を、誰に? いったいどうして……??」
「私のヨダレを、国の皆さんに、必要だったから、です」
「やべぇ、俺には嬢ちゃんの言ってることが全然分からねぇぞ!?!?」
――あぁ、やっぱり。
この人が監視かと疑ってみたけれど、この様子だと本当に私のことを知らないみたいだ。
それか追放されたことは知っていても、その理由までは聞いていないのかもしれない。
と、その前に。
「続きが聞きたければ、まずはこの現状をどうにかしてくださいよ」
オジサンにジト目を向けながら、びしょ濡れになってしまった服を指差す。
「いや、それは嬢ちゃんにも責任が……」
「良いから、早く」
「……はい、すんません」
少しだけシュンとしたオジサンは、大人しく何処からかタオルを取り出した。
それをひったくるようにして受け取って、さっさと自分の身体を拭いていく。
うっ、このタオルも臭い……加齢臭かな?
「なんかスゲェ不満そうな顔だな……俺はずっと魔境や魔族領に居たからよ。国で何があったのか良く知らねぇんだ」
「タオルに文句はありません。オジサンの体臭がキツいだけです。……知らなかった理由は分かりました。仕方ないですね、それなら続きをお話しましょうか」
「うぐっ!? 最近気にしていた所を……っていうか嬢ちゃん。追放されたっていうのに、あんま気にしてねぇのな?」
「――えぇ。恥ずかしい気持ちや後悔は微塵もありませんから」
◇
――アレはそう。
最初のキッカケは、まだ私が聖女見習いとして教会に勤めていた頃のことだった。
生活寮にある食堂で夕飯の準備をしていた私の耳に、ニューヒン聖女長の大声が突然飛び込んできた。
「大変だわ!! ヘインター殿下が呪いで石化し掛けているそうよ! 今からここへ運ばれてくるから、急いでみんなも来てちょうだい!」
――ヘインター殿下が呪いに?
持っていた包丁の動きを止め、首をかしげる。
まな板の上の立派なエビが「どうしたの?」と私に見つめ返してきた。
この子は流星エビの蒸し焼きにしようと、私が昼のうちに仕入れたピッチピチのエビちゃんだ。
……しかし今はそれどころじゃないみたい。
聖女長の言っていたヘインター殿下とは、ここファウマス王国の第一王子だ。
つまり彼は、次期国王となる御方。
そんな人がどうして呪いなんかに……?
詳しい事情は分からないけれど、あの焦りようではかなりの緊急事態みたい。
聖女長は教会を走り回り、聖女たちを片っ端から招集しているようだった。
こっちはもうお腹が空いているんだけど……仕方が無いか。
見習いとはいえ、紛いなりにも私も聖女の一員だ。
「私も急ぎましょう……すぐ戻ってくるからね」
エビちゃんに暫しの別れを告げた私は、他の同僚と共にその現場へと走り出した。
「これは……」
殿下が運ばれたという救護室へやって来た私は、思わず声を失ってしまっていた。
ベッドの上に横たわっているのは、一人の男性らしきもの。
それはとてもじゃないけれど、これがマトモな人間の姿をしているとは言い難かった。
「ひどい……」
「いったい何が……」
集まってきた他の聖女たちも、一様にして口元を抑えている。
普通なら王子を見てそんな感想を抱いたら不敬なのだろうが、それも仕方がないと思う。
分かる……私も同じ気持ちだもん。
「「「(全裸のエビ……)」」」
そう、それはまるで、まな板の上に転がされ調理を待つ、大きな流星エビのようだった。
――正確に言えば、海老反りになった状態で硬直した、全裸の男だけど。
聖女長の言う通り、見た目はアレにしろ彼がヘインター殿下なのだろう。
現状で動かせるのはもう眼球だけのようで、どうやら言葉を発することは出来ないみたいだ。
海老反りの状態で目をギョロギョロとさせながら、必死に私たちに助けを求めている。
「ヘインター様は魔境視察の際、事前の準備も無く、マナコンダとの戦闘に入ってしまわれまして……」
「ブレスで服を吹き飛ばされ、逃げようとした瞬間に、瘴気をマトモに喰らってしまわれたのですね……」
王子をここへ連れてきたらしい兵士が必死に状況を説明する。
それが本当なら、殿下はマナコンダという蛇モンスターとの戦闘中に、瘴気にやられて呪われたようだ。
瘴気は様々な呪いを人間にもたらすけれど、その中でもマナコンダは相手を石化させる瘴気を持っている。
生きている人間を一瞬でここまで戦闘不能にさせるとは……いやはや、恐るべき能力である。
いや、目の前の獲物が突然こんな状態になったんだから、マナコンダも相当驚いただろうけど。
