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鮮 緑
ゆっくりと下降している太陽は、間もなく地球の向こう側に隠れようとしている。時々チャポンと涼しげな音を立て、川面は休むことなく揺れる。
無数のトンボが、空中をぐるぐると回ったり留まったりを、気まぐれに繰り返す。その不規則な動きを眺めて彩花は思う——暇そうでいいなぁ。
日没が随分と早くなったと感じるこの季節でも、当然のように外はまだ暑い。徐々に色彩の変わっていくその風景を、彩花は長い時間ただ見ていた。ふと立ち上がり、細いサンダルで不安定に石段を登る。改めて周りを見渡すと、人も犬もみな濃いセピア色になって、足もとには長い影を連れている。
ひらけた視界の先には大きな橋が架かっていて、その上を黒い自転車が次から次へと流れていく。その人々の忙しい動きを、ピンク色の雲がゆったりと見下ろしていた。
このアングルだ、と決めて、彩花は横にしたスマホを両手で構える。そして腕を真っ直ぐに伸ばし、画面にその橋を収めた。
終わりかけの線香花火のように燃える玉が、遠くに見える木々の隙間から顔を出し、そこから眩しい光線が縦に真っ直ぐ現れた。
光線を画面のガイドラインに合わせ、橋は横のラインに合わせて水平に収まるように。彩花は左手を極力動かさないよう慎重に、右手で優しく画面をタップした。
カシャッと音が鳴った後、これはうまく撮れたはずだ、と夕日に背を向け画面を覗きこむ。けれどそこにあった風景は、今目の前にある美しさには程遠いものだった。どこが? と問われても説明はできないが、とにかく全く違うもので、彩花の気持ちは一気にしらけた。
いじけた気分で画面を写真一覧に戻すと、彩花の視線は自然とその中の一枚を捕らえた。それはつい先月、この場所で撮ったものだ。
その日も見事な夕日だった。彼女は「この風景が好きだから」と彩花をこの場所に誘い、二人は石段に並んで、ただ静かに川面を眺めていた。彼女の赤く照らされた横顔を振り向くと、同時に弱い風が吹いた。細い髪が金色に揺れて、それがとても綺麗で、その瞬間、彩花は思わずスマホのカメラを彼女へ向けた。
シャッター音で写真を撮られたと気付いた彼女はすごく嫌そうにしていた。写真が嫌いな事すらもすっかり忘れてしまっていた事を、その時改めて気が付いた。
その横顔を眺めていると、乾いたはずの彩花の目から再び涙が溢れ出す。
あの子は、あの真っ直ぐな瞳で、どんな世界を見ていたのだろう——。
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