――とまぁ、状況は兵士さんと聖女長の言う通りなのでしょうね。
「いやでも、エビは無いわ」
兵士さんの隣りで冷静に分析している聖女長には悪いけれど、私は笑いを堪えるのに必死だった。
だって、この国で国王様の次に偉い御方が涙を滝のように流しながら、変なポーズで身体を硬直させて命乞いをしているのだ。
最悪なことに、殿下の着ていた服が根こそぎ破られてしまっている。その所為で、いろんな所まで丸見えだ。
いろんな部位が硬直したまま、聖女たちの前でさらし者になっている状態。
エビのエビが海老反りしてるだなんて、私は初めて見ましたよ。
せっかく顔もスタイルも良さそうなのに、もうメチャクチャだ。
王子のこんな姿を見て、笑うなという方が無理というもの。
見れば他の聖女や見習いたちも顔を背け、肩をプルプルと震わせている。
「誰か、この呪いを解ける人は居ますか!? 一刻も早く解呪しなければ……!!」
こちらへ振り返り、私たちの顔を見ながら志願者を募る聖女長。
流石と言うべきか、他の子たちは今の一瞬で神妙な表情に戻っていた。
――もはやこの場でマトモなのは聖女長だけかもしれない。
「「「……」」」
「くっ、やはりみなさんも無理ですか……」
良い手立てが何も思い付かず、悔しそうに歯噛みする聖女長。
伝説の万能薬でもあれば一瞬で治るかもしれないけれど、残念ながらここにそんな物は無い。
「申し訳ありません、私共の力では……」
「そ、そんな……!! 聖女長、女神様! どうか殿下をお救いください……!!」
このままでは殿下は確実に死ぬだろう。
聖女長もお手上げのようだし、兵士さんなんて神頼みまで始めてしまった。
うん、完全に手遅れモードだ。
実際にこの場で殿下を治療できる人間なんていないもの。
……まぁ、それは私を除いてだけど。
だが私が今ここで浄化をしたら、恐らく私はこの教会に居られなくなる。今日の蒸しエビすら食べられないかもしれない。
……いや、エビ殿下を思い出すからどっちにしろ無理か。
だけど、それも仕方がない……かな。
別にこの人を助ける義理は無いけれど、見捨てる理由だって無いしね。
今は平凡な聖女見習いをしている私だが、とある秘密がある。
何を隠そう、私のヨダレにはエリクサーにも負けず劣らない、強力な浄化能力が秘められているのだ。
これを殿下に飲ませれば、きっと彼は助かるはず。
そうと決まれば、急がねばなるまい。
タイムリミットは刻一刻と迫っている。
「ジュリアさん? 貴女いったい何を……」
前に進み出た私を、聖女長が制止させようとする。だけどそれは当然、無視だ。
私は怪訝な表情を浮かべている王子へとそっと近付いて――。
◇
「とまぁ、こんな感じで王子の命を救ったんですよ。どうです!? 私、悪くなんて無いですよね!?」
「なんか前半の話は鬼気迫る感じだったのに、途中からエビとヨダレが気になってそれどころじゃなかったぞ……」
他からも小声で『マジで王子に自分のヨダレを口移ししたのか!?』『信じられない……』『もうエビが食える気がしない』とか言っているのが聞こえてくるけど……そうだよ?
だって他に方法が無かったんだから仕方がないじゃない。
そこは命が助かっただけ、有り難いと思って欲しい。
ちなみに王子の一件はこれだけだけど、他にも私のヨダレ聖水は大活躍している。
街に蔓延した毒の瘴気を祓うため、飲み水に使っていた井戸にヨダレを垂らしたこともあった。
他にも細かいことを挙げたら、キリがないほどの貢献をしてきた。
だから私はファウマス王国の英雄だと思うんだけどなー。
「そ、それで嬢ちゃんは国を追い出されたのか……?」
「いえ? まぁ多少はそれもありますけど」
本来ならそれは殿下の命を救ったことで、一度は帳消しになったのだ。
でもどういうわけか追放されちゃったのよね。
ニューヒン聖女長なら理由を知っていそうだったけど、教えてくれなかったし。
買い食いするお金欲しさに、教会に無断でヨダレ聖水を街で販売したのがバレたのかしら?
ともかく、だ。
品を重んじる聖女として、ヨダレは色々と相応しくなかったのだろう。
それよりも大事なのは、これからどうやって生きていくかだ。
だけど……。
私は狼狽えているオジサンを見ながら「この様子じゃ魔境でもヨダレ聖水は売れなさそうね」などと考えていた。
